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関越特快のブログ一覧

2020年04月02日 イイね!

まだバス動いてるし・・・

この記事は、【ハイタッチ!drive】新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けてについて書いています。

久しぶりに書くブログの中身がこんなのやだなぁ(^^;

ハイドラ利用自粛しろってさ。
たしかに日々のハイドラ画面、走ってる車がめっきり減りましたわね。特に地方部はスッカスカ。新潟県なんかあんだけ広いのに片手で数えるほどしかアイコン動いてないですな。
しかしそれでも動き続けるアイコン。主に仕事として車を走らせてる職業ドライバーの皆様ですね。トラックとハイタッチすることが特に増えました。仕事のひとときの楽しみとして、また手っ取り早い実務上の都合も兼ねた移動の記録としてハイドラしてる人も多いと思います。実際私も各インターの通過時間(停留所の場所とほぼイコール)からどれくらい遅延したかをあとから知るために活用したりしてますしね。

ですんで、自粛要請とは言いつつもそういった利用を完全に認めない、ということではないと思います。勝手な解釈ですがw
もっともハイドラの基本理念といいますか、このようなシステムを構築した最大の理由はユーザー同士の交流ツールとして、またみんカラユーザーの裾野拡大のためであることは明白です。ですからカービューとしては「ハイドラを使ったオフ会はしばらくやらんでくれ」ってことなんですね。バッジの中には複数人同時利用で取得できるバッジがあるくらいですので。・・・ちなみに私は「パーティー(5人同時利用)」を越えるものは取ったことありませんw
あとはまぁ、チェックポイントが主に大都市圏に集中配置されてるっていう仕様上のこともあるでしょう。主に駅と都市高速出入口のバッジ。特に駅は車よりも列車に乗っていた方が効率的にCP拾えるので、不要不急の公共交通利用を控えろ、ってことも含めての自粛要請でもあるのでしょう。
とにかくにも、ひとまず自粛要請を出しておかないとお上からなんか言われたときに申し開きできない、余計な火の粉がぶっかからんようにするための予防線としての意味合いが濃いのではないかと思います。




・・・・・不要不急の公共交通の利用を控えろ、かぁ・・・・・
こんなご時世で利用を控えるどころか、当の公共交通を走らせる側の人間である私はどーすりゃええねんっていつも思ってるwwwwww
Posted at 2020/04/02 08:38:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の暮らし
2018年07月09日 イイね!

みんカラ、秋の大型アップデートの告知に気付きまして。

この記事は、【お知らせ】2018年秋、『お友達』機能が『フォロー』機能に変わります!について書いています。

あれですね、賛否両論あろうかと思いますが平たく言えば・・・


Twitter寄りのユーザーにとっては改良。

mixi寄りのユーザーにとっては改悪。


なんでしょうな。おそらく。

ユーザーも世代交代が進み、世の中のSNSの主流は着々と変化。
若者が取っつきやすいSNSシステムとは何か?
そんな状況の中、カービューの出した答えは「Twitter寄りのシステム」なんでしょうね。
実際ユーザー数が増えんことには広告収入も上がらないわけですから、世の摂理として至極真っ当な変更ではあるのでしょうなぁ。
タダでSNSを利用させてもらっている身。あまりゴタゴタ言える立場ではないのですから、この大型アップデートが吉と出るか凶と出るか、じっくり見守るといたしましょう。

・・・私ですか?
あー・・・まぁTwitter寄りの人間なんであんま文句ないっていうか(結局そこかい)
Posted at 2018/07/09 01:11:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の暮らし | 日記
2017年10月20日 イイね!

事故から約1ヶ月。事故原因の考察と再発防止策を検討してみる。

事故から約1ヶ月。事故原因の考察と再発防止策を検討してみる。
 皆様毎度お騒がせしております。


 このたびは関係各所方々からお見舞いや励ましのお言葉をいただいたことを改めてお礼申し上げます。




 さて。

 事故から丸一か月となる16日を微妙に過ぎましたが、この日初めて徒歩で事故現場に行ってきました。
 今までこの手のことが起こると現場をじっくり見たりするのが私の定番だったんですけど、今回は未だかつてない大けがだったのでここまでずれ込みました。
 自宅から事故現場へは徒歩で行くような距離じゃないんですけど、自転車にさえまだ乗れないこと、また術後の経過観察やリハビリもかねて歩いてみることにしたものです。





 じこげんばのいりぐちー。

 全長1076mの長いフラット直線の直後にある左分岐です。ここを左へ進入していきました。





 左コーナーかいしー





 ぐぐーっと曲がり込んでいきます。





 横断歩道を過ぎて・・・・





 うん?あらっ?あらら??





