マニラに仕事で行きました。
実は高熱にうなされ予定をことごとくキャンセル
水あたりだそうですが
初めてフィリピンの病院に行きました。
日本から持って行った薬が効かないので病院に行くとあーらびっくり
だいぶ回復しました。
思ったのは海外でかかった病気には海外の薬がよく効く
日本に帰ってきた今も完全ではありませんがだいぶ直りました。
後半の予定を全て前半に入れてなんとか重要な部分を無理矢理済ませたので
ホテルで氷枕を頭に寝ているしか有りません
寝ていると看護婦のお姉さん21歳は2時間おきにチェックに来るし
おちおち寝ても居られません
ドアを3つ開けなければ玄関ドアにたどり着かないような部屋でベルなど鳴らされても
迷惑なだけでだけですが、返事しないと勝手にセキュリティとマネージャーとクラークと
4人で勝手に入ってくるようになりました。死んでるんじゃないかと思われたのか?
ご迷惑をおかけしました。ありがとうございしました。
さてここからですが以下の分は単なる私の旅行記ですから思想的なお話ではありません
このあたりをご理解の上、お読みいただけない方は決して読まないで下さい。
ご質問をお受けいたしてもお返事できないと存じます。
私は、海外に行くと歴史的な戦地に行くようにしています。それは、伝聞ではなく
自分の目で見て現地の人の話を聞いて、それから自分の意見を持とうと思うことともう一つは
やはり慰霊です
慰霊が殆どで、可能ならお線香を持って行き手を合わせます。
今回は実は 山下奉文氏と本間雅晴氏の慰霊とバターン死の行進の慰霊
まずはロスパニョス・パランガイ・ティムガン
マカティから車で2時間ほど
慣れた人なら1時間半くらいでしょうか
でも慣れた人などいません、一度探されるとわかります。
ここはもう申し訳ありませんが事実だけ述べると忘れ去られつつある場所です。
誰に聞いても知らないという、私も全然その存在すら知りませんでした。
ただ現地の人がやたらと山下財宝は?とか聞くので
ネット検索するときれいに整備された場所が載っていたのでお参りに行こうと思いました。
現実は違いました。
ネット検索は山下奉文大将終焉乃地で整備直後の写真が見れます。
general yamashita monument と聞いても誰も知りません
yamashita shirineと呼ばれています。
数年前に整備されたと聞きましたが実際現地に行ってみると
草が生い茂り歩くことはままなりません。
管理人さんはいるのですがケートは洗濯物ほしになっています。
普通に歩くと転けます。
社の中には生前の写真と一輪のポピーの鉢植えがありました。
その部分だけはとてもきれいに掃除されていました。
ただ、数年前に整備したと言われているトイレはほぼ廃墟でした。
地面が傾斜しているので建物をそこに置くと不均等に地滑りするので
写真で見ておわかりのように建物が割れるのです。
本間氏の碑文もかなり痛んでいました。
後数年は持つでしょうが、修復しなければ割れます。
でもね、みなさん。ここを訪れる人は1年に1組
私などあなたが一月にここに来てくれたから今年はもう終わりだと
言われました。又来る人がいて管理人が鍵を開けてもチップすら渡す人など無いそうです
no way
私は、ドライバーさんにこの地の1月分の収入を聞き
このお金を差し上げるからすぐに整地してもらえないだろうかと
現地の人に提案しました。
訪れる人は珍しいので沢山人が集まってきますが、誰も物乞いなどしません。
提案を受け入れてくれたのでお願いしました。
人の評価は様々ですが、同じ日本人として雑草に埋もれていく様を見るのは忍びないです。
ここは、現在山の中ですが、むかしは日本軍のキャンプが有った場所だそうです。
山下氏が絞首刑にあった場所は雑草の中にコンクリートで目印があるだけです
その木はとても古い木で枯れたそうです。
この案内をしてくれたこの管理人さんは代々この社を管理してくれているそうです。
ガイドさんを雇うよりも現地に代々住んでいる人の話を直接聞く方が信用できると私は思います。
語学力は必要ですが
フィリピンに来ればマンゴーの木はどこにでも有ると思いがちですが
このあたりに2本しかマンゴーの木はありません
1本は山下氏が絞首刑された木
そしてその木の子孫であるこの木
形はそっくりだそうです。
絞首刑された場所は見晴らしの良い所です。
現地の人で目撃した人はいるかもしれませんし、その後も知っているのかもしれません
ただそれを今どうかこうかしても無意味です。
木の持ち主からマンゴーを頂きました。
このマンゴーは特殊な種類のマンゴーで珍しいそうです。
よく山下財宝と言われますが
私は、そんなものあるはずがないと思っています。
理由は、もしマニラに来られたらアヤラ博物館等に行ってみてください。
古い金製品は有りますが、どれも繊細な作りです。
わかりやすく言うと薄いのです。怒られるかも
金を大量に持っていた国の金製品は簡単に言うと厚くて堅いのです。
又、スペイン・アメリカの植民地であったフィリピン。
もし豊かならスペイン人かアメリカ人が持って帰った後に違い有りません。
もし、豊かならホセリザールは殺されずにすんだと
上記の説明をフィリピン人にするとあなたは正しいと皆言います。
おとぎ話ですね。
ここにはトヨタのアルティスで行きました。
とても乗り心地がよくて楽でした。
次は
バターン死の行進の慰霊です。