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2018年12月28日

F1 2018 【F1コラム:アロンソ引退】偉業達成までわずか11点──2度のチャンピオンを最強ドライバーとして記憶すべき理由 愚痴です

F1 2018 【F1コラム:アロンソ引退】偉業達成までわずか11点──2度のチャンピオンを最強ドライバーとして記憶すべき理由 愚痴です アロンソのヨイショ記事です

思いっきり、ザク・ブラウンの息が掛かったような記事だと思います

全てをアロンソが決めていた訳ではないと思うのですが、そこには踏み込まず
若さゆえの過ちとして切り捨てております

アロンソが偉大なF1ドライバーであることは否定をしませんが

個人的には違う見解をしています

ある意味、偉大であり、ある意味異分子であり、勝利と破壊をもたらす者であったような気がしてます






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【F1コラム:アロンソ引退】偉業達成までわずか11点
──2度のチャンピオンを最強ドライバーとして記憶すべき理由

フェルナンド・アロンソが2019年にはF1に参戦しないことを決め、
将来の復帰の可能性は残すものの、F1キャリアにいったん区切りをつけた。

2001年にデビューし、2005年と2006年にF1タイトルを獲得、
優勝32回、ポールポジション22回と、
F1の歴史のなかで最高の記録を残したとはいえないが、
アロンソを史上最強ドライバーのひとりとして評価する声も多い。

 イギリス出身のF1ジャーナリスト、クリス・メッドランドは、
アロンソをF1の歴史のなかでも稀有なグレートドライバーとして記憶すべきであると主張する。

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 誰が最も偉大なF1ドライバーか、
ひとりを選び出すのは極めて難しく、ほとんど不可能といっていい。

だが、偉大なF1ドライバーかどうかの評価は比較的容易にできるだろう。

 通常、評価基準は優勝回数やタイトル獲得回数に置かれ、
記録を打ち立てた者が偉大なドライバーと呼ばれる。

だが、わずかながら、その条件に当てはまらないにもかかわらず、
高い評価を受けるドライバーがいる。

そういう稀有な存在のひとりが、フェルナンド・アロンソだ。

 アロンソはF1チャンピオンの座に2度就いたものの、この数年は目立った活躍をしていない。

2018年アブダビGPで(いったん)引退するまでの直近の114戦で、
表彰台の最上段に上ったのはわずか2回。

3度目のタイトル獲得を12年間目指し続けながら、
過去85戦にわたって表彰台に立つことすらできなかった。

それにもかかわらず、最高レベルの評価を受け続けている。
そこが彼の特別なところだ。

 近年のアロンソは、フェラーリで王座に就くチャンスをつかめず、マクラーレンで苦労し続けた。

しかしそういう印象で彼を記憶するのではなく、
F1キャリア序盤で収めた輝かしい成功に目を向けるべきだ。

■7度のチャンピオン、シューマッハーとの戦いで証明した才能
2004年のF1はある問題に悩まされていた。

フェラーリが圧倒的強さを誇り、その勢いに陰りが見えなかったのだ。
ミハエル・シューマッハーは8月の時点で7度目のドライバーズタイトルを決めてしまったぐらいだ。
その年、アロンソは1勝もできなかった。
しかし2005年、彼の快進撃が始まった。

 新しいタイヤレギュレーション下で、ブリヂストンはミシュランと渡り合うことができず、
久々にシューマッハーがチャンピオン有力候補の座から滑り落ちた。

サンマリノはその年の展開を示す象徴的なレースだったといえよう。
首位を走るアロンソを、シューマッハーが圧倒的速さで追い、
後ろからプレッシャーをかけ続けたが、アロンソの見事なディフェンスに阻まれ、
最後までオーバーテイクすることができなかった。