 ゴッ!



 ドガッシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!




 カラン・・・・・・・・パリン・・・・・・・・
 (体が進行方向逆を向いて停止)


 ・・・・・という感じでした。
 なお写真は雨降ってますが、事故当日は晴れで路面ドライでした。




 さて。事故原因を考えてみたいと思います。
 少なくとも自分がわかってる限りの直接的な原因は2点。

 1.コーナー進入速度が速すぎ。

 2.タイヤが摩耗限度を超えてグリップが低下しており、なおかつフロントフォークにガタが出ていた。

 です。

 つまり、自身の運転操作が、整備不良状態の車両の限界を超えたコーナリングフォースを生み出したことにより転倒に至ったということです。相乗効果ってことですね。



 まずは運転操作の問題から。

 前ブログで「いつもは30km/h程度で進入するコーナーに何を思ったか全速のまま突っ込んだ」と記述しました。
 具体的にはこんな感じです。




 先ほども出てまいりましたこの地点。
 これに先立つこと、手前のフラット直線1km区間ではフルスロットルでした。原付のフルスロットルですからたかが知れた速度ですが、黄色ナンバー車です。少なくとも60㎞/mは出ています。風向きやエンジン、キャブのコンディションによってトップスピードは変わりますが、普段から60を少し上回る程度の能力はあります。
 ここで6台の車を追い越しました。当初見込みでは目の前のトラックを一台追い越すのみのつもりで右車線に出たのですが、そこでトラックの前にかなり車間が詰まった状態で5台もの乗用車が走っていることに気付いたのです。トラックの前方に5台すっぽり隠れるほどの短車間だったと思っていただければ。
 どうにか追い越そうとしているうちにこの写真の左分岐が接近してきます。しかし車間が詰まりすぎているので左車線に戻ることができません。先頭の車を交わして左車線に戻った時にはすでに直線は終わり、左分岐が始まるところでした。





 ちょうどこのあたりで、はっと気づいたようにブレーキを掛けます。左分岐してからブレーキ開始地点までの記憶が飛んでいます。気付いたらここまで進んでいたという感じです。フロントに大きく荷重がかかった状態のまま、普段よりも速い速度で進入していきました。





 横断歩道を過ぎたこの付近からバランスを崩し始めました。

 ここで直接原因その2、バイク足回りの整備不良が関わってきます。

 具体的に車両が客観的にどのような挙動を示したのかについては全くわからないので、残された状況と断片的な記憶からの主観的推測ではありますが、


 おそらく。



 ここで。



 ハイサイド起こしたんだろうなと思います。



 フロントに荷重を思いっきりかけたままコーナリングを始めれば、当然リヤはグリップが薄くなります。
 ですから、リヤが滑ってコーナー外側へ飛んでいき、そのまま倒れ込むローサイド転倒を無意識のうちに警戒しました。このような転倒は子供の頃から高校生の時に至るまで、自転車で散々やらかしているので無意識に身構えるのは当然です。また、特にリヤタイヤの摩耗が進行しスリップサインをとっくに過ぎていることもあらかじめ知っているので、オーバースピードに気付いた時には大いに恐怖したわけです。

 そして、

 後から気づいたのですが、この場所には微妙に路面のうねりがありました。コーナーを抜けかけてバンク角度が緩くなる地点であり、なおかつ道路管理者の境界地点でもありました。路側デリニエータに書かれた道路管理者名がここを境に変わることでそれとわかります。施工時期や工法の微妙な違いが経年で路面のうねりとなって表れるのはよくあることです。舗装材の組成も微妙に違うかもしれません。


