
宮城県で震災の支援活動を終え、自宅に戻ったのが3年10カ月前。
それからの数カ月間は、被災地で体験した現実と自分の日常が、自分の中でかみ合わず、自分が自分でないような不安定な時間を過ごしました。
あれから1年
あれから2年。
あれから3年。
あれから4年。
あれから・・・。
阪神淡路大震災後もあれから3年、あれから5年という文字が新聞の一面を飾っていたものです。
その阪神淡路は電気・ガスの復旧が数カ月、下水道、鉄道、高速道路といったインフラの復興に3年、住宅の完全復興には5年かかりました。
東日本、特に東北では3年半を超えた昨年末まで、道路は80%、鉄道網は90%とインフラ復旧の目途は見えてきたようですが、避難者の復帰は56%に留まっています。
阪神淡路との違いは広範にわたる未曾有の津波と、福島第一原発事故が齎したものであることは言うまでもありません。
東日本大震災の被災地は、もともと平地が少ないうえ、海沿いの平地は津波が再び襲う恐れがあるため住宅を建てることができません。
多くの人が、自分の土地に戻れないのです。
このため、山を切り開くなどして、多くの住宅地を造らなければならず、最長8年の可能性という、これまでにない事態になっています。
さらに放射能汚染が深刻な影を落としていることは、よくご存じのことでしょう。
原発から30キロ圏の農業、酪農は壊滅状態となり、高濃度の汚染水を垂れ流し続けた海は福島のみならず、東日本の太平洋沿岸漁業を瀕死の状況に追いやっています。
海底に沈殿した放射性物質の影響が消え去るまでには、何十年という歳月が必要といわれています。
東日本大震災の『あれからX年』が、いつまでも過去形とはならず、負の現在進行形であり続けるだろうことを思うと、胸が塞がります。
でも人間の素晴らしさと希望を信じることが出来たのは、その被災地の方々のおかげでもありました。
しかし私がこの4年間にできたことといえば、僅かな募金と、岩手・宮城・福島の農産物や水産物や子供たちが作った絵葉書等を買わせて頂いたことぐらいしかありません。
毎年この日を迎えるたびにこうして日記に書いているのは、もしかして免罪符のつもりではないだろうかと思ったりします。
写真の中のみなさん、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
今も大声で笑って頑張っておられますでしょうか。
Posted at 2015/03/11 20:13:43 | |
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