
「NO TOURING NO DRIVE」
1988年式 ホンダ USアコード クーペ
カルマンギアを降りる事を決めたのは1992年の夏
住んでいた町が首都圏でも有数の中古車屋が密集している千葉県の市川、浦安地区だったので、夜中にうろうろ徘徊しては、次の愛車を物色していた。
コンセプトというか方針は決まっていて、狙い目はズバリ!
“インチキ アメ車"
俺の作った言葉ですが…
①逆輸入車、
②れっきとしたアメ車なんだけど、中身は日本車、
③普通に国内で売っているが、対米輸出がメインなので、日本ではクルマのキャラや税制等で、いろいろ都合の悪い部分があってほとんど売れてないクルマ。
こんなクルマの中から次期愛車を選ぼうと思っていました。
アメリカンなテイストがありつつ、信頼性の高い日本のクルマ、身体が左ハンドルに慣れていたので、絶対条件ではないものの、出来れば左ハンドルで。
浦安、市川地区は、当時中古車販売の大手二社が競い合って支店網を拡充していたんですが、両社共にクルマのジャンル別の店舗を街道沿いに次々とオープンさせていて、クルマを買おうとする人にはとても便利な環境でした。
そんな中で真っ先に欲しいなと思ったのは、インチキアメ車の③に属する
「マツダ プロシードキャブプラス」
でした。ハンドルこそ右でしたけど、見た目はもう完璧にアメリカンピックアップでした。キャブプラスの名前の通り2ドアでしたが、4名乗車が可能で国内販売はガンメタとレッドのみ、エンジンは2600ccガソリン4気筒のみ、4駆で5MTのみ、登録は1ナンバー、
こんな条件の悪い男らしい物件なかなか出ません!
何よりルックスに一目惚れでしたが…
いかんせん販売会社の「オー○ガーデン」はカルマンギアの下取りを丁重に断ってくれたので、残念ながら縁がなかった。
②に属するのは「フォード プローブ」なんですが(中身はマツダのカペラ)、何台か見た個体はイマイチ心に触れません。
そんなわけでいよいよ①なんですが…
相当に気に入ったのがありました。
近年のクルマ映画の傑作シリーズの「ワイルドスピード」で一躍有名になったスポーツコンパクト 通称スポコンの元祖ですねぇ。
「初代 三菱エクリプス」
カッコ良いなーと心底思いました。エクステリアもインテリアも解りやすいスポーティー風味で左ハンドル。
これは良いやと思ったものの、販売会社が「オー○ガーデン」だったので、別の個体を探そうかな~と思っていたところに、住まいのすぐ近く歩いて30秒の小さな個人経営の店でばったり出会ってしまったのが、
ホンダ USアコードクーペ(E-CA6) 1988年式 でした。
予備知識はあったけど実際に見た第一印象がなかなか良かった。いかついプレリュードって感じですが、内装が他の何にも似てない正にアメ車の内装そのものです!
同僚が同じアコードのエアロデッキというクルマに乗っていて、時々運転代行を頼まれた時にも、良いクルマだなぁと好感を持っていた。
買おう!
そう決めてからは早かった。
小さい店の良さなのか…
カルマンギアにも値段を付けてくれて、いくらか残る残債込みでローンを組み直して乗り出すまでに10日前後と仕事も早い。
ガンメタ外装にワインレッドの内装&同色の本革シート、BOSEサウンドシステム、220km/hまで刻まれたメーター。
いろいろ新鮮な事ばかり。
120馬力ってこんなパワーあったのか!?
さすがホンダ!
そのエンジンに組合せられるのはクルマ人生初の“AT"
左ハンドルのセンター付近には「オートクルーズ」のコントロールスイッチと至れり尽くせり。
2ドアだけど室内広い、トランクも広い。
何も言う事無しの素晴らしいクルマだったので、CDチェンジャーを追加したり、中古のBBSを買ってピレリを履かせてご満悦だったりと楽しく付き合っていたけど一番良かったのは“長旅"です。今の女房の実家の宮城県や、仲間とクルマを連ねて京都に行ったりと…
所有期間中にトラブルらしいトラブルが皆無だったので、安心してどこへでも行けた… そんな当たり前の事がありがたくて歴代のクルマ達の倍近い約4年間に渡り乗っていたが必要に迫られて、買い換える事に。

Posted at 2011/03/03 14:24:46 | |
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