終戦の日の午前中に、日本初のジェットエンジン搭載機が神奈川県秦野市の上空を飛んだそうです。同日午後に終戦になったので、このエンジンの二回目の飛翔は無かったようですが、計画通りなら、ジェット特攻機橘花のエンジンになる予定でした。橘花は当時の最高速機のP51を翻弄する速度を出せたとか…この技術が、スバル・プリンス(日産)に受け継がれたかと思います。