• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

レッズレノンのブログ一覧

2018年11月11日 イイね!

「江戸1300km象の旅」。

「江戸1300km象の旅」。浜離宮で

江戸時代の一時期、

象を飼っていたことを知って以来

ずっと気になっていましたが。



11/14(水)、

『歴史秘話ヒストリア』にて

放送されます!









歴史秘話ヒストリア

「将軍吉宗のわがまま!? 江戸1300km象の旅」



江戸時代の日本を「享保の改革」で立て直した

名将軍・徳川吉宗の時代、

ベトナムから日本にやって来た象。


長崎から江戸まで1300キロの道のりを歩きながら、

日本中に“象フィーバー”をまき起こします。


一体なぜ、吉宗は象を呼んだのか?


当時の古文書から浮かび上がった、

意外な「ねらい」。


それは、なんと「世直し」のためだった!?


象の旅を切り口に、

日本を近代国家として生まれ変わらせようとした

将軍吉宗の奮闘を描きます。



これは

見ずには

いられません!!



Posted at 2018/11/11 21:05:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2018年10月21日 イイね!

なるほどぉ~、な、鴨場の仕組み。

なるほどぉ~、な、鴨場の仕組み。
埼玉県の越谷は

家康さんが好きな「鷹狩場」だったようですが、

現在でも「宮内庁の鴨場」が置かれています。



でも、

この地図を見るたびに

池の周りの「ヒゲ」のような水路が

気になって仕方がありませんでした。


宮内庁の現役施設で

見学会などは当然開催されておらず、

(水鳥に人の気配は厳禁!!)

確認の術がありません。



が、しかし。



先日訪れた「浜離宮」で

1778年に作られた「庚申堂鴨場」と

1791年に作られた「新銭座鴨場」を

まじまじと間近で見ることができたおかげで、

長年の疑問が解決です!


(「おひげ」があるでしょ)



出会いは、このとき。


華麗なる将軍の庭園には

似つかわしくない「土塁」状のもの発見‼


土塁の中に入ると

そこには、

「のぞき穴」と




木の板と木づち、

外につながる「竹の筒」がありました......。



ん―――っ??



反対側から

観察してみましょう。


ほー。


ほーほー。


ほーほーほー。


「のぞき穴」が

見据える先には、

細ーい水路と


大きな池。



やっと、鴨場の仕組みが

わかりました!!!



池にいる水鳥さんたちを

捕るためには

いたいけな「アヒルさん」が必要でした。


このアヒルさんを

日ごろから手なずけておき、

木づちで木を打ったあとに

餌をあげるように訓練しておきます。


猟をしたいとき、

この「いたいけなアヒル」を池に放っておき、

木づちを鳴らします。


すると、アヒルは

クワックワッと

先ほどの細い水路(引堀)から

隠れた人間の元に近づいてきますね。


そして、

なんということでしょう、

(ちょっとおつむの弱い?)水鳥さんたちも

アヒルを追って付いて来てしまうのでーす(習性です)。


そこで、一網打尽に、と

ざっくりいうとこんな感じです。

(先ほどの「竹筒」は餌をまくための装置でした)


水路が四方に張り巡らされているのは

その日の風向きによって

捕る場所を変えるためでした。






「馬場跡」を通り、

「新銭座鴨場」へ向かいます。

(靴がドロドロになりましたが)


ここには誰も来ず、超穴場スポット!


これを「小覗(このぞき)」といいます。


池全体を観察する「大覗(おおのぞき)」。

「庚申堂鴨場」では「大覗」に続く道が

通行止めになっていて

残念に思っていましたが

見られてラッキー!


「大覗」からは

大きな池の様子が

よくわかる、よくわかる。




あの「鳥」、

「とり」たい。









それでは、復習。







鴨場の仕組みもわからずに

「ボーっと」生きていくところでした...。



Posted at 2018/10/21 11:56:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2018年10月17日 イイね!

やっぱり、将軍家のお庭はスゴイ!!

やっぱり、将軍家のお庭はスゴイ!!