 2005年シーズンはアロンソが7勝を挙げて当時史上最年少で自身初のF1タイトルを獲得、
シューマッハーはランキング3位にとどまった。

 敗れたシューマッハーは、2006年に最大のライバルとしてアロンソに立ちはだかったものの、
この年もアロンソが勝利を収めた。

こうして、ついに覇権交代が行われたのである。

2005年のイモラ、そしてシューマッハーと戦って勝ち取った2回のタイトルが、
アロンソの力を証明している。

確かにそれ以後、彼は王座に就くことができなかった。
だが7度のチャンピオンという、
F1で最も優れた記録を打ち立てたドライバーに匹敵する力を持っていることを、
わずか24歳の段階で証明したのだ。

■若さゆえに犯したマクラーレンでの過ち

当時のアロンソは、まさに時の人だった。

シューマッハーを王座から引きずりおろし、
強烈な才能を見せつけ、新たに大勢のファンを獲得した。
スペインGPのチケットは売り切れ、バレンシアでの国内ふたつ目のレースも開催された。

 若くしてアロンソは、自分に大きな期待をかけられていること、
自分にはもっと大きな成功を成し遂げる力があることを知り、
それにふさわしいポジションを確立できるはずであることを自覚した。

 移籍に関する判断についてしばしば批判を受けるアロンソだが、
なかでも最も問題視されるのは、マクラーレンで過ごした2007年シーズンだ。

移籍を決断したのは2006年シーズンが始まる前のことであり、
2005年の段階で、彼はマクラーレンの将来に期待を感じ、ルノーの限界にも気づいていた。

実際、2007年のマクラーレンには、
本当ならドライバーズとコンストラクターズ選手権の両方を制する力があり、
アロンソは3年連続でチャンピオンになっていたはずだった。

 では、なぜそうならなかったのか。
最も大きな理由はルイス・ハミルトンの存在だ。

ふたりの激しいライバル心、
そしてアロンソが頑なにナンバーワンステータスにこだわったことが原因だった。

だがそれを誰が非難できるだろう、アロンソはマクラーレンに加入した当時まだ25歳だった。
ミスを犯しても仕方のない年齢だ。

ハミルトンは、ルーキーイヤーにアロンソと組み、彼を間近で見た経験から、
そのすごさを認めている。

後にアロンソのチームメイトとなったジェンソン・バトンとキミ・ライコネンは、
その時点ですでにタイトルを獲得し、ドライバーとして経験を積んでいたにもかかわらず、
アロンソに歯が立たなかった。
 
バトンはハミルトンのチームメイトを務めた経験もあるが、
最も手ごわいチームメイトとしてアロンソの方を挙げている。

■最強レッドブルを苦しめ、ドライバーとしての真価を発揮したフェラーリ時代
マクラーレンからの最初の離脱が、
後のアロンソのキャリアに大きく影響したことは間違いないだろう。

メルセデスとレッドブルのシートに空きは出ず、
加入したフェラーリでは期待したような成功を収めることができなかった。

 当時、アロンソとフェラーリは理想の組み合わせに見えた。
この時のアロンソは正しいタイミングで正しい場所に動いたように思われたのだ。

2009年、フェラーリは低迷したが、2010年にはアロンソとともにタイトルを獲得できたはずだった。

結局は最終戦アブダビでの戦略ミスによってチャンスを逃したが、
いずれ王座に就くことは確実に思えた。

 F1での戦いにおいてドライバーが左右できる割合は小さい。
結局は、与えられたマシンのパフォーマンスが物を言うのだ。

しかし、レッドブルが優勢を誇った時代に、驚くべきことに、アロンソは彼らを苦しめてみせた。

F1の歴史のなかでひとりのドライバーが完璧なシーズンを戦った、
最も顕著な例が2012年のアロンソだったといえる。

その年のマシンのパフォーマンスを考えれば、
アロンソがタイトルを獲得できる可能性はほとんどなかったが、
彼はすべてのチャンスをほぼ最大限に生かしてライバルに詰め寄り、
3ポイント差のランキング2位でシーズンを終えた。

そしてその後、
アロンソは2015年にマクラーレン・ホンダのプロジェクトに加わるというギャンブルをした。

フェラーリではもうこれ以上のことはできないと判断したのだ。
それは責められることではないだろう。

■5度の王座獲得を阻んだのはわずか11ポイントだった
アロンソが下したキャリアに関する決断は、しばしば批判されるが、
それによって彼がどうなったかが判明した後で非難するのは簡単だ。

