2015年05月17日
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2015年LPGAツアー第11戦『ほけんの窓口レディース』(賞金総額1億2,000万円、優勝賞金2,160万円)の大会最終日が17日、福岡県福岡市の福岡カンツリー倶楽部 和白コース(6,375ヤード/パー72)で行われた。この日、66をマークしたイボミ(韓国)が、通算10アンダーで大会連覇とともに今季初優勝を飾った。2位には大山志保、3位にはテレサ・ルー(台湾)が入った。

◆イボミの目には涙が浮かんでいた。亡き父を思い出して…。
昨年は、8月まで3勝をあげるなど好調なゴルフを展開していたが、9月に父親が死去してからは、パッタリと優勝から遠ざかってしまった。今季に入っても、先週まで優勝はなし。
「2位ばかりだったから優勝できないと思っていた」と、弱気になりかけた時もあったという。
出場した9試合でベスト5が6回と優勝のチャンスは幾多も訪れていたが、「まだ日本語が不慣れだから、優勝スピーチのことを考えたり、日本人選手が優勝したほうがいいいのかな」と、外国人
だからこその不安や心配を抱えてプレーしていたという。コースで見せる笑顔の裏で常に不安や
弱気の虫と戦っていた。
しかし、大きな転機となったのが先週の『ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ』で
優勝したチョンインジとのプレーだった。「最終日、私は不安でいっぱいだったけど、インジさんは楽しい、楽しいとプレーしていた」と、その姿勢に大きな影響を受けた。ゴルフを楽しむ気持ちで
臨んだ今大会。ゴルフだけでなく、いつしか父親との向き合い方にも変化が訪れた。
「私と父はとても仲が良かったから、思い出すたびに悲しくなってしまって」と、なかなか割り切れ
なかったその存在。しかし、「父のために頑張ろうと、笑うように心がけたら気持ちが変わりました」と、ようやく新しい向き合い方ができるようになった。父親の存在が「悲しみ」から「励み」に変わったことで、イは生まれ変わった。
トーナメントレコードで大会史上初の連覇を飾り、ギャラリーが選ぶベストドレッサー賞と
ベストスマイル賞もW受賞した。父親の死から8ヶ月。ようやく墓前にうれしい報告ができました。

◆イボミ選手は1988年8月21日生まれ しし座 A型の26歳、2010年の韓国の賞金女王です、
2011年度から日本ツアーに参戦、今日の勝利で通算9勝目現在賞金ランキングトップ、今日の
試合、ほんと強かったと思います、昨年の9月に父親が死去してからは中々勝利に恵まれず、
精神的にきつかったと思います・・・でも、今年のイボミ選手はベスト5が6回と絶好調です!!
イボミ選手がとても可愛いらしくてファンが増えたという噂があるくらい注目されている選手です。
自分も可愛い選手だと思います!!でも、11戦中5戦が外国人選手の優勝なんですよね・・・
森田理香子選手、上田桃子選手、諸見里しのぶ選手、服部真夕選手、金田久美子選手あたりが
ベスト10に入ってもらわないと正直、面白くないですよね、特に森田理香子選手は横峰さくら選手の後継者だと思っているので本当に頑張ってもらいたい選手です!!
イボミ選手、今季初優勝本当におめでとう御座います!!☆(≧∇≦)”~♪♪
Posted at 2015/05/17 19:30:56 | |
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女子ゴルフ | 日記
2015年05月11日
◆現在、音楽活動をしながら男の子1人を育てている、SPEEDの今井絵理子さん。
息子さんは生まれつき、耳に障がいがあります。「耳が聞こえないのは、個性の一つにすぎません」と明るく語る、今井さんの子育てに迫ります。連載・第1回では、息子さんが難聴であることが分かった日のことを語ります。
「耳が聞こえない」ことを除けば、どこにでもいるような男の子」