「お台場海浜公園」から







ゆりかもめで

「汐留」まで約10分。


そこから、少し迷いながらも

数分で「浜離宮恩賜庭園」着。


江戸時代から続く庭園では、

都内唯一の海水の池です。





「大手門橋」を渡り

入り口を入って左に「三百年の松」。





「旧稲生神社」、「水上バス発着場」を経て

お目当ての「将軍お上り場」へ。





三毛、みっけ♪


「灯台跡」。




「将軍お上り場」!!



「将軍お上り場」は、

徳川将軍が船で浜御殿に来た際に上陸する場所で

14代将軍・家茂と15代将軍・慶喜にとっては

悲しむべき上陸地点でした。





家茂は計3回上洛していますが、

江戸に帰ってくる際には3回とも

ここに上陸していました。


その3回めのご帰還は、

悲しいことに、亡骸となっての帰還...。

 
15将軍・慶喜は、

鳥羽伏見の戦いに敗れ、

大阪城から江戸に逃げ帰り、

慶応4年1月12日、「将軍お上り場」に上陸しました。


勝海舟らが出迎えますが、

ここで勝海舟が慶喜に対して一言。

「敗戦の責任はあなたにあります」。


大東京の中に今でも残る、

時代の転換点を見てきた「お上り場」で

しばし物思いにふけります。



昔から使われている「水門」。



かつては、ここ浜御殿で

将軍さまが鯨を上覧されたんですよねー。



*************************************************

寛政10(1798)年5月1日、

暴風雨によって品川沖に一頭の鯨が迷い込んで来ました。


江戸中で評判になり、それを聞きつけた代官が検分に来て、

将軍・家斉が浜御殿で上覧することが申し渡されます。


5月3日、漁師たちは鯨に縄をかけ、浜御殿沖まで船で引いていき、

将軍に供覧したそうです。


家斉はたいそう喜び、

こんな歌を詠まれたそうです。


うちよする 浪は御浜の おにはぞと
         
くじらは潮を ふくはうち海


*************************************************


この寛政の鯨騒動は

「享保の象」

「文化のらくだ」とともに

江戸動物三大事件として語り継がれています。

(この象さん、なんと「浜御殿」で12年も飼育されていましたヨ!)





「庚申堂鴨場」。

(写真は、ごく一部)


今回、鴨場なるものを

じっくり見ることができましたので

長年の疑問が解決いたしました‼

(これはまた別の機会に...)






「中島の御茶屋」。




「富士見山」からの景色は

絶景かなー。





























「中島」から

「富士見山」を望む。


「燕の御茶屋」


「鷹の御茶屋」













将軍さまも

寒い朝には

土間に作った炉で

芋や栗を焼いて、

田舎の風情を楽しんでいました。



「鷹部屋」。








帰りは

「中の御門」から出て

新橋駅まで徒歩で。



(「浜離宮」、滞在時間2時間超。

大いに満喫いたしましたー。)



Posted at 2018/10/17 21:57:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2018年05月24日 イイね!

「栗橋宿」お散歩(静御前 編)

「栗橋宿」お散歩(静御前 編)

「栗橋宿」から少し離れて

栗橋駅前へ。





(これは「旧国鉄栗橋駅舎」)







やっと来ました、「静御前のお墓」。


『ドラえもん』に登場する

「しずかちゃん」の

名前は「源 静香」でしたね。


静御前は、

義経を追って奥州に向かう途中、

義経の死を知り、

文治5年(1189)9月15日に

当地で亡くなったと言われています。


当地には高柳寺(こうりょうじ)と呼ばれる寺があったので、

静御前は寺の境内に埋葬され、

墓上には杉の木が植えられました。


高柳寺はその後、

中田(現在の茨城県古河市)に移転し、

光了寺と名を改めています。


当地には静御前の墓が残されましたが、

墓に墓標がなかったため

享和3年(1803)に

勘定奉行・関東郡代であった

中川飛騨守忠英により建立されました。


墓上の杉の木は弘化3年(1846)の洪水により枯れてしまい、

その後銀杏が植えられています。





「静女之墳」。




「義経招魂碑」と

生後すぐに源頼朝によって殺された

男児の供養塔、

「静女所生御曹司供養塔」。



頼朝に鶴岡八幡宮社前で

白拍子の舞を命じられた、静御前。


義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させます。


しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

【倭文(しず)の布を織る麻糸を
まるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、
たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら】



吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

【吉野山の峰の白雪を踏み分けて
姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい】









ななんと、

お墓のある敷地には

こんなものが...。






「三笠屋」さんで

「静まんじゅう」と

「栗橋みなみ どら焼き」をお土産に購入。




Posted at 2018/05/24 21:34:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2018年05月05日 イイね!

飛行機王の大豪邸、へ。

飛行機王の大豪邸、へ。中島飛行機の創始者、中島知久平が

両親のために、

太田市押切町の生家(旧宅)近くに築いた

大規模邸宅に行って来ました。

(敷地面積1万平方メートル!!!)

国の重要文化財。



SUBARUのスタートは

この地からなんですね。


【1917(大正6)年5月、
海軍を休職中であった中島知久平が、
群馬県新田郡尾島町の養蚕小屋に「飛行機研究所」を創業。

12月21日、中島が海軍を正式に退官、
「飛行機研究所」を尾島町から
太田町の旧博物館に移転。

所長中島や炊事使用人を含めて僅か9名の研究所であった。】


この「飛行機研究所」を創業するときの言葉は、

先見の明があり、すばらしいと思います。

なんせ、書かれたのは

1917年(より前)、ですからね。



****************************************************

<創業の辞>

中島は軍務を退き、
飛行機報国を念じ「飛行機研究所」を創設するにあたって、
以下の内容の手紙を関係者に送っている。

(口語訳)
思うに日本の防衛はお金の掛からない
新兵器を基礎とした戦い方を見つけてゆくしかない。

戦艦一隻を建造するには莫大な費用がかかるけれども、
飛行機なら戦艦一隻の費用で三千機が作れる。

(これに魚雷を積めば)その力は戦艦よりも優れている。

飛行機は1月で完成する。
だから民間なら1年に12回計画を変更できる。

しかし国営は1年単位の予算計画だから年1回だ。

日本の飛行機工業は官営で
民間企業中心の飛行機先進国の欧米と向い合っている。

今、民営飛行機会社を作り
官営中心の流れを変えなければ国家の運命はどうなるのだろう。

****************************************************



(昭和7年9月撮影)






無料ということもあり

思った以上に見学者がいます。



立派な車寄。


応接間1。








応接間1と2の境。


応接間2。






お庭に出ます。






次の間。

(ふすまのシミは
カスリーン台風によるもの)








客間。










いやー、

いいもの見させていただきました!!



痛みが激しい所が多いので、

早急に修復し、後世まで残してほしいです。


帰宅途中、

素敵な神社を発見。


加須市麦倉の「八坂神社」。













Posted at 2018/05/05 15:47:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

プロフィール

「「地図でたどる文京区の地形と地名」に参加。 http://cvw.jp/b/861852/42198631/
何シテル?   11/18 18:46
サッカー、フットサル、浦和レッズ、ジョン・レノン、キャンプ、ドライブをこよなく愛する50代です。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2018/11 >>

    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

リンク・クリップ

AUTOBACS Maxrun Maxrun Excela EZ 175/70R14 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/10/07 16:22:58

ファン

32 人のファンがいます

愛車一覧

トヨタ ポルテ トヨタ ポルテ
フレンディ + ライフ から乗り換え!!
マツダ ボンゴフレンディ マツダ ボンゴフレンディ
レッズ戦参戦、キャンプ、カフェめぐり、公園めぐりに大活躍のフレンディー、でした!
フォード プローブ フォード プローブ
今となっては懐かしの パッシブシートベルト標準装備。 これで北海道や京都まで ドライブ ...
フォード テルスター (セダン) フォード テルスター (セダン)
5MT車! 当時の私の憧れ、DOHC。 リアビューが今見ても カッコいいです。 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
©2018 Carview Corporation All Rights Reserved.