2012年02月23日
ちょこっと、タダピさんに連動。
青い空の写真を撮って、思いだしたものがあったので、
こちらに保管しときます。
数年前に書いたブログの転載です。
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早朝は静かな街を独り占めできるみたい。
朝から、いつもよりも遠出のランニング。
昨晩、強制シャットダウンかけた身体は、朝に軽く、まだ朝焼けの赤みが残る空まで駆けのぼれるような気がした。
少し痩せていた事にも気付いた。
酸素が体の隅々に行き渡り、細胞が燃えるような復活の脈拍の音。
こりゃいかんと、開店したてのササキパンに駆け込んで甘いコーヒーと甘いメロンパンを仕入れて、
ヨタヨタと寺の境内に座り込み流し込む。
流石に甘いもの×甘いものはくどかった。
竹箒を持った住職が私に気付いて、
しばらく後に暖かいお茶を淹れて隣に座る。
『今日はまたおはようお越しで』
『おはようございます、今日は天気も良かったもので』
『いい、青空やなぁ、吸い込まれそうや』
『吸い込まれる、ですか』
『遮るものなくて吸い込まれそうや』
どきり。
空へ吸い込まれる話をしていたところだった。
その空は爽やかさの意味ではなく、おそらくは彼岸、そして青は恐ろしいと、そんな話をしていた昨日。
今朝見た空は、つるりと青く、なのに私は、恐いとはもう思わない。
『真っ赤な朝が来ることは、お嬢さんらは知らんやろなあ』
『朝焼けではなくて、ですか?』
『空襲の赤や』
住職は修業時代、東の土地で空襲にあったのだそうだ。
寺は林のなかにあり避難場所になっていて、サイレンが鳴ると近所の住民が身を寄せた。
若い当時の住職は、少ない男手として汗を流す日々だったとか。
ある日、
まだ白む空の朝、サイレンが鳴り、
これまでとは気配が違うのに気付いた住職が街を見ると、あちこちから黒い煙がたち、地鳴りがしていた。
寺には、まだ数名しか来ていない。
これは一大事と山を下りようとすると、下から焼けただれた衣服を纏った人が這ってきた。
腰が抜けてその場に座り、真っ赤な空を見た。
『お空に行かんかぁ!立派な男が何をしてるの!お空に行かんかぁ!』
ただれた衣服を纏った人がそう住職に向かって叫んだ。
住職は我に返って、その人を寺まで担いであがった。
戦時中、兵役を逃れて修業をつんでいた住職は、お坊さんだから、と、寺に守られる身を申し訳ない事だと思い過ごしていたが、
仏門の者の役割を心に、様々に耳を閉ざしていたのだそうだ。
神の国日本のなかの仏。
神も仏もない。
そう思ってしまったと、仰った。
空襲は日中続き、夜通し火は燃え続け街を焼き尽くした。
寺も燃え、そのまわりの小山ばかりが残った翌朝、煙のなかに真っ赤な太陽が昇ったのだそうだ。
夕焼けのような朝日と驚くほど赤い空。
『あの空に行かなければ』
住職は赤い空を見上げてどうしてもそう思い、盲目の師に寺を出ることを申し出たのだそうだ。
師は赤い空を見ていない。
だけども見てしまった自分は行かなければいられないと、訴えたのだそうだ。
すると、
師は経の本を手渡し、これを声が枯れるまで唱えなさい、それから好きにしなさい。と、仰った。
住職はすぐにでも寺から行かねばと思いつつも、本を手に泣きながら経を唱えたのだそう。
唱える傍ら、避難してきた人々の中には、ともに手をあわせる人もいれば石を投げ付ける人もいた。
こうしている間にも。
そう思いながらひたすら唱える行いに身を任せていたのだそうだ。
『私は行かずここに。あれ以来赤い空は見えません』
住職はもう老人だ。
『いい、天気やなぁ』
神も仏もない。
ここに住職と私が茶を飲んでいるだけだ。
若き日の住職は、仏門の徒である以前に人間としての男としての自分と闘い、そうして今を選んだのかもしれない。
青い空は、すっからかん過ぎて、好きではなかった。
でも、もうひとつの青い空を知ることが出来た朝。

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2009/06/03
another blue sky
freureinsakura
on exblog
Posted at 2012/02/23 13:49:28 | |
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文書保管庫 | 日記
2012年02月20日
先日誕生日だった台湾のお友達が鈴鹿に来ています^^
本日急遽、友人とふたり、彼をお祝いしに出かけることに。
時間的にとんぼ返りで今日福井に帰りますが、
一年ぶりの再会です^^
今季も頑張ってほしいです。
そして、また会えますように、事故にはくれぐれも気をつけて・・・。
もうブームは去りましたが、
二年くらい前のオサシンを。
Zhuhai PCCA
すべてのドライバーに、幸運を。
Posted at 2012/02/20 11:24:06 | |
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日々徒然 | 日記