ニュージーランド と 日本の違い
「 俺は どこどこ組の 誰だれだれだ と 名乗られても そうですか それがどうしましたか 」 と 気にもかけない対応が 重要なのです。 特に役所の窓口
これをやらない日本社会の甘さ 弱さに付け込む余地が存在するわけです。 この甘さを突いて 同和 朝鮮人 暴力団 村の議員から国会議員まで などが 付け込んでくるわけです。 終わりの時間には 誰が来ようと閉める。 「 もう 終わりですから 」と誰も入れない。 例え 総理大臣だろうと アメリカの有名人だろうと
特に日本の 役所 役人に 多いんじゃないでしょうか
相手が ちょっとでも 名の知れた人物や有名人 こわもての暴力団 などだと この例外を認めてしまう。( 市役所 県庁 などへ お勤めの方で 議員に言われ 例外的に応じている方 いませんか ) 一度認めると 次から次へと 要求が延々に続く。 そこに こういう輩が付け入ってくるわけです。 そして 各種の一般国民には 知られていない 特権が生まれるわけです。 同和に対して 朝鮮人に対して 議員に対して などなど
日本と ニュージーランドの 思考の違い
時々 私は 銀行へ行きます。
そして 長蛇の列で お客が待っています。 しかし 窓口の人間は いたって マイペース
途中でトイレに席を外すこともあれば 隣の従業員と雑談をすることもあれば 裏へ水を飲みに行く事も しばしば。
決して お客さま 優先なんて 思考は100パーセントない。
大体「 お客様は 神様 」みたいな 思考は無い。
客も従業員も対等 “ タメ ”
こんな事 日本の銀行でやろうものなら すぐ クレームが入りますよね。
そして その従業員は上司に叱られ それに従わなければ 最悪 解雇に追い込まれますよね。
私は これでいいんだと ニュージーランドで暮らす前は考えていました。
でも 今は 全く違います。 その反対です。 誰に遠慮することもなく 自分を中心に物事をやっていくことの大切さを わかるようになったからです。
自分が自分を 一番大切にしないで誰が自分を大切にしてくれますか
自分が自分の子供 女房 家族を 一番に考え 行動しないで 誰が やってくれますか
ひいてはそれが みんなが 幸せになる 出発点だと思いますよ。
日本人の古くからの教え というか 遺伝子の中に 「 他人のことを考えてから 行動したり 発言したりしなさい 」 という 代々続く 刷り込みがありませんか いわゆる 言葉を換えれば 「 せけんてい 世間体 」 これが 全て 今の 日本人社会 日本人を ある意味 立派にさせている要因である反面 ダメにしている原因だと思います。
ニュージーランドにいると 主張しないことは 相手の言い分を 全て こちらが 受け入れていることになります。 彼らは いろんな要求をしてきます。 そこには 非常識と思われることも 平気で 言ってきます。 それに負けないためには きちんと 理路整然と 自己主張をしないといけません。 決して “謙遜“ なんてことをしてはいけません。 ”謙遜”というのは こちらが 一歩でも 二歩でも 三歩でも 相手の言い分を 受け入れる 言ってみれば 負けると言う事です。 これは 世界を相手に やってはならないことです。 これがわからない バカ議員が よく アメリカ シナ チョン 相手にして 不利益な内容で 話し合いを進め 丸め込まれて うまくいったなんて 帰国してくる。
今は 一日も早く ホンダ NEWNSX と NEWビートが出ることを 待ち望む日々です。
