一応載せときます。
森友の方は、コーノイケとか
真っ黒ぽいのが厄介ですが
放っておきます。
このエントリーを調べたときに
偶然、益田地域(島根西部)の地震について
資料が出てました。
2012年04月16日
【若狭湾の実際のリスクは?】日本海側の津波の実態【太平洋とは型が違う】
■若狭湾の津波リスク、伝承とか40mとか独り歩きしてますが
何かどうにもいかがわしい。
(反原発原理派が主張する40mの割に伝承が少なすぎる)
気持ち悪い位データがありませんよね。
こう言う時大抵は
嘘に近いほらを吹いている事が多い。
だからあいつらって嫌い。
で、信じる方が馬鹿だって呟く。詐欺師そのもの。
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■そこで分かる範囲でデータを探ってみる事にしました。
まずは
鳥取県の資料。
すると、マグニチュード7を超えるとやはり津波が起きる事が分かります。
高さは大体3m前後が最高です。
但し北海道南西沖、は超危険域です。
秋田以北は、頻度こそ低いですが、ややましな物の
最大規模は太平洋と大差ない事が分かります。
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若狭湾は
意外にも能登半島の影響で津波の直撃は食らいにくい事が分かります。
これはフォッサマグナが、糸魚川から佐渡、秋田沖を経ることにも関係します。
■同様の資料は古いですが同じようにあります。
そして益田のように
島が沈んだという事が日本海側の地震の特徴と言えるでしょう。
■逆の例もあります。
松島のついとしてもてはやされた象潟(秋田)
これは江戸時代に地震で隆起して島が陸になりました。
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一方…東電の
柏崎刈羽の耐震資料ですが、ちと甘い(笑)
1833は調査されているのに1804年の地震が無い。
また最新の研究で1833年の地震で輪島において津波が巨大化した事が記されています。
■あと
三方五湖(若狭湾です)の沈澱成分でもほとんど
海水侵入の跡はありません。
伝承はどっちかと言えば琵琶湖の地滑りの誤り
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■いずれにしても…日本海側の津波のリスクは太平洋に比べるとベースが低い
当たり前ですよね…?
■唯津波ですから例外があります。
それが、松島と並び立つ象潟が島で無くなった^^;
象潟地震(1804)です。
この時は5mの津波がありました。
■もう一つの特殊事例が、大した事の無かった
庄内津波(1833)が輪島で巨大化した事件です。
7-8mになりましたけど、富山湾が大きな影響を与えたと思われます。
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■このようにみると若狭湾の津波リスクは
むしろ非常に低い事が分かります。
少なくとも100年から150年は何も起きていませんし、
丹後地震の際もマイナス津波でした。
ただ、リアス式ですので、小さい津波でも
湾の一部だけ巨大化する可能性があります、
ですから、若狭湾自体で地震が起きれば可能性はない訳ではないが
言うほどそんなケースはない、と言う事が推察されます。
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■と、ここでいかがわしい方々の主張もしっかり検証しなくては。
これですね。
大飯原発のある若狭湾には、701年の大宝年間に40メートル超の大津波が押し寄せた.
原発と地震
『丹後一宮・籠神社の奥宮とされる真名井神社の境内に「波せき地蔵」がある。大宝年間の大津波はここまで来たと伝わる。電子地図によっても標高4~50メートル。もし事実ならこの前の東日本大震災の津波よりも高い超巨大津波である。実は風土記残欠には大宝元年、若狭湾に面した「加佐郡凡海郷は一夜にして蒼海となった」とある。』
原子力安全・保安院が昨年の12月に出した報告書「若狭湾沿岸における天正地震による津波堆積物調査について」を見ると、若狭湾沿岸の創建年代の古い神社に聞き取り調査をしている。その中で、
一番創建年代の古い神社が、気比神社だ。標高が2.64メートルだ。海岸から700メートルの距離だ。ただ、創建年代が702年だ。
なぜか、701年の大宝年間に起きたと伝わる40メートル超の大津波の翌年だ。
はい??
