FDは
謎の白煙の原因究明中なわけで何も書くことがないのですが、
そんなさなか、
押入れの整理をしていたら、超・猛烈に懐かしいアイテムを発見しました。
伝説の走り屋雑誌、
バリバリマシン(平和出版)。
懐かしい!
私が購入していたのは94~96年ぐらいまででした。
(ちなみに一緒に買ってたのは「モト・チャンプ」と、
当時2輪雑誌→後にドリフト雑誌になった「バトルマガジン」。これまた懐かしい…)
ピチピチの男子高校生。
バイクとか乗ってるとカッコいい。
走り屋とかアンダーグラウンドなのがカッコいい。
でも族はちょっと怖い。
…みたいな。
そんな感じで自然な流れでバイクに興味を持ち、
なんと無謀にも、高2で新車のバイクをローン組んで買ってしまいました。
それがこちら。(購入後けっこう経って、ある程度イジってからの写真ですが)
※「愛車自慢」みたいなコーナーに掲載されたのを保存してました
'94CBR250RR。
※ハンドルネームの「N田」がモロばれするので、何となく画像加工;;;爆
※ペンネームが厨弐病っぽいのも、まあ、高校生のやることなのでw
※本文中の「Qchanでのクラッシュ」を後述します…。。。。
懐かしいなー。
ローンは毎月2.5万の3年払いとかですかね。計80万ぐらい。がんばりました。
バイト代はローンとガス代、あとなけなしの改造費で100%完全燃焼。
HONDAの看板車NSRと悩んだんですが、
2ストの圧倒的パワーは魅力でありつつも、「音」の好みで4ストを選択。
シーズン中はヒマさえあれば地元神奈川県内の峠を中心に走りに行ってました。
もちろん「ヒザスリ」すら出来ないから、まずは猛練習です。
が、案の定コケて新車3カ月でフロントフォーク曲げて猛烈に凹むハメに。
当然です。いま思えば練習用にボロい中古買っとけよと。
修理代10万。アホな話です。
そんなこともありつつ、ある程度走れるようになってくると
やはり気になるのは「バリマシ」の名物コーナー、
俺たちのハングオン(略称:俺ハ)
なわけです。
日本各地の走り屋が、自慢の「ハングオン写真」を投稿。
投稿作品からフォームの美しさをバリマシ編集部が審査し、
下から「白ゼッケン」、「黄ゼッケン」、「赤ゼッケン」と格付け。
そしてその月の赤ゼッケンの中で最高の作品が
「一等賞」として選ばれ、巨大な写真でコーナータイトルを飾る…というシステム。
走り屋としてはちょっとした名誉です。
スポットで見かけたことある人なんかが獲ると、「おおおおーーー」みたいな。
でも当時はデジカメなんてまだ無いので、当然フィルムカメラで撮るわけです。
友人とお互いの写真を撮って、帰って、写真屋に現像出して、
数日かかって、仕上がったものを受け取って、超ワクワクしながら開けたら
超・ブレブレ。
みたいなお約束も、当時は日常茶飯事。
アナログ時代の懐かしい思い出です。
主に走ってたのは「Q-Chanロード」と言われる、神奈川県内某所の峠でした。
県内でも随一の人気スポットで、
ピーク時は土曜の朝なんかに50~100台ぐらい集まってました。
さすがの私も、
相当な量を走り込んでいく中でそれなりには走れるようにはなっており。
写真のほうも、友人ともども、なかなか良いものが撮れ始めてもいました。
そして忘れもしない、96年の9月15日(たしか敬老の日)の早朝。
その日は何というか、それっぽく言うと、
かなり「乗れてる」状態。
「のぼりドロンパ」
(この響き、懐かしい~~)で
2ストに付いて行けるッッ!!!!!…的な状態で。
相当、調子乗って走ってました。
ちなみにその日の正確な記憶は、そのあたりまでしかありません。
ある、のぼりの一本。前を私が、後ろを友人が走ってました。(覚えてないですが)
そしてギャラリーコーナーである「ドロンパコーナー」。
ギャラリーの目も有るし、一番気合入るポイントです。
その日、絶好調だった私は、相当なペースでコーナーに突入。(覚えてないですが)
…が、出口で見事にスリップダウン。(覚えてないですが)
そしてハイスピードのまま、激しくガードレールに激突。(覚えてないですが)
後ろを走っていた友人曰く、
「あ。目の前で友達が、死んだ。」
…と思ったそうです。不思議なぐらい冷静に。
「吹っ飛ばされる動きが人形みたいだ」とか思っていたとか。
ただ、幸いにも当たり方が良かったのか出血等は無く、
スポットに集まっていた他の皆さんの助けも借りつつ、
意識不明ながら呼吸はしており、痛がる様子も無かったので
安静にして救急車は呼ばなかったとのこと。(おいwwwwww)
※ちなみに救急車呼んじゃうと一緒にK察も来てしまうので
スポットの暗黙の了解として大事に至らなければそんな感じだという話もあります
数時間後に意識を取り戻し、(覚えてないですが)
救急処置を行ってくれた他チームの皆さんに御礼をし、(覚えてないですが)
自走で自宅まで帰った……とのこと。(これまた恐ろしいことに覚えてない。。。)
記憶が再開したのは翌日の朝、
ハッと目が覚めて前日のことを思い出し、
「ひょっとしてアレは夢か!?」
と思ってバイク見に行ったら無残な姿でorz…みたいなところからです。
で、そんな中、ドラマはあるもので。
修理費用も相当額になりそうで、そう簡単には工面できないであろうことは明確。
復活は相当先、あるいはそのまま廃車…??などという状況です。
自爆事故とは言え、相当な失意の中にいました。
で、その月もバリマシの発売日がやってくるわけです。9月24日。
赤ゼッケン。
嬉しいやら。゜。゜(ノД`)゜。゜。悲しいやら。。
※ちなみに写真の場所がのぼりドロンパですね
クラッシュするちょっと前に送っていた写真が選ばれたようです。
その後、バイクは何とかして直しました。
その写真が、↑上のほうに出てきたやつです。
フロント回りは新品パーツごっそり入れ替え。
いくら掛かったかはよく覚えてませんが、
「バイクに申し訳が立たん!!」とか思い、もはや意地でした。
(こういう無駄な意地を張ってしまうあたり、当時も今も変わってないです。。www)
ただ、「記憶がない」とは言え、身体は恐怖を覚えてしまったのか、
以前のように全開で走ることが到底できなくなってしまい。
街乗り専門でちょっとだけ乗り続けましたが以前のような楽しさは感じられず、
ほどなくして、この愛車は手放しました。
その後2005年に中古でFDを購入するわけですが、
そのFDが、期せずして'96(平成8年)式だったことには何かの縁を感じます。
…と、軽くノスタルジーな感じで明日は排気漏れ箇所の特定をするぞーーー