 限界を迎えていたタイヤ。


 路面のわずかなうねり。


 おそらくここで、どちらかのタイヤがずるり、と外側に流れたのでしょう。




 前ブレーキレバーの傷跡が示すように、



 ブレーキを握った状態の時に路面とぶつかった跡があるので、倒れる瞬間まで前ブレーキを握りしめていたようです。

 そして、ずっと減速を続けていたこともあってか両輪のグリップが突然復活。

 バランスを崩した後はほぼ、なすすべはなかったといえます。




 フロントフォークにガタがあったこともあってか2、3回ほどハンドルが左右にぶれたかと思いきや、まるで吸い込まれるように視界いっぱいにアスファルトが広がりました。

 また倒れる瞬間には「ケガをする!」というよりは「バイクが壊れる!」という気持ちが強かったことが記憶に残っています。無意識のうちに自分の体をなげうってバイクをかばう形になったのです。



 実際バイクはこのように小破で済み、自分の体のほうが大破に至ったことは周知のとおりです。
ブレーキペダルが衝撃を吸収し、エンジン、ミッションは無傷でした。

 ヘルメットの右側面を真っ先に地面に叩きつけました。この時鎖骨を折ったのだと思います。
そのあとの記憶はありません。
 気付いたら進行方向と逆を向いて地面に倒れていました。後続車が2台、停車するのが見えました。





 バイクが倒れて停止したのはこの地点。自分の体の停止地点はこの少し手前。ヘルメットのシールドとスマホ、背負っていたカバンからちぎれて飛んだアレコレがこれよりももっと先に飛び散っていました。


 このようなことから、ハイサイド転倒を起こしたのだろうと自分の中では結論付けました。

 正直、ハイサイドは初めてです。今まで経験したことのない挙動で体が吹っ飛びました。ハイサイド、ローサイドといった単語さえ事故後に知ったくらいです。事故当時の自分にとっては全く不可解な転倒だったので色々調べたのです。




 次に、それぞれの状況について、その背景にあるものを考察してみたいと思います。つまり、間接的な原因になったものは何か、ということです。


 まず、手前の直線での追い越しなど、一連の運転操作について。

 今でも悔しいと思っているのは、普段やらないようなことをなぜこの日はやったのか?ということ。
つまり、追越開始地点です。
 その先で左に分岐したいのであれば、通常は前の車が遅かろうが何だろうが、その後ろをついていくのがセオリーです。
 ですがこの日は、分岐開始まで残り500mを切ったころに追い越しを始めました。そして、トラック一台だけのつもりが普通車5台まとめて追い越すドツボに嵌ったのです。

 この裏にあった心理状態は「もっと早く行かなければ先輩に怒られるかもしれない」でした。別に遅刻しそうではなかったのです。事実、「このくらいなら十分間に合う」という勝算をもって出発した時刻でした。
 しかし、この日抱えていた仕事は普段のそれと違い、定期的に回ってくる仕事ではなく、新規に始めた仕事でした。このため、もっと早く行かなければならなかったのではないか、同じ仕事をするほかの人はすでに準備を完了しているのではないか、という漠然とした不安に、急に駆られたのです。

 これを解決するだけならば、もっと早く起床して準備を始めればよい、となるのですが、それもまた難しくなる背景がありました。勤務拘束時間と休日出勤の問題です。
 具体的な数字はちょっと上げられないんですが、まぁ、1日平均12時間前後勤務拘束されてます。1日8時間寝ようとすると、残りは4時間。この間に風呂入ったり食事摂ったりを済ませなければなりません。
 こんな調子ですから、3日仕事すると一度めぐってくる休日は非常に貴重なリフレッシュの機会なのですが、人員不足の折、この休日も削られています。現に事故当日は休日の番だったのですが、出勤に変わっていました。このため、下手に睡眠時間を削ると居眠り事故を誘発しかねず、むやみにできることではありません。
 このため、起床してから30分と経たぬうちに朝食も摂らずバイクに跨ることが習慣となっていました。これは、速度が速かったにもかかわらずカーブ手前でブレーキをかけ忘れたかのように漫然と突っ込んでいったこととも関連しています。要はねぼけていた、意識レベルがまだ低かったってことですね。


