2011年05月21日
ちっぽけな私が、
おもちゃを片手に、
あっちゃらこっちゃら、とんでまわる。
私がカメラに興味を持ち始めたのは、小学生のころ。
祖父がカメラ好きで、いろんなものを撮っては現像してプリントして、
祖母に見せていました。
出張やお出かけの先でのことを、
その写真を広げながら、
祖母にお話ししている景色を、
見ながら育ちました。
二人は本当に仲良しで、
私などは入っていけないくらい、
微笑みあって過ごしていました。
祖母がアルツハイマーを患っていることがわかってからも、
祖父はいろんな写真を彼女に見せて、
いろんな話を聞かせていました。
「これは、何という花なんや?」
「これはね、チョコレートコスモスっていうんですよ。
色がね、チョコレートみたいでしょう」
「本当だね、食べたら、甘いのかな?」
「おばかさんですね、コスモスが甘いわけがないでしょう」
「食べたことがあるのかな?」
「ないけれど、多分、甘くはないでしょう」
「それじゃ、二人で食べてみなきゃねえ」
「そうだねえ、食べてみなきゃ、わからないものねえ」
印象に残っている、二人の会話です。
祖父の写真は、彼の性格からか、
非常に生っぽい質感にあふれた、
そこにそれが触れるような、
緻密な生き生きとしたものでした。
私がカメラをいじり始めてはじめて実感したことですが、
そういう写真を撮るには、
結構な努力が要ります。
努力以上に、思いが要ります。
自分が今見ている、それを、
それに感じている自分の思いを、
なにものかに託して、伝えたい。
共有したい。
そして、
本当は隣にいてそれを一緒にいま見たい。
難しい時代に国際結婚をして、
いろんな苦労を共にして、
手を携えてやってきた、
そんな二人はニコイチで、
一緒にいろんなものを見てきた。
祖父のカメラは、
二人が別々にいる時間だって、
二人が一つであるために、
大活躍をしていたのだと思います。
そんな祖母は他界して、
そんな祖父も他界して、
私の手にはカメラが残り、
二人のほのぼのが残り、
私には大事な友人ができた。
友人・・・
それの定義をなんのかんのは、
今はどうでもいいんですが、
カメラを持って、
そのファインダーを覗く瞬間、
見える人がいる。
それは友人だと思います。
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(C)freurein
世界にふれて、
それを美しいと思い、
それを見ていただきたいと思い、
そして本当はもっと近くで一緒に見たいと思い、
シャッターを切る。
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(C)freurein
私にとって、
写真とはそういうものです。
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(C)freurein
そして、ここのような、
共有できるスペースがあるということは、
写真を撮る大きなモチベーションであります。
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(C)freurein
目で見たままを撮ることは、
本当に難しくて、
目で見る以上に何かを表現したい時も、
目で見る以上の匂いとか温度とか味とか、
そういうものを伝えたい時も、
どうしたら伝わるだろうと思い、
私はおもちゃを持て余してしまいます。
053 posted by
(C)freurein
写真でなくても、
物事を伝える手段はたくさんあります。
でも、
言葉にならない瞬間を、
言葉にできない不器用者は、
写真に託してお伝えしたい。
019 posted by
(C)freurein
→だからって、
それによりかかって言葉や表情が貧困になってはいけませんけれど。
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(C)freurein
先日、バルバラの訳詞をしていて思ったことがありました。
詞の中に、
誰にも自分の太陽があり、
誰にも自分の悲劇があって、
誰も私の喜びなんて、
誰も私の悲しみなんて、
わかってなんてくれないの。
という一節がありました。
そう、
本当にそうだと思います。
完璧に誰かほかの人と、苦悩や喜びを共有することなんてできないのだと思います。
そんな時、
人間って結局はひとりぼっちなんじゃないかなって思ったりします。
014 posted by
(C)freurein
病に苦しむ人、
災害にあった人、
人に言えないものを持った人、
どんな人だって、
自分の太陽と影を持ったまま生きている。
そしてそれを、完全には共有できなくて、
その違いにさみしさを感じて生きている。
あるいは、あきらめて生きている。
あるいはわかりたくて悩んでいる。
034 posted by
(C)freurein
でも、
わかりあうことはできなくても、
分かち合うことはできる。
私は、分かち合いたい。
046 posted by
(C)freurein
そんな思いで、
シャッターを切ったり、
言葉を紡いでいったり、
そんなやり取りが私を孤独でなくしているということに、
ようやく気付いた、
汗ばむ陽気の一日。
sakura/freurein/20110520/facebook
Posted at 2011/05/21 12:06:10 | |
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文書保管庫 | 日記
2011年04月10日
セヴァン・スズキ のスピーチ。
(原文)
Hello, I'm Severn Suzuki speaking for E.C.O. - The Environmental Children's organization.
