2011年03月31日
おはようございます。今朝はトラックの中から朝日を見ました。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は先週から一週間ほど宮城県に行っていました。
今は、その帰りの途中です。
今回、ご縁があって、被災地に向かいました。
本当は行きたいのに行けない方々が多い中、私のような半人前が行って申し訳ない思いでした。
最低でも足手まといにはならないように、事前に主治医と相談&調整をし、気力体力ともに万全を期して行ってまいりました。
幸い自分の体のことで悩むことはあんまりありませんでした。
しかし、行くといって行ってから。
現状を見て愕然とするほかない、自分のキャパシティを超えた状況に、ただ毎日目の前のことに取り組み目の前のひとを見て息を止めるしかなかったのが実際です。
ずっと頭の中でピロンピロンピロンと地震の警報が鳴り続け緊張が続き、鳥肌が立ち、目が閉じれない、そんな状態でした。
地震、津波、その直後、それを現場で体験していない私は、単に追体験をしているに過ぎないというのに、心が空っぽになるような状態でした。
これまで言葉をひねくりまわして生意気言っていた自分ですが、言葉が出てこない、というより、自分をどの感情においていいのかすらわからない。
悲しいのでもない、辛いのでもない、ただ、こういうのを「ショックを受けている」というのかもしれません。それすらまだわかりません。そう言っていいのかすらわかりません。
心配をかけたくないという思いが無意識に働いたのか、私は自分の危機的な状況を明らかに出来なかった。
気がついたら当たり前の自分の姿を演じている自分がいます。
これが防衛機制の一種だということは認識しています。
ずるいことだと思います。お許しください。
しかし、どうにもまだ、消化できていないんです、できないと今現在思っています。時間が経ってからはわかりませんが。
適当に言葉にしてしまえば楽になります、言葉に表すことで勝手に整理して自分の都合がいいように状況を操作するということです。それはしてはいけない。いけないことはないかな、したくない。
楽になりたい、言って楽になりたい。言うことで私は今こんな状況なんだ、事態はこんなものなのだと納得してしまいたい。
でも、まだできません。
言葉を学ばせていただき、言葉の持つ力をわずかながら感じさせていただいたからこそ、いま、言葉を使いたくない。
報告のように、現地からしかるべきところに報告していたようにここに書き散らしても仕方ないと思います。
私という小さな器が見聞きしてきたことを、自分の言葉で自分の心でお話しできるまで、そう納得できるまで、いや、一生涯納得なんてできないと思いますが、今できる最大限のものでお話しできるまで、少々時間をいただきたく思います。
ですが、必ずそうすると誓います。そのために私は行ったんだ、現地でわずかばかり活動の一部分となれたかもしれないことよりも、それを発していくことこそが、私の、ある意味使命だと思っています。僭越なことを言っているのは重々承知です。
私の命はいただきものです。
一度ならずも二度までもいただいた自分は、一生、ひとの命とかかわりあって生きていきたいと心に決めています。
このようなことを言うとあんまりですが、人はみんなひとり、孤独なものだと思います。
もちろん、家族や友人など、心通わせ支えていただきながら生きています。でも、根幹を見ていくと、自分という個の孤独の上に人と手をつないでいることがわかります。
さみしいから手をつないでいるのか、いや、そうじゃないんだ、でも、そうかもしれない。ただ、それを補償やかりそめとは思わない。
ネグレクトというのがいじめのなかでもっともたちが悪いといいますが、本当にそうだと思います。
誰でも、好きな人でも嫌いな人でも、関心を持つことでかかわりあう、そうして私たちは一人ではなくなっているんだと思うんです。
興味本位からともに痛みを感じるまで、いろんな関心がありますが、そのどれについても言えることなんじゃないかと思います。
私は甘ちゃんです。関わることで一人じゃないと思いたいのかもしれない。その人のことを思う以前に自分のことばっかり考えているんだろう。
でも、そこを抜ける手立てはこの関わりの中から探っていくしかないようにも感じています。
多分言っていることが支離滅裂で余計に、こいつ大丈夫かいな、と感じさせてしまうかもしれませんが、
正直、今、京都に帰る車に乗っている安心感がこのような文章を書く余裕を与えています。ひどい奴だと思います。
心身一体。
とりあえず帰ったらちゃんと食って寝てそれから・・・そう思います。
被災地を離れたくなかった。でも、離れて出来ることを考えよう、そう思います。
Posted at 2011/03/31 10:08:20 | |
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