実際には、彼を大きな成功から遠ざけたのはわずか11ポイントに過ぎない
(アロンソは、2007年には1点差、2010年には4点差、2012年には3点差でタイトルを逃している)。

あと数ポイントあれば、アロンソは2007年にマクラーレンで3度のチャンピオンとなり、
フェラーリで5度目の王座に就いていた。
その輝かしい成功を阻んだのはわずか11ポイントだったのだ。

 しかしアロンソが3度目以降のタイトルを獲得していたとしても、
それによって彼が歴史に残す遺産がより大きなものになったとは限らない。

アロンソが2010年から2013年にレッドブルで走り、
セバスチャン・ベッテルのように4年連続でチャンピオンになったとして、
それが彼のドライバーとしての評価を高めただろうか?

 この数年は、
無線での愚痴やメディアに対する奇妙な発言ばかりが大きく取り上げられがちだったが、
アロンソがキャリアの初期に達成した偉業を忘れるべきではない。

下位を走り続けたことで、彼がどれだけ素晴らしいドライバーだったか、
いや、今もどれだけ素晴らしいドライバーであるかを見過ごしてはならないと思う。

 記録上、アロンソはF1で32勝を挙げ、
タイトルを2回獲得したドライバーというポジションにとどまった。

その数字は彼の才能にふさわしいものではない。
彼はもっと大きな成功を収めるべき存在だった。
だが、それができなかったからといって、彼の偉大さが損なわれることは断じてない。

■著者:クリス・メッドランド。イギリス出身のF1ジャーナリスト。
ESPN、Crash.net、F1iなどを経て、現在RACERと契約。BBCやSky Sportsなどの仕事も行っている。
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ある意味、反吐が出るぐらいのヨイショ記事です

個人的に昔からアロンソって好きではないのですが、反吐が出るぐらいではないです
ですが、この記事に書かれているアロンソは反吐が出る感じです

ここまでアロンソは?って感じです

アロンソの凄さって別の部分でもあるのですが・・・
この記事を読んでると、別人のような気がしてます

まぁ気がしてるだけで、同じ感想なのかもしれませんが・・・

アロンソがシューマッハを倒した時、彼はちゃらけた若者に見えました

まぁシューマッハもそんな感じが見えたので・・・、初タイトルと二回目の頃って、シューマッハは
嫌いだったんですが・・・
フェラーリの復権に乗り出した?ころから変わっていったように思えます

まぁタイトル獲得のためにピリピリ感はあったらしいですが、能力の劣る車で
勝ちに行くのは凄かったです

これはアロンソにも言えるのですが・・・

その時にはシューマッハとアロンソには差があった
それは、その取り巻き、チームも含めた環境だったかもしれません

個人的に思っているアロンソが嫌われる要因は、ガキ的な性格なのでしょう

これは初タイトル、二回目の頃に培われたのではないかと思います

この辺は、記事にもそんな雰囲気があります

ここで、シューマッハはベネトンルノーを出て、跳ね馬へ移籍します
どん底にあった跳ね馬の復権を託され招へいされました

これをプッシュしたのが、マネージャーですね
フェラーリに興味が無かったシューマッハを説得し移籍させました
そこには、シューマッハを守る環境があり、チームをリスペクトする気持ちを育んだ?
まぁシューマッハが傍若無人になっていかない環境があったと思っています

しかしアロンソは・・・ブリアトーレから離れられなかった
それは現在においても、そうだと思っております

個人的に思っているアロンソのミスは、ブリアトーレからの巣立ちができなく
我儘に育った結果ではないでしょうか?