We are a group of twelve and thirteen-year-olds from Canada trying to make a difference: Vanessa Suttie, Morgan Geisler, Michelle Quigg and me. We raised all the money ourselves to come six thousand miles to tell you adults you must change your ways. Coming here today, I have no hidden agenda. I am fighting for my future.
Losing my future is not like losing an election or a few points on the stock market. I am here to speak for all generations to come.
I am here to speak on behalf of the starving children around the world whose cries go unheard. I am here to speak for the countless animals dying across this planet because they have nowhere left to go. We cannot afford to be not heard.
I am afraid to go out in the sun now because of the holes in the ozone. I am afraid to breathe the air because I don't know what chemicals are in it.
I used to go fishing in Vancouver with my dad until just a few years ago we found the fish full of cancers. And now we hear about animals and plants going extinct every day - vanishing forever.
In my life, I have dreamt of seeing the great herds of wild animals, jungles and rainforests full of birds and butterflies, but now I wonder if they will even exist for my children to see.
Did you have to worry about these little things when you were my age? All this is happening before our eyes and yet we act as if we have all the time we want and all the solutions.
I'm only a child and I don't have all the solutions, but I want you to realize, neither do you!
You don't know how to fix the holes in our ozone layer. You don't know how to bring salmon back up a dead stream. You don't know how to bring back an animal now extinct. And you can't bring back forests that once grew where there is now desert. If you don't know how to fix it, please stop breaking it!
Here, you may be delegates of your governments, business people, organizers, reporters or politicians - but really you are mothers and fathers, brothers and sister, aunts and uncles - and all of you are somebody's child.
I'm only a child yet I know we are all part of a family, five billion strong, in fact, 30 million species strong and we all share the same air, water and soil - borders and governments will never change that.
I'm only a child yet I know we are all in this together and should act as one single world towards one single goal. In my anger, I am not blind, and in my fear, I am not afraid to tell the world how I feel.
In my country, we make so much waste, we buy and throw away, buy and throw away, and yet northern countries will not share with the needy. Even when we have more than enough, we are afraid to lose some of our wealth, afraid to share.
In Canada, we live the privileged life, with plenty of food, water and shelter - we have watches, bicycles, computers and television sets.
Two days ago here in Brazil, we were shocked when we spent some time with some children living on the streets. And this is what one child told us: "I wish I was rich and if I were, I would give all the street children food, clothes, medicine, shelter and love and affection."
If a child on the street who has nothing, is willing to share, why are we who have everything still so greedy? I can't stop thinking that these children are my age, that it makes a tremendous difference where you are born, that I could be one of those children living in the Favellas of Rio; I could be a child starving in Somalia; a victim of war in the Middle East or a beggar in India.
I'm only a child yet I know if all the money spent on war was spent on ending poverty and finding environmental answers, what a wonderful place this earth would be!
At school, even in kindergarten, you teach us to behave in the world. You teach us:
not to fight with others,
to work things out,
to respect others,
to clean up our mess,
not to hurt other creatures
to share - not be greedy
Then why do you go out and do the things you tell us not to do?
Do not forget why you're attending these conferences, who you're doing this for - we are your own children.
You are deciding what kind of world we will grow up in. Parents should be able to comfort their children by saying "everything's going to be alright', "we're doing the best we can" and "it's not the end of the world".