 ・・・・・正直なところ、事故直前の数か月は意気消沈する出来事ばかりでした。まず、挨拶について先輩から注意を受けることが多々あったこと。
 挨拶を返さない、と何度も指摘されたのです。今までそんなことはそうそうなかったのに、急にそんなことを言われることが増えました。自分でも正直よくわからないのですが、おそらく返した挨拶が小さすぎて相手に伝わらないことが増えたのでしょう。いつものように挨拶しているつもりなのに相手に伝わっていない。正直ショックです。自分の体はいったいどうしてしまったのか?不安でたまらなくなりました。
 まあ、過労かなんかでそうなっているのだろうと思うのですが、朝、思い通りに声が出ないというのははっきり言って勘弁してほしいです。
 こうして誤解が積み重なっていたところに、新たに始めた仕事についてダメ出しを受けることが時々ありました。そんなこと、新規で始めたことなのだから当然ありうることなのですが、それまでやっていた仕事と違い精神的にかなりきつく感じました。

 こんなことが積み重なった結果「先輩に怒られるかも」という漠然とした不安を生み出し、開けたスロットルを一切戻さない。
 そんな運転操作につながった背景としてはこのような概要です。

 スロットルを開けることがストレス解消のはけ口、よくあることです。
 また追い越しを始めてトラックの前にさらに5台もの車がいることに気付いた時、追い越しをやめればいいのにそうしなかったのもこういった背景が関わり、その時の自分の気持ちとしては車間が詰まりまくっていることに対する怒りの気持ちしかわいてきませんでした。

 不安→怒りへと気持ちが変わり、追越を完了して安心。ここで、まるでカーブの存在を忘れたかのように漫然とそのまま進行。



 もうめちゃくちゃですね。素人か。



 心が乱れてるときにバイクを運転しちゃダメ。ってのはつまりそういうこと。です。







 次に、整備不良の背景には何があったのでしょうか。

 それはひとつ、整備にかける時間が当初想定通り取れなかったこと。
ふたつ、当初想定よりも走行距離が一気にかさむような使われ方をしたことです。





 悔しいことに、部屋にはバイク用の新品タイヤが一組、転がったままになっています。
これに換えていたら、そしてフロントフォークのガタを修理していたら、転倒は避けられたかもしれません。

 事の発端は6月。
 突然、会社から痛車通勤自粛要請が通達されます。
これにより、通勤に関してメインがフィット、サブがモンキーといった使い分けに亀裂が走ることになりました。
 実質モンキーがメインになったことで、消耗部品の摩耗は一気に進行し始めました。
 もともとスリップサインが近かったタイヤ。1か月ほどでそれが露出しました。
 そしてフロントフォークの異音も次第に大きくなっていきます。
 このままではマズイ。
 当初想定より走行距離がかさむ使われ方の始まりです。

 また、整備にかける時間が当初想定通りに取れない、という事象もこれをきっかけに始まることになります。
 もともと、フィットとモンキーは相互補完の関係にありました。つまり、片方が整備中の時、もう片方が代替手段となり通勤の足を確保する、ということです。
 ところがフィットによる通勤を急に断られたことでこの関係性が機能しなくなり、フィットが整備中はいいのですがモンキーの整備がままならなくなりました。

 スケジュールが立て込みながらも7月には新品タイヤ購入。いざ交換というところで、繁忙期突入。タイヤ交換とフロントフォークの件は延び延びに。
 そしてそのまま事故当日を迎えてしまったのでした。あーあ。もったいない。宝の持ち腐れ。

 いま改めてスケジュール帳を読み返したら、もし事故がなく当初予定通りに動いていたとしてタイヤ交換のチャンスだったのはなんと昨日と今日。遅きに失しました。仕事やプライベートで、突発が多発したのも運が悪かったな・・・。
 このタイヤに限った話ではなく、今私の部屋にはフィットやモンキーの取り付け待ち状態のパーツが多数転がる事態になっています。あまりの多さに耐えかねてフィットへのクルーズコントロール取り付けは業者に依頼しましたし。





 さて、

 ここまでさんざん泣き言を書きましたが、このような事故原因、そしてその背景を踏まえ、再発防止策を講じねばなりません。
 そうでなければ命がいくつあっても足りませんw