付き合いがないので分かりませんが、見える感じの側面から、いい人の様に見えます
それが、各チームへ移籍一~二年の状況なのでしょうね

ですが、成功しなかった時の三年目、アロンソは我慢を忘れます

記事でいう最初の移籍失敗みたいな感じに

マクラーレンを飛び出し、ルノーへ移籍し、不遇の二年を過ごします

この時、彼の周りの人間が説得し我慢させてマクラーレンとの協議を行い
残留させれば、少しは流れが変わったかもしれませんし、
RBRからの誘いに乗れば・・・

ブリアトーレは、アロンソの我儘を聞き、ルノーに戻します
ルノーが低迷しだした時期であり、RBRがアロンソに声を掛けた時期でもあります

ブリアトーレが、アロンソを連れ戻したとも思えます
アロンソというドライバーのことを考えれば、ルノーに戻すよりは・・・
と思うのですが
ここがブリアトーレから巣立ちができなかったということですね

結局、こういう諭すことが出来、より良い可能性へ導く、もしくは助言を与える周りが居なかったため
チームと調和出来なかった、それがRBRのホーナーが最近指摘したカオスを起こすということになります

そういう点を擁護している人物を見ると、結局アロンソを甘やかしているチーム代表や元代表なのです

そして、いまだにブリアトーレは、アロンソがドライバー市場における中心だと言います

アロンソがRBRからのオファーとか言ってたのも、ブリアトーレが吹き込んだことだと思います

そうこれもアロンソが謙虚になれなかった要因であり

トップチームから嫌われた理由ですね


そして、もう一つチームに破壊をもたらすのが、その卓越したドライビングですね

そう、ドーピングドライバーですね

劣ると言われる車で、一定以上の成果を出してくる稀有なドライバーです

車の限界という、エンジニアの示すデータを覆すドライバーです

車の開発に苦慮しているチームには、とても素晴らしいドライバーですが
ある意味、劇薬でもあり、慢性に使っていると失った時の反動が大きく出ます

それに陥らないために、チームメイトにはテスター系のドライバーが必要です

最近で云えば、JBであり、ロズベルグであり、古くはパトレーゼですね

そういう組み合わせでないときに、チームの技術陣は崩れ、
チームは大金を使ってアロンソを引き留めます

第二期マクラーレンホンダの問題は、JBを途中で放出したことです
それにより適切な比較要素を失い、偏った車になりました

バンドーンに車の比較だしを期待したようですが、バンドーンはそれには適さず
失速していきます

2017年モナコで1レースのみ復帰したJB
それ以降、車もバンドーンも復調していきます

ただこの段階で、車体にある問題に手を付けず、ホンダに責任を負わせるような
行動にドライバーもチームも動き、チームはドーピングドライバーのアロンソを選択しました

これが、今年の結果に出ました

跳ね馬は、開発出来るドライバーとしてベッテルを手に入れ、当時技術陣を指揮していた
ジャームス・アリソンはライコネンに注力しました
2015年に復調仕掛けた跳ね馬が、2016年に失速したのは、この為ですが
開発出来るドライバーを二人擁した跳ね馬は着実に復調しだしました・・・車は

ここで、良く言われるのが、アロンソが乗ってれば・・・ですね

しかし、アロンソを推していたルカ会長を追い出した時点で、それはないのです

そして、仮にそれが行われていなければ、跳ね馬の復調もないのです

これもアロンソが起こすカオスです

アロンソは結果を出します、予想された結果より高い結果を
それが何故か分からない状況になります
チームはそれを車の実力と勘違いします

チームメイトはアロンソに負ける
しかしチームとしてはアロンソの出す結果と同じものをチームメイトに求めるのです
その結果、チームメイトは低迷します

ザクブラウンは言います、アロンソはどこかから、コンマ数秒を探しだすと

そうです、これが無くなった時、チームが崩壊するのです


個人的にアロンソを覚えておくとすると、限界を超える男、そしてチームを崩壊させる男です

この劇薬に頼っていたマクラーレンが手放しました

来年、チームは復調すると言います

しかし、劇薬が出した結果をどう分析できるのか
今のマクラーレンの技術陣にその力が残ってるか、非常に疑問です

そして、来年の車の開発もこの劇薬に頼ろうとしている、チームも・・・

まぁ間違ってることに期待しましょう


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Posted at 2018/12/28 16:02:59

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