
これは、第2回全日本オートバイ耐久レース(通称:浅間火山レース)のパンプレット。
1957年(昭和32年)10月19日・20日の2日間、浅間高原自動車テストコース(一周9.36km)で開催されました。
ちなみに第1回大会は、1955年(昭和30年)11月5日・6日、群馬県北軽井沢の一般道と牧場内を通る、一周19.2kmの公道を封鎖しての行なわれたそうです。 公道を使用してのレースという事で、タイムの公表はされず、公式上、順位のみの発表に留めたとそうです。
国産オートバイの技術・性能向上を目的としていた為、【参加資格】には「国産二輪製造業者」となっていて、【競争車の規定】にも「構成されている部品はすべて国産であること」とハッキリと明記されています。
後半ページには入会申込書・参加申込書・車検証が付いてますよ。
「1957年7月に浅間高原自動車テストコースが建設され、これを期に本格的なレーサーを参加各社は開発する様になった。 このレーサーを開発する事によって初めてスポーツモデルが誕生する所となり軽量な美しい車が市場に出現する事となる。」と私の父が記録を残してます。
この第2回大会は、エントリー11社(ホンダ・ヤマハ・メグロ・ホスク・キャブトン・ポインター・昌和・トーハツ・オートビット・タス・ライラック)が参戦。
クラスは以下の通りです。
125cc(ウルトラライト級):12周 112.3km
250cc(ライト級):14周 131km
350cc(ジュニア級):16周 149.71km
500cc(シニア級):16周 149.71km
私の父はこの浅間高原自動車テストコースで開催されたレース(全日本オートバイ耐久レース、全日本モーターサイクルクラブマンレース)を少年時代に魅了されてしまったようです。
この下の写真は小学生の頃だから、約25年~26年くらい前の写真。
父に連れられ、テストコース跡地での練習へ・・・。
テストコース跡地へは、私の実家から車で20~30分行ったところに有りまして、そこに父と忍び込んで楽しんでました。
今も未だ一部コースが残っていて、知合いの方達とドライブを兼ねて久しぶり行った時の風景です。

この場所は、私にとっても思い出の地です(^^)
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BIKE | 日記
Posted at
2011/01/16 21:13:26