 まず、焦りや不安、また怒りなど様々な感情が交錯する不安定な精神状態や、先輩に注意される元となった朝の挨拶について。

 これらを一気に解消する、という処方箋になるかどうかはわかりませんが、睡眠の改善に乗り出すことにしました。

 まずはこちら。




 光目覚まし、ってやつです。
 発する光が強烈なので、カメラを光源にまっすぐ向けると回りが真っ暗に写ります。

 さらに、



 
 睡眠補助サプリ。


 詳細についてはまぁ、ググっていただくとして。

 現状、私の自宅自室の寝床って遮光カーテンで囲まれたカプセルホテルみたいになってる二段ベッドの一段目なんです。これはトラックに乗ってた時の名残で、昼間でも寝れるように部屋全体を含めて昼間でもほぼ真っ暗にできるようになってます。
 正直この構造は上手に使わないと体内時計が大狂いします。朝になっても朝日が網膜に差し込まずに体内時計のリセットが行われません。故に24時間暗闇だと自律神経失調症を引き起こしかねないのです。
 当然私だって睡眠が大きくかかわる職業、そんなことは百も承知ですからそれをカバーするためにタイマーで照明が点灯するようにしてあります。朝日がまだ差し込まずとも起きなければならない早朝勤務の時はそれに合わせて照明が点灯するようにしてありました。

 しかしどうやら、照度が足りてなかった模様。光目覚ましの売り文句には「人が目覚めるのに必要な2500ルクス以上の明るさを」云々とあります。曰く、普通の部屋の照明は朝日の照度には遠く及ばない700ルクス程度なんだとか。
 なんだかうまい商売の口車にまんまと乗せられたような感じになってますが、一応表向きにはわかりやすく「寝ぼけてコケました」と説明してるので「なのでこういう対策取りました」とするのがわかりやすい。
 まぁ言いたいことは山ほどあるんですが、この辺が、大人が社会生活を営む上での角の立たない落としどころということでしょう。子供の頃から朝の寝起きが非常に悪い体質だったのは紛れもなき事実。がっつり寝てスパっと起きれればありがたいことこの上ない。
 月々のサプリ代だって馬鹿にならない金額ですが、骨折って手術するよりは全然マシです。はい。




 そして次。

 「体力的に無理だと思った仕事はやんわり断りましょう」

 ・・・・・一番難しいなあ。これ。
 以前から、てゆーか今の仕事する前から、体力的に厳しくなったときに頼まれた仕事を断り切れず自爆してる。これが原因でいっこ前の仕事を最終的にやめる羽目になったのにまた同じような轍を踏んでしまった。これは大いに反省せねばなるまい。
 幸いなのは今のところ今の仕事を辞める気はさらさら無いことぐらいですねw

 9月に入る前後から新規の仕事とか色々あって過労気味、睡眠不足気味なのは自覚していたので、事故当日の16日の仕事のオファーが来たときに断ればよかったって今でも後悔してる。
 この16日の仕事、さっきも書いたけど、この新規の仕事に関わる案件だったから「このチャンスを逃してなるものか」って思って引き受けたのね。そしたら、それに先立つこと数日前の火曜日、水曜日に、予想に反して睡眠時間が短くなることがあってですね・・・・・この二日間、会社の記録上は休みってことになってるんですよ。ところが実際には(お察しください)

 土日に休日が引っ掛からない仕事をしている手前、イベント参加などのために数多くの有休を繰り出さなければいけない。その穴埋めのために休日出勤も繰り返す。この業界よくある図式ではあるが、まぁ・・・・ほどほどにしないと、こんな風に自爆しかねないんだよね。

 体力的にまずい時、仕事を断る勇気を持とう。
 まぁもっとも、そもそも、復帰してしばらくは定期の仕事以外出来ないだろうけどw 手術後だしねww









 そして最後に!

 究極の再発防止対策です。




















 車、もう一台買うことにしました

 ただいま現在まだ微妙に商談&家族の合意形成中なんですけどw


 そもそもの大元の発端は「痛車で会社に来んな」というクソッタレなこと言いだした会社の一部筋なんですよ(あースッキリしたw)



 こうして履歴書にも痛車乗りだと書いて、入社時の面接では痛車の何たるかを説明して、「痛車通勤する見込みですが良いですか?」とまで訊いてOKもらってる。これができるかどうかが勤め先選ぶうえでの特に重要なポイントの一つだったのに、今更手のひら返しだなんて虫が良すぎますわ。納得いく理由の説明もらってないし。