But I don't think you can say that to us anymore. Are we even on your list of priorities? My father always says "You are what you do, not what you say."
Well, what you do makes me cry at night. you grown ups say you love us. I challenge you, please make your actions reflect your words.
Thank you for listening.
1992, June
Posted at 2011/04/10 08:11:05 | |
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文書保管庫 | 日記
2011年03月31日
おはようございます。今朝はトラックの中から朝日を見ました。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は先週から一週間ほど宮城県に行っていました。
今は、その帰りの途中です。
今回、ご縁があって、被災地に向かいました。
本当は行きたいのに行けない方々が多い中、私のような半人前が行って申し訳ない思いでした。
最低でも足手まといにはならないように、事前に主治医と相談&調整をし、気力体力ともに万全を期して行ってまいりました。
幸い自分の体のことで悩むことはあんまりありませんでした。
しかし、行くといって行ってから。
現状を見て愕然とするほかない、自分のキャパシティを超えた状況に、ただ毎日目の前のことに取り組み目の前のひとを見て息を止めるしかなかったのが実際です。
ずっと頭の中でピロンピロンピロンと地震の警報が鳴り続け緊張が続き、鳥肌が立ち、目が閉じれない、そんな状態でした。
地震、津波、その直後、それを現場で体験していない私は、単に追体験をしているに過ぎないというのに、心が空っぽになるような状態でした。
これまで言葉をひねくりまわして生意気言っていた自分ですが、言葉が出てこない、というより、自分をどの感情においていいのかすらわからない。
悲しいのでもない、辛いのでもない、ただ、こういうのを「ショックを受けている」というのかもしれません。それすらまだわかりません。そう言っていいのかすらわかりません。
心配をかけたくないという思いが無意識に働いたのか、私は自分の危機的な状況を明らかに出来なかった。
気がついたら当たり前の自分の姿を演じている自分がいます。
これが防衛機制の一種だということは認識しています。
ずるいことだと思います。お許しください。
しかし、どうにもまだ、消化できていないんです、できないと今現在思っています。時間が経ってからはわかりませんが。
適当に言葉にしてしまえば楽になります、言葉に表すことで勝手に整理して自分の都合がいいように状況を操作するということです。それはしてはいけない。いけないことはないかな、したくない。
楽になりたい、言って楽になりたい。言うことで私は今こんな状況なんだ、事態はこんなものなのだと納得してしまいたい。
でも、まだできません。
言葉を学ばせていただき、言葉の持つ力をわずかながら感じさせていただいたからこそ、いま、言葉を使いたくない。
報告のように、現地からしかるべきところに報告していたようにここに書き散らしても仕方ないと思います。
私という小さな器が見聞きしてきたことを、自分の言葉で自分の心でお話しできるまで、そう納得できるまで、いや、一生涯納得なんてできないと思いますが、今できる最大限のものでお話しできるまで、少々時間をいただきたく思います。
ですが、必ずそうすると誓います。そのために私は行ったんだ、現地でわずかばかり活動の一部分となれたかもしれないことよりも、それを発していくことこそが、私の、ある意味使命だと思っています。僭越なことを言っているのは重々承知です。
私の命はいただきものです。
一度ならずも二度までもいただいた自分は、一生、ひとの命とかかわりあって生きていきたいと心に決めています。
このようなことを言うとあんまりですが、人はみんなひとり、孤独なものだと思います。
もちろん、家族や友人など、心通わせ支えていただきながら生きています。でも、根幹を見ていくと、自分という個の孤独の上に人と手をつないでいることがわかります。
さみしいから手をつないでいるのか、いや、そうじゃないんだ、でも、そうかもしれない。ただ、それを補償やかりそめとは思わない。
ネグレクトというのがいじめのなかでもっともたちが悪いといいますが、本当にそうだと思います。
