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2010年10月16日

アンドレ・ルフェーブルの ”S" 計画  シトロエンSM

アンドレ・ルフェーブルの ”S" 計画  シトロエンSM アンドレ・ルフェーブルの ”S" 計画  シトロエンSM
 筆者は、ハイドロにもハマってました。DS-21パラス, DS-23パラス, SM(SBSDの5MTとSBSDのAT)、CXプレステージュと共に、緑色の下血を何回も経験しております。
この文はCCJの会報に上梓したもののリメークです。
「アンドレ・ルフェーブルの ”S" 計画」
1955年秋に、アンドレ・ルフェーブルが心血を注いで開発したDS19が発表されました。当時FWDを採用しているメーカーは数えるほどしかありませんでした。シトロエン以外の最大のメーカーはドイツのDKW(アウトウニオン)で、年産5万台のFWD車をラインオフしてましたが、その全部は低馬力(30数馬力)で2サイクル、3気筒のエンジンが用いられてました。北ドイツのボルクワルトグループもロイトとゴリアートと云う11馬力〜40馬力のFWDのスモーラーカーを年産2万5千台ほど生産してました。
一方スウェーデンのサーブはまだ生産台数も少なく、エンジンの基本設計及びレイアウトをDKWに倣っておりました。フランスでは、オチキスやパナールがJ.A.グルゴワール(等速ジョイント、ダブルカルダンの発明者)設計によるFWDのスモーラーカーを生産してました。今だFWDが市民権を得るはるか以前から、量産中型車にFWDを採用し、進歩的なモータリングを提供してきたメーカーはシトロエン以外には無いはずです。
DSのルーツをたどるとトラクシオン・アヴァンにたどり着くのは当然なことでしょう。トラクシオン・アヴァン、つまり前輪駆動、FWDをそのまま車名に冠し、1934年からDS発売の1955年までの永きにわたって生産されたシトロエン初の前輪駆動4ドアーセダンシリーズに言及しない訳にはいかないと思います。この車のオリヂナル設計をしたのがアンドレ・ルフェーブルその人であります。ルフェーブルは、シトロエン移籍前にヴォワサンでグレゴワール特許によるトラクタジョイントを使用した、3リットル、V8エンジンのFWD車の基本設計を完了してました。その後在籍したルノー時代にもルフェーブルはトラクシオン・アヴァンの設計を着々と進めていたのでした。ルノーを退社、ヴォワサンもGMに吸収され、ルフェーブルの夢の具現があやぶまれそうな事態になりました。その時、アンドレ・シトロエンがルフェーブルの夢の具体化に、シトロエン社をあげてバックアップすると云う約束がなされ、ここに、DS、SMまで続くFWDの流れが始まったのでした。
アンドレ・シトロエンはアンドレ・ルフェーブルが完成し、熟成したトラクシオン・アヴァンの設計図を即採用しました。だからこそ運命的な出会いから1年で実車が完成できたのだと云われてます。
このトラクシオン・アヴァンでヨーロッパ大陸をフラットアウトで走る楽しみを知った人達は、もっと強力なモデルの発売を求めました。この企画が幻のV8エンジンの22CVトラクシオン・アヴァンでした。グランルティエをFWDで作ろうと云う訳で、デラヘイやドラージュに許していたマーケットを奪還するはずでありました。
しかし、このスーパートラクシオン・アヴァン22CVは、世界恐慌の波に洗われ、さらに自社製V8エンジンの開発にもつまずき、デモカーを20台(6台という説もある)作ったのみで中止のやむなきに至ってます。
景気の好転やトラクシオン・アヴァンの好売上等により資金力を回復したシトロエンの経営陣は大型のトラクシオン・アヴァンの開発にGOサインを出しました。そこでルフェーブル達技術陣が出した解答は、15−6(カーンズシス)でありました。11CVの4気筒、1991cc、ボア78mm、ストローク100mmのエンジンに2気筒をプラスして、6気筒の2867cc、78馬力エンジンを開発し、ミッション、クラッチ、ダブルカルダンジョイント等を強化して、1938年のパリサロンでデビューを果たしました。
以降、15−6は1955年まで生産されました。
DSの発売の1年前の1954年に15−6Hがラインアップに加わりました。この車のリヤーサスペンションには、金属バネは見当たらず、ハイドロニューマティックサスペンションが採用されており、すでにDSの実験車でテスト済みのメカニズムを最後のトラクシオン・アヴァンにマッチさせたものでした。
15−6Hの実動車について
アメリカのコロラド州デンバー市にお住まいの、シトロエンコレクターであるベンフィールド氏のコレクションに15−6Hの実動車がありました。デンバーのカントリーロードを100Km/hで疾走してました。エンジンルーム内には、ハイポンプ、メインアキューム、LHSリザーバー等が配置され、DS時代の始まりを告げている様でした。