 しかしまぁ、恨み言ばっかり垂れてても仕方ないので、私個人の金銭的負担が増えることとはなりますが増車することにしたものです。父が会社を退職して通勤用の車を売却、駐車スペースが一台空いたこともこの決断を後押ししました。そもそもその駐車スペースの月々賃料は俺がずっと払ってたんだ。文句あっかwってやつww
 それに、こんな色々ごたごたを起こした手前、会社にフィットを安心して停めておけないという個人的心情を解決してくれる一手でもあります。
 通勤はこの新たに導入する中古の軽で賄うこととして、フィットをデイリーユースやイベントへ、モンキーを市内移動用やツーリング用とする計画です。
 フィットが会社に行かなくなることでほかの社員さん(※)や通勤経路上の方々は目撃する機会が無くなっちゃうかと思いますが、廃車したり剥がしたりすることは今のところ予定してないのでご安心ください。

 (※大多数の社員さんはチルフィットのことを好意的に見てくれています)

 チルフィットの今の姿は、私の脳内にある最終完成形にはまだ遠く及んでいません。いつの日かそれをお披露目できる日を目指して着々と痛車づくり、進めてまいります。










 
 路面に残る傷痕。

 これから冬になって除雪車が走る季節になれば、それが付ける傷と同化してわからなくなるでしょうが、一歩間違えれば死亡事故に発展しかねなかった事故の跡です。
 私の経験が同種の事故の抑止に繋げられればと思い、本文を執筆いたしました。
 何か訊きたいことなどあればどうぞお気軽にコメント欄などご活用くださいませ。


 それでは皆様、心健やかに楽しいライディングライフを送りましょう。
 
Posted at 2017/10/20 15:33:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日々の暮らし | 日記
2017年09月25日 イイね!

にゅういんにっき

にゅういんにっきブログではかなーりお久しぶりでございます。

表題の通り、

入院

してしまいましたのでございます(日本語変w)


事の発端は一週間ほど前の16日。奇しくも誕生日までジャスト3か月というこの日

バイクですッ転びました

あれー、なんでー・・・・・・



















チダラマッカです。うちの地元では流血の惨事のことをチダラマッカと呼びます。そのまんまの意味です。

なんでこけたんだって聞かれそうですがまぁあれです。心の乱れは走行ラインの乱れってやつです。
ここんとこ数か月ほど心労が重なっていたところに、この日は普段とは違う内容の仕事を控えていた日で心のどこかに焦りの気持ちを抱えていたのでしょう。普段30km/h程度で進入する左コーナーに何を思ったかほぼ全速のまま突っ込むという暴挙をですね以下略

ほんとみなさん、あれです。心労が重なっているときに運転しちゃだめです。特にバイクはやばいです。ちょっとしたミスが重大な結果をもたらすんで。
あーあと、





タイヤがのっぺらぼうでした。新品タイヤ買ってあったのに交換してる暇を作ることができず放置プレイしてました。




こっちは新品タイヤね。

そんなこんなで人生二回目の救急車のお世話になる羽目に。長岡消防新町分署救急隊の皆様その節はほんとうにありがとうございました。


で、
担ぎ込まれたのは長岡中央総合病院。事故現場のすぐ近くに日赤病院があったんですけど、この日の救急当番は中央病院で、あともうちょっと時間帯が後だったらもっと遠い立川病院だったんだそうな。日赤が当番じゃないの承知で連絡とってくれたみたいだったけど、すでに救急車が二台入ってて受入不可。順当に当番病院に搬送されることに。

運ばれた救急処置室とレントゲンやらCTやらの部屋間を行ったり来たり。そしてその後に主治医の先生となる整形外科医から言われた一言ってのが
「折れてますね。鎖骨」
この瞬間、人生初骨折と、それの修復のための人生初入院、人生初手術が決定したのであります・・・・・(Ω\ζ°)チーン

あっれー、事故現場で自力でバイク引き起こしてたのはいったいなんだったの・・・・・
(↑アドレナリン出まくりの事故現場あるある)



