「計画停電」や
「原発事故」についての報道を見ていて思うのですが、この国難にあたって一民間企業である
「東京電力」に
「責任」が問われ過ぎているように見えます。
例えば
「計画停電」
「わかりにくい」とか「あやふや」とかいろんなことが言われていますよね。
人為的に停電を引き起こすことによって起きる
「結果」なんてある程度はイメージできても、すべてを見通すことなんてできます?
「結果」が想像できないことを決断するにあたって
「責任」を負わせると途端に人間は
「無難な線」に走ると思うんですよね。
つまり
「もっとベターだけどよりリスクを伴う決断」であるとか
「ベストかもしれない決断」なんてできやしません。
こういう状況下で政府が
「東電」に言ってやるべきことは、
「この震災に関する電力行政のすべての責任は政府が持つので、技術面の説明以外では表に出なくてよろしい。その代わり、君達は、技術的にベストだと思える提案と作業をしなさい。」
ってことなんじゃないのかなあ。
そして
「原発事故」
なんでも今朝方、菅首相が
「東電」に
「報告が遅い」とマスコミに
「聞こえるように」叱責したとか。。。
発電所の所有権は
「東電」にあっても、ああいうリスクを伴う発電方式を認可しているのは
「国」、そしてその電力が無いと運営できないあり方を選択したのも
「国」。
こんな一大事の下で、何を民間に
「責任」をなすりつけるようなパフォーマンスをしているのか。
報告が遅ければ叱責して当然でしょうが密室でやってください。
そういう連絡体制ができていないことを露呈することによって起こる不安感とか想定できないのか。
そんな
「責任」ばかり問われる状況で、果たして民間の
「東電」が一刻一秒を争う決断なんてできるのでしょうか。
繰り返しますが、今
「東電」に問われるのは
「技術力」であって
「責任」ではないはず。
「国」がつぶれるかもしれない
「責任」を負わされたものが
「技術力」を最大限に発揮できるとは到底思えません。
長文すいませんw
【追伸】東京電力の大株主10位以内に入っているのは、機関投資筋以外は「東京都」のみです。
Posted at 2011/03/15 22:00:16 | |
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