
いろいろあった今年も今日で終わり…
みん友の皆様方には、日々の暮らしに新しい彩りをプラスしていただいて本当に感謝しています。
いろんな方々の「整備手帳」,「パーツレビュー」,そして,「ブログ」が今年のカーライフ…
いや…カーライフにとどまらず、
日常までも楽しくしていただいた一年でした。
本当に感謝です。m(__)m
さて、
今年最後のブログになりますのでちょっといつもとは違った感じの話しを…
「マブダチとクルマ」の話しです。
写真は90年代初めに流行っていた“パノラマ写真"にプリントした物で、写っているのは“俺のカルマン"、“K林のM3仕様BMW"そして俺のマブダチの1人“T司"の愛車“フェアレディZ300ZX"
【初年度登録】1990年物で、最初のオーナーは俺と同じ年(誕生日も2日違い)で仕事上では相棒の“F富"
俺が1990年にカルマンを手に入れたのとほぼ同じタイミングで“F富"はそれまでのテラノに代えて、フェアレディZを手に入れた。
当時の職場は大抵二人一組で特定の商品の営業成績を追求していく体制でした。
“F富"は仕事上の相棒ではあったけど、正直そんなに良い相棒と俺は思っていなかった。
すごいハイレベルの商品知識と営業の手腕を持っているくせに、“気分"で仕事をするようなところがあって、勤務態度もあまり良い方ではなかったし、上の人間に良く思われようなんて事は少しも考えてない自由な男だったので、社内的な報告や連絡業務は俺の負担が多く、とにかく楽をさせてくれない相棒だった。
当時同じ職場で働いていた今は「みん友」でもあるマブダチMr.TKもやはり仕事上の相棒には恵まれず、とにかく気が合わない仲の悪いコンビだった。
(そうだったよね!?Mr.TK)
そんな“F富"は酒もタバコもやらない男だったけど、とにかく多趣味な男で職場にいろんな遊びを流行らせるブーム“仕掛人"の一面も持っていて、同じクルマで遊ぶのでも俺みたいに街を流してナンパ…とはまるで違って、サーキットの走行会に行ったりしていた。
ライバルはGT-Rと広言していて愛車のZは「ジュンオートメカニック」でチューニング!
サバイバルゲームを流行らせたのも“F富"
俺もグリーンガスのボンベ(当時)を使うマシンガンの「P90」とガスガンのガバメントなんか買っちゃって楽しく遊んだっけ…
そんな“F富"は1992年の初めにガンでこの世を去りました。26歳になるちょっと前に…
マブダチの“T司"は“F富"とはマブダチで“F富"が目指していながら志し半ばで断念せざるを得なかったフェアレディZのコンプリートカスタムの夢を、自分が引き継ぎたいとの思いに駈られて…
多額なローンの残債ごとフェアレディZを引き継ぎました。
そういったケースではローンの名義変更は出来ず…
一括返済をしなければならなかったけれど…
“T司"は金をどうにかかき集めて“F富"の夢を引き継ぎました。
“F富"の親御さんも“T司"には感謝していたけれど…
“T司"が本当にすごいのは…
そのフェアレディZをいまだに“ベストコンディション"で維持している事です。
埼玉は東所沢の駅前に住んでいたのを、フェアレディZの為に【地下駐車場】を備える東京江戸川区のマンションに引っ越し…
金をかけて手をかけてカスタムもチューニングもメンテナンスも進行させて、登録以来22年は経とうという個体を今でもバリバリの現役で維持している。
長い所有年月の間には大小様々なトラブルがあって、相談をされたり愚痴を聞かされたりした時、俺やマブダチの“K"(俺のマブダチはMr.TKとT司とKの3人です。)はいつも言いました。
>もしF富が今でも生きていたとして間違いなくフェアレディZから違うクルマに乗り換えているか、もしくはクルマ以外の何かに夢中になっていると思うよく
T司は「俺もそう思う…」とは言うものの、結局何とか困難な局面を乗り切って今にいたってます。
今、俺がアルトに装着しているステアリングはそんなフェアレディZの“お下がり"です。
マブダチとクルマの話しでした。
※写真は俺が初めて一人暮らしをしたアパートにKとT司が遊びに来た時の模様
青いジャンパーがT司。
白いTシャツ姿がK。
幌を下ろしたシティカブリオレはKの5台目の愛車。
それでは皆様
良いお年を!

Posted at 2011/12/31 02:40:54 | |
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