そして何日か通院を繰り返し、骨折以外の損傷箇所の手当や、






来たる手術に備えて検査などをあれこれ





やることしばし。

21日、入院。
そして入退院窓口を出てすぐのところで、

「すいませんスケジュールが立て込んじゃってて手術今日やりたいんですけどよろしいですかね?」

いや、あの、先生なに言うてなさるんですかwwwwww

当初計画では入院翌日に手術、その三日後に経過が良ければ退院というスケジュールだったのだが・・・・どうも手術を控えてる患者がキャパオーバー寸前に陥ってる模様。そういや病棟も満床に近かったっぽいんだよなぁ・・・実際自分からも「個室でも大部屋でもいいので空いてるとこにてきとーにつっこんでください」って言ってあったし。
そんなこんなで心の準備が不十分なまま、私服からいきなり手術着に着替えることに。

病室からは、傾きつつある陽に照らされた長岡の中心市街地が見えた。
一抹の不安がないわけではなかったが、窓の外を見ながら勤めてそれを忘れるように心掛けた。

待つこと暫し。陽の色がオレンジ色になりつつある頃、自分の順番が回ってきた。
自分は脚が問題なく動く患者であるため、自力で歩いて手術室に入ることになった。

まず、一般者が入らないスタッフ専用区画にあるエレベーターに案内され、二階へ。ここで降りて左を向くと大きな自動ドアがあった。すりガラスがはめられていて、向こう側は見えない。ベッドがそのまま行き来できるように間口が大きくとられているのだろう。その上には「手術部」の文字が掲げられていた。

開いた自動ドアからは少し廊下があり、少しクランクして再び同じ構造の自動ドア。ここで靴を脱いで、手術室内専用のサンダルに履き替える。そして・・・・・


この先が凄かった。医療従事者以外には非日常の空間である手術室が、こんなにもSFチックでカッコイイ空間だとは思わなかったのだ。初めて体験した手術室という空間に度肝をぬかされた結果、筆不精な私がわざわざ長文ブログを書いたといっても過言ではないのだ。

案内してくれた看護師さんから手術部の担当スタッフに託された私は、まず初めに入ってすぐの場所に置いてあった椅子に座るよう案内された。ここで氏名の確認や手術部位の確認などを行う。その間、周りを見渡してみると・・・・・
自分のいた周囲には普段よく見る病院の雰囲気がまだ残っていたが、そのむこうには、まるで新幹線や地下鉄の総合指令所のような雰囲気の場所があり、ずらりと並んだノートPCの前にその時は三人のスタッフが座っていた。どうやらここで全ての手術室の状況をリモート監視しているようだった。列車の指令所であれば総合連動盤が置かれているその場所は大きな窓になっており、その向こう側は手術を終えた患者が麻酔が醒めるまで寝ている部屋のようだった。この時はベッドが二つ並べられており、そのうちの一つには実際に患者が寝ているのが見えた。

「それでは手術室へご案内します」と促され、さらに奥へ歩いていくと、その先は通路がT字型に分かれており、左手には1から4の数字が書かれた扉が、右手には5から8の数字が書かれた扉が並んでいた。扉はいずれもギンギラギンの輝きを放っており、どうやらステンレス製のようだ。ここには合計8つの手術室が並んでいて、一度に8件の手術を同時進行できるようになっているらしかった。

この場所はまさに宇宙船の中にでも居るような錯覚を起こす場所だった。歩き回るスタッフがテレビドラマでよく見るあの手術の恰好でなければ、ここが病院であることを忘れてしまいそうだった。それだけ、もう、
やべぇここカッコイイ!
って場所だったのだ。少なくとも自分の感覚では。
もちろん、こういった雰囲気に怖さを感じる人がいることは否定しない。しかし俺ちゃんときたら・・・・・最初の漠然とした不安はどこへやら。その思考回路は完全に小学生男子のそれにもどっているのであったww

「そちらの6番の部屋に入ってください」と言われ、一つだけ開いている扉があることに気付く。いよいよ手術室内部。ここはまるでコンサートホールのような場所だった。壁と天井は淡い緑色のパンチングメタルで内装されており、それはまさに音響関係の部屋とそっくりだった。その中心にあるのはもちろん患者が寝る手術台なのだが、天井にずらりと並ぶ固定照明といくつかの可動照明に照らされて浮かび上がるそれはまるでスポットライトに照らされた舞台のよう。またここでもサイバーチックな雰囲気は健在で、天井のパンチングメタルの隙間からは空調なのかはたまたサーバーなのか、LEDの光と思しきものが明滅しているのが見える。すでに麻酔科医がノートPCとにらめっこしながらその準備を整えていた。