DS19は1950年代のテクノロジーの集積では、正に10年、時代に先んじておりました。DS以降これほどの画期的な工業製品は生まれていないと思います。
しかし、DS発売の翌年、シトロエンの経営陣は、ルフェーブルに質問したと云います。
「次のモデルには、後輪駆動方式を考えてみてはどうかね、FWD前輪駆動車には、将来はあるのだろうか?」
それに対するルフェーブルの解答は、FWDのGTカーを作り、FWDの生産車では、マッハのスピードである200Km/hの壁を破り、走る、曲がる、止まるを実証することでした。
このプロジェクトから生を受けたのが、"SM"で、プロジェクト名を"S"計画といい、コードネームを"SER"と云います。
1957年にルフェーブルは"S"計画のチーフエンジニアーにジャック・ネを任命しました。ジャック・ネは早速プロジェクトチームを社内に作り、シトロエンが誇るルフェーブルスクールのエンジニアー達を"S"計画に参集させたのでした。
元フィアットでレーシングエンジンを設計し、後にタルボラーゴでもエンジンを担当し、1936年にシトロエン入りしてルフェーブルのもとで2CVのエンジンを開発したワルテル・ベッキアに高性能エンジンの開発の指令が発令されました。ベッキアはすでに1953年にV6やV8エンジンを実験しており、"S"計画に参入したときには、すでに軽くてコンパクトなV8エンジンを完成せせていたと云います。"S"プロトは膨大な計算や研究室での実験、分析、データの集積をへて、DSをカット&ショートしたランニングシャーシーを使って基礎的なデータが蓄積され、一歩、一歩前進を始めました。1959年には数台の試作車が誕生しました。DSの直4エンジンの他に、V6エンジン、V8エンジンがあったそうです。1960年にはDSのフレームにオープンのプラスティックボディー車を作っております。1961年には2100cc、4気筒、ツインカム、4バルブ、4キャブレターの15Nエンジンの原型が完成して、普通のDSに載せて180Km/hをマークし、同エンジンを更にチューニングを施し、1962年にDSクーペボディーに載せて185Km/hをマークしました。
これらの実験で速度が180Km/hを越える領域に到達した場合、今までのDS式のステアリングでは満足出来なかった"S"プロジェクトチームは、ハイドロニューマティックを動力源にして"Diravi Directiona Rappel Asservi"と云うステアリングを開発しました。速度感応式で、低速で軽く、高速で重くなり、切り始めで重く、切ってゆく従い軽くなり、常にセンタリングして、その戻る力は低速時や停車時には最も強く、2回転でフルロックというおそろしくクイックなパワーステアリングでした。"Diravi"はSMで採用され、今もって論議をよんでいるステアリングであります。"Diravi"の内の1つの能力であるパーワーセンタリングはCXに受け継がれ、更にXMにまで継承されております。
1962年のプロト車では、SM式の2ファン、2スピードのラジエターやリヤーディスクブレーキが実験に加わっております。1963年には経営陣も"S"プロジェクトを承認しており、当時の社長ピエール・ベルコーは正式に"S"プロジェクトを発動してます。
と、同時にハイドロニューマティックを大衆車に普及させる使命をおびて"GS"の開発も平行して進んでました。
1970年に"GS"が発売されるまではシトロエンには、大型のDSと小型の2CV一族しかありませんでした。
中間車種を全く持っていないと云う弱点があったのです。
"S"ヴィークルの1号車は、1964年にDSのショートフレームにDSのエンジンをハイチューンして載せた、アルミのコンバーチブルボディーでありました。
2号車は、同じボディーにポップアップ式のヘッドライトと新しいハイドロ装置と、130馬力ツインカムの15Nエンジンで190Km/hをマークしました。
"S"ヴィークルが実験を始めたこの年の5月4日、アンドレ・ルフェーブルは不帰の客となりました。
訃報は続くもので、DSと2CVのデザインをリードしたフラミニオ・ベルトーニも同年不帰の客となってます。

1966年、ついにシトロエンのFWD実験車"S"ヴィークルは15Nエンジンと5速ミッションとの組み合わせで、202Km/hをマークすることができました。

1967年にイタリーのマゼラティー社を傘下にしたシトロエンは、更なる高性能エンジンを求めて同社のチーフエンジニアーである、ジュリオ・アルフィエリに"S"ヴィークル用の高性能V6エンジンの開発をオーダーしました。ジュリオ・アルフィエリはマゼラティー・インディー用のDOHC、V8、4146ccエンジンをベースに、2気筒をちょん切り、3102ccの90度V6とし、更に課税馬力15CVに適合するよう、ストロークを10mm縮めて75mmにして、ボアを87mmの2670ccのC-114エンジンを開発しました。
パワーもマゼラティーの基準からすれば落として、耐久性とフレキシビリティーを持たせた、180馬力/6250回転としました。
"S"ヴィークルのマゼラティーエンジン付きプロトは1967年秋に1号車が完成、いきなり215Km/hをマークしました。翌1968年、DSベースのパワフルなマゼラティーエンジン付きの低いプロトは、ミシュランがSMの為に開発したXWX195−70VR15を履いて、220Km/hをマークしました。
ルフェーブルは不帰の客となりましたが、そのアイデンティティーはジャック・ネ達ルフェーブルスクールにしっかりと受け継がれたのでした。
"S"プロジェクトにマゼラティーの"M"をとり、SMというネーミングが決定されました。
SMの生みの親はアンドレ・ルフェーブルで、彼の理想とする真のグランドツアラーがコストをどがえしして、ここにSMとして結晶されました。今でもSMのC114エンジンをカムにのせ、ウェーバー42DCNFの咆哮を聞きながら巡航していると、アンドレ・ルフェーブルが「どうだ!いいだろう!」語りかけてくれます。
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Posted at 2010/10/16 20:34:14

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