◆息子の礼夢(らいむ)は10歳。小学5年生になりました。
今、サッカーに夢中です。小学校の体育でやってみてハマったらしく、友達とボールを追いかけたり、家ではサッカーゲームで遊んだり……。レアルマドリードのロナウド選手が大好きです。
性格は天真爛漫で優しいです。でも、好きな子にはついついちょっかいを出しちゃうタイプ。そして、「好き」って言えない。そのうち、お目当ての女の子は他の男の子と遊び始め……と、割と残念な男子です(笑)。
毎日、元気に学校に通い、友達と遊び、目を三日月型にしてよく笑います。将来の夢は前は「お寿司屋さん」。最近は「吉野家の店員さん」になるんだと言っています。最近は、私からチューされるのを嫌がり始めました。
そう。礼夢は「耳が聞こえない」ということを除いたら、どこにでもいるような男の子なんです。
「聞こえない」と言われても、最初は全然ピンと来ず、病院では冷静だった私でしたが、夜になると一気に涙があふれてきました。当時の私は20歳。まだまだ未熟者で「赤ちゃんは五体満足で、健康で生まれてくるのが当たり前」と思っていました。そして、お腹のなかにいた礼夢に「私の歌を早く聞かせたい」とずっと願っていました。「いつかライブに来て楽しんでもらえるように頑張らなくちゃっ」て。
それなのに、礼夢は音が聞こえなかった。両親揃って歌を歌う仕事をしているのに、パパとママの歌を聴いてもらうこともできないの――?
礼夢に「聞こえるように生んであげられなくてごめんね」と何度も謝って。もう、一生分の涙を流したと思うくらい。初めて、神様を憎みました。
私の両親も相当ショックだったみたいです。学校でいじめられないか、大人になってからはできる仕事はあるのかと、礼夢の将来を不安がっていました。
でも、私は逆に、将来のことは全然気にならなかった。正直、未来のことを考える余裕が
これっぽっちもなかった。この先、この子に何が起こるかなんて分からないし、考えようと思っても、考えが追いつかない。むしろ、これから一日一日を「どうやって育てていけばいいか」ということしか考えられなかったんです。礼夢は、「おなかがすいた」と泣いて訴え、元気におっぱいを飲んでいる。
泣いても、わめいても、現実が待っている。この子にはパパとママしかいない。泣いてるだけでは何も始まらない……。
泣きつかれて、眠った翌朝、決めました。
「泣くのは、もう終わり! これから先は、どんなときも、笑顔でいよう!」って。
「目に見えるものだけが情報源になるのだから、いつまでも泣いてはいられない」
礼夢の誕生は私にとって本当に幸せなことでした。聞こえる、聞こえないは全く関係ない。
耳は聞こえないけれど、目は見える。彼にとって、目に見えることがすべての情報源になるのなら、その目に映る私が、いつまでもしくしく泣いたり、悲しんでいるのは嫌だと思ったんです。
それよりは、礼夢が「楽しい」と思える世界をまず作らなくちゃ。それには、そばにいる私が笑顔で
いなくちゃ。きれいごとじゃなく、心から本当にそう思いました。
沖縄人特有の「なんくるないさ~」精神も手伝ってか、それからは、もう前しか見えなくなりました。
医学書を読んで耳の構造を学んだり、先生に紹介された口話法の学校に通ったり、同じような境遇の方が書かれた本を読んだり、インターネットで情報を集めながら、聴覚障害のある子の子育てに関する情報を集めました。
「神様が与えてくれた試練だから乗り越えられないはずはない」

16歳のとき、仕事がきつく、ホームシックにかかっていた私に、母が言ってくれた言葉です。つらいとき、この言葉を思い出しながら生きてきました。
礼夢だってそう。礼夢が選ばれて生まれてきたのだとすれば、きっと、絶対に乗り越えられる。そしてその先に、きっと大きな喜びが待っている。そう信じて、私の子育てが始まりました。
◆自分は思春期の頃、「SPEED」や「今井絵理子」さんの歌にほんと助けれられました・・・。
今度は自分もいつかファンのみんなと絵理子さんや障害者の方を支えてあげられる人間になり
たいと思っています。(ボランティア活動など )
Posted at 2015/05/11 18:10:01 | |
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SPEED | 日記
2015年05月06日
Posted at 2015/05/06 16:14:09 | |
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イベント | 日記