気比神社の創建が702年。これ分社じゃね?
あのさ、敦賀気比神宮(本社)を知らない訳??
保食神を祭っている、由緒正しき神宮を。
神功皇后までさかのぼる、あ、だまされちゃ駄目だけど
神功皇后は朝鮮から攻めてきたなんて韓国プロパガンダに騙されませぬよう。
【追記】本文では直ってますけど、問題の気比神社は本宮の事でした【追記終】
歴史 [編集]
当宮が史上に姿を現すのは『日本書紀』神功皇后摂政13年条の、皇后が誉田別命と武内宿禰を参拝せしめた記事であるが、かなり古くから鎮座していたのは確かであり、『気比宮社記』によれば、神代よりの鎮座で、当宮に行幸した仲哀天皇が自ら神前に三韓征伐を祈願し、征伐にあたっても皇后に玉妃命・武内宿禰を伴って当宮に戦勝を祈願させ、その時気比大神が玉妃命に神懸かりして勝利を予言したという。
そんな古い神社が本宮なのに本宮にそんな伝説はない^^;
敦賀ですけど…確かに一応創建は702年。
なんか変ですよね??
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■で、701年は大宝律令制定、文武天皇の時代です。
もうちょっと記録が残っていてもいいのではないのでしょうか。
気比神宮概要: 気比神宮の創建は不詳ですが、はるか太古に伊奢沙別命(気比大神)が天筒の嶺に降臨したのが始まりと伝えられています。文武天皇の御代(697~707)、勅命により社殿が建立され、大宝2年(702)に仲哀天皇と神功皇后の分霊が勧請合祀されました。
もちろん海が荒れたから神功皇后の合祀があったとも言えますけれど
もうちょっとひねってみたいと思います。
津波の一つ覚えでは面白くありません。
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活断層系の地震の場合、多くの場合、沈んだ伝説があります。
益田もそうですし、1600年前後の豊後地震も同様の伝説があります。
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■このように考えると、40mの大津波が若狭湾岸をくまなく襲っていれば
確実に敦賀気比神宮の被災が記録されるはずで、
存在したとしても極めて限定的で、山崩れに近い物ではなかったかと
想像されます。(例、島原大変肥後迷惑):雲仙が崩れて肥後に津波が来た…
しかし、これも堆積物からは怪しい。
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■とはいえ701年の丹後地震はどのようなものだったのでしょう?
基本的には舞鶴系であると思った方がいいのかもしれません。
青野の噴砂と「丹波国地震三日」
■
そして冠島と言う島が舞鶴にあり
何海底遺跡が出ています。
701年の地震で海中に没したと言われる
冠島伝説の本命です。
冠島とは。感動した開祖の祈祷・・・
歴史ロマンを手繰れば、
あるいは気比神宮は元は冠島にあったのかもしれませんし、
地震で津波があった訳ではなく、地震で祭祀設備が
海中に没したと考えるとつじつまが合います。
2011年 7月23日 冠島ツアー
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■もっともまとめて、原発ごと海に沈む可能性もあるのですが(笑)
兎にも角にも40mの大津波は嘘っぽい事が分かって頂けるかと思います。
地震は津波に限らない、日本海側の地震は
島が良く海中に沈む…
どうも沈んだ事におののいて、
気比神宮に海の女神である神功皇后を祭った。
どうもこの辺りが、今分かる歴史の景色の限界と言えそうです。
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■ちなみに琵琶湖
にもそんな遺跡が沢山があります。
つまりこの辺は津波が来るのではなく、
陸ごと沈むのです^^;
間違い:津波で沈んだ
正解?:陸ごと沈んだ
そんな訳で津波のリスクはどうやら嘘っぱちです。
まあ陸ごと沈む方が笑えないけどね^^;