白人社会では いわゆる会社の研修などというものは ありません。 会社の研修と称して 個人の物の考え方を 会社の都合に合わせて 変えさせようなんて事すると それは人権の根幹を揺るがすことで 個人を否定することになり ハラスメント こんな会社は 訴訟の連続 ひいては 社会的な非難を受けると思います。 当たり前ですよね。 民主主義の根幹 個人の思想信条の自由 これが最大限尊重されるのが民主主義ですから。 そんな事 個人主義が発達した 白人社会では やってはならないことです。 日本の特性を短い言葉で言えば「 立場の上の人間が 立場の下の人間を 立場という 圧力を利用して 自分の言いなりにさせる 」 それは ある時は家庭で お父さんが 子供や 奥さんに 学校へ行けば 先生が子供に 校長は 普通の教員に 会社に行けば 上司が 社員に 社長が部下に 日本社会は こういう構造の積み重ねです。 押しつけ社会。だから 社会が良くならないんだと思います。だれも おかしいと思うことに声を上げない。 自分が損するから 食って行かなくてはならないから こんな事で 我慢している白人など見たことないですよ。 気に入らなければ さっさと 会社など辞めますよ。子供も 行きたくなければ 無理に学校へ行かないし 親も無理強いはしない。 これが素晴らしいことだと思います。 高岡蒼甫じゃないけど これをやれない日本人 ダメでしょ。 これをやりにくくしている 日本社会ダメでしょ。 何故ダメか 力の強いもの 立場の上のものが ただ 下の者を押さえつけて 社会が成り立っているからです。 言ってみればいわゆる 縦社会 でも このやり方 日本人個人を少しも 幸せにしてないように 最近思うようになりました。 逆らう というか 自分の考えと違うことは やらない 従わない この白人社会の個人的思考の方が 日本人社会の方より 個人の幸せを もたらすと考えるようになったからです。 一生懸命 自分 自分の家庭 を犠牲にし 会社のために尽くして その会社は 例えば トヨタ 日産 ホンダ 円高だからと 日本社会の空洞化お構いなく どんどん 海外へ流失 今まで 我々が頑張ってきたのは 何のためですか 我々 日本人 日本を良くしたいからでしょ。 でも当の会社は そんな我々の気持ちに応えるどころか 裏切りにも等しい行為をとっている。 私は最近 努力して 自分の立場など考えずに 発言するようにしています。 兎角 我々 日本人は 自分の立場 利益 など考え これ言ったら 損だ じゃあ やめよう的思考で 意見を言うと思いますが。
白人社会では 相手がどう思うと お構いなしです。 ただ 自分中心です。 おはようの挨拶も 気が向かない 嫌いな奴だから など 自分本位に やったりやらなかったり だから 結構 相手の言ったことに むかつく事があります。 よく 日本人が言う事に「 挨拶しない 」って のが ありますが そういうお前は 先に挨拶しているのかと言いたくなる事がよくあります。 要するに この言葉の中に潜んだ意味合いは 私の方が社会的には 上だから 先に相手が挨拶しないのは 許し難いと言う事でしょ。 日本社会の本質を如実に表していると思います。 白人社会にはそもそも 上とか 下なんて概念がないんです。 挨拶とは立場などでなく 互いに 気持ちよく 今日一日はどうですか風に 互いに声を掛け合う行為なんです。 日本社会のように 下の者が上の者に「 元気でいらっしゃいますか 」 みたいな お伺いをするような行為じゃないんです。 しかし 相手も こちらの言った事に むかついていると思います。 でもこれが普通なんです。「 お互い 遠慮せずに 正直に 自分の気持ちを 素直に相手に伝える。 」 とかく 日本人は「 これを言うと 相手はどう思うか 」「 これをすると 相手はどう思うか 」 を考えながら 物を言い 行動すると思いますが これが日本人の相手に対する思いやり ひいては 協力の心 地域社会の連帯感 会社組織の連帯感 いわゆる日本人のまとまり性 他人に対する思いやり を 生むと思いますが それが 逆に 我々 日本人自身を 窮屈 個人の権利の犠牲 と言う事に追い込んでいると思います。 これが 個人の自由 しあわせ などを 追及する白人社会 と 団体があって 個人があるという思考の 日本人社会の違いがあると思います。
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