2011年03月12日
最初は「揺れてるな‥」程度だったのが、段々と激しい横揺れに。。
慌てて火の元を確認して玄関ドアを開けて恐る恐る外の様子を伺う。
ご近所さんも外へ飛び出して、初めて体験する横揺れに身を任せるしかない。。
1分、2分‥ どの位の時間だっただろうか。
揺れの収まるのを確認して、家に戻りTVをチェック。
恐ろしい状態だ。。
外出している家内と息子にTELするも、早くも不通状態。
メールだけは何とか通じる。
四谷にいる家内は電車の事をまだ知らないらしい。
メール文面だけのもどかしさを感じながら、パニックになる前にガソリンだけは入れておこうと早速動き出す。
そこへ家内からのメール返信。。
「JRが止まっている。」
そこから長い一日が始まった。
四谷まで約14キロ。
2時間も有れば大丈夫?と思いながら甲州街道へ急ぐ。
甲州街道はまるで映画のワンシーンのようだ。
緊急車両、帰宅の人、クルマで溢れんばかり。。
そこへ火事場泥棒のような「ルール無用」の一般車両。
鉄火場のような状況が続くがクルマは進まない。
メールで現在位置を知らせながら、四谷見附の交差点に付いたのは約三時間後。
家内の安堵の顔が此方の疲れも苛立ちも癒してくれる。
甲州街道沿いのコンビニでガラガラの棚に驚きながら夕食代わりをGETして車中で食べ、次は息子の番だ。
彼の居場所を確認すると町田とのこと。
都内から約40キロだ。
「迎えに行くから」メールを打って、甲州街道を避けて外苑経由で一旦帰宅を目指すも、246・山手通り等都内のどの道も大渋滞。
途中で家内に運転を代わってもらい、ラジオで情報収集しつつ息子と連絡を取り合う。
四谷を出てから2時間以上。
まだ環七にも届かない。
環七を渡り世田谷に入ったときには日付も変わり、小田急も動き出した。
息子から「電車の乗れた」の一報。
家内とホッとしつつ自宅へ向かう。
自宅到着は午前3時前。
たった往復28キロに8時間以上かかったことになる。
都内のあの騒然とした状況からすると、我が街世田谷はやけにのんびりしていて逆に安心してしまうが、この時間でも帰宅を続ける方や被災地の方の事を想うと胸が痛む。。
しかしながら、今日以降は復旧へ向けて進んでいかなければならないのも事実。
2011年3月11日 14時46分
この時間を決して忘れることなく、この日記に残しておこう。
やはり、家族の絆は強く、そしてかけがいのないもので有るということを再認識するために。
Posted at 2011/03/12 12:04:02 | |
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