誰でも、好きな人でも嫌いな人でも、関心を持つことでかかわりあう、そうして私たちは一人ではなくなっているんだと思うんです。
興味本位からともに痛みを感じるまで、いろんな関心がありますが、そのどれについても言えることなんじゃないかと思います。
私は甘ちゃんです。関わることで一人じゃないと思いたいのかもしれない。その人のことを思う以前に自分のことばっかり考えているんだろう。
でも、そこを抜ける手立てはこの関わりの中から探っていくしかないようにも感じています。
多分言っていることが支離滅裂で余計に、こいつ大丈夫かいな、と感じさせてしまうかもしれませんが、
正直、今、京都に帰る車に乗っている安心感がこのような文章を書く余裕を与えています。ひどい奴だと思います。
心身一体。
とりあえず帰ったらちゃんと食って寝てそれから・・・そう思います。
被災地を離れたくなかった。でも、離れて出来ることを考えよう、そう思います。
Posted at 2011/03/31 10:08:20 | |
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文書保管庫 | 日記
2011年03月21日
以下に書くことを不快に思う方がいらっしゃったら申し訳ない。
が、話したいことがある。
このところ、震災に関しての様々な議論があらゆるところで活発になっている。
悪いこととは思わない。むしろ、言葉を秘めて悶々と過ごしている方々の声が聞こえなくなることが問題ではないかと思う。
言う人は言うのだ。
言えなくなる人は言えなくなるのだ。
言えなくなる、というのは、どこかに、
申し訳ない、
不謹慎である、
適切な言葉が見つからない、
その他、様々な要因があろうかと思う。
では、不謹慎であるということはどういったことなのか。
今回の大きな災害に接し、多くの方々がその被災者に対して哀悼の感を禁じ得なかっただろう。
私もそうだ、ぬくぬくと過ごし温かい飯を食い布団で寝る、それが罪悪であるかのように感じる。
あちらでは大変な状態が今も続いているのに、こちらではふだんとさして変わりない生活が続いている。それが申し訳なく感じる。
今の自分の時間を切り取って被災者の方に差し上げたいと思う。
自分の口に運ぶものを彼らにと思ってしまう。
実際にできないことから、それらの感情を、
偽善、と思う。
また、そうしたい気持ちを口にする人を、偽善者であると転嫁する。
いや、はけ口とする。
だが、
そう思う気持ち自体を否定するのはどうか。
痛いと感じる気持ちを否定するのはどうか。
痛いと感じている人がいるのは事実だ。
問題は、なぜ自分が痛いと感じているのかだ。
共感か。
共感ならば自分と相手を照らし合わせ共通するところにおいて感じていることになる。
想像の世界で自分だったらどうだろうと思うところにおいて共感というのは、仮想だ。
仮想が不確かなものであるがゆえにその共感というものに疑問を感じる。
そして、自分の感じる痛み自体に疑問を感じる。
これは、うそものか。
本当の悲しみや痛みを感じれないから、想像の中の悲しみや痛みをうそものと思う。
そして人は口をつぐみあらゆる行いを慎む。
そしてうつむいて不謹慎という衣を被る。
大きな、莫大な停滞の始まりだ。
悲しみを、痛みを、乗り越えよう。
それは決して不確かな行いではない。
痛かった分、超えて成すことには重力がかかってくる。
痛かった、ということを誰かに知ってもらうがために不謹慎という衣を被ることをやめてみないか。
相手を不快にさせるのではないかと停滞することをやめてみないか。
心から湧き出すエネルギーを、世間からの風当たりを超えた場所で出してみないか。
また、
申し訳ないと思う相手はどこにいる。
被災者か。
その被災者がかわいそうだから私たちが何かしてあげようという考え方なのか。
そうではないはずだ、いずれ私たちはそれを一緒に担ぐのだ、そう思わないで一方的に助けるなんていう考え方では、風化して当たり前だ。
目の前のフラッシュにめまいする時期は過ぎた。
足元を見て、一番近い人を見て、自分の役割を見直し、
前へ。
Posted at 2011/03/21 01:03:59 | |
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文書保管庫 | 日記
2011年03月16日
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。
立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司
Posted at 2011/03/16 18:30:50 | |
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