それまでの「タイル張りの内装とでっかい丸い照明がいっこだけ」という古臭い手術室のイメージは完全にひっくり返されてしまった。今どきの手術室ってこんなにカッコイイんだ・・・・・そんなことを思って夢見心地な患者の傍らてきぱきと進められていく準備。点滴にいくつかの注射器が接続され、体内に薬液が注入されていく。そして最後に登場したひときわデカい注射器・・・・・




これはあくまでもイメージ図です(キリッ

これがまた笑っちまうほどデカいやつで、人の手先から肘くらいの長さがある。そのいでたちもまさに最終兵器って感じで、注射器というよりはガスボンベに近い形状。ここから注入されるやつがあ、あ、やっぱこれが最終兵器なんだ・・・・・
「ちょっと冷たく感じるのがはいりますよー」あ、確かになんか冷たい。点滴が刺さる左腕が何だかチルノちゃんみたい



そのうちすぐにその冷たさは頭部に達し・・・・・・あれ・・・・・あれ?
麻酔科医が目をのぞき込む。「どうですか?強い焼酎飲んだみたいな感じになりません?」あーーー、・・・・言われてみれば確かに。返事が・・・・うろ返事に・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あー・・・・・・・これが全身麻酔ってやつか・・・・・・・・・・・・・・


コナンの毛利小五郎は毎回こんな感覚に陥ってんのかなー・・・・・・・・・・・・・・・・・





すとーん

































「あ、気付かれましたね。手術終わってますよー」




「えっ終わったの!? はぇぇ!!」
とまぁ術後の第一声はこんなだったような気がするwww

意識は戻ったが体はまだ動かない。とくに手術部位である右肩から右手の先端までは一切の感覚がなく、まるで他人の腕がくっついているかのようだった。麻酔が最後に切れるのは手術部位なのだ。
「それじゃレントゲン撮りますねー」と言われ、手術終了の記念写真(違w)を撮影。



写真は退院後のものです。

病室への戻りはもちろんベッドに寝た状態で運ばれたのだが、この時の脳内BGMはNHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀~」のあの曲であった。いやはや凄いものを見せてもらった・・・・・そんな余韻に浸っていた。窓の外は、すっかり暗くなっていた。
病室では両親が待っていた。手術中は家族の誰かが病院内に待機することになっているが、一人だけでいいはず・・・・・急遽一日前倒しとなった手術であったが、仕事がある中、母もきてくれていたのであった。また父は別件で手術を控えた身でありながら自分を病院まで送ってくれたうえに、手術終了までずっと待ってくれていたのだ。
自分を見つめる両親の眼差しは、眠りに就こうとする幼い子を見るそれであった。幼いころの記憶を呼び戻されるような感覚に包まれながら、ゆっくりとふたたび眠りに・・・・・つく・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・





そうは問屋が卸さなかった。

22時ころ、右腕の麻酔が切れる。
そして、


痛い。


痛い。


痛い。


痛い。


痛い。




右肩に走る激痛!!




当たり前である。肉を斬って骨を繋いでいるのだから。

とにかく一晩中この激痛に苛まれた。しまいには耐えかねて看護師さんに痛み止めの座薬をケツにぶち込んでもらう始末。




イメージ図

また術後は絶対安静であり、点滴でがんじがらめにされているため自由に立ち上がることもできず用足しは尿瓶。そしてついでに言うと、同室の患者さんの中に爆音いびきマンさんがいらっしゃったたため耳栓無しでは無理。

かくして、入院初日の夜はほぼ一睡もできず過ごしたのであった・・・・・






朝になり、

何事もない一日が始まる。

入院のハイライトはやっぱり手術室だったな。おそらく退院まで特筆すべきことは何も起こらないだろう。
部屋を見渡してみると自分のほかに三人の入院患者。窓際に二床、廊下側に二床配置された典型的な四人部屋だ。かつて六人部屋が主流だった時代と比べると、一人当たりのスペースは広くとられていて、その部分だけでも普段自分が生活している自宅自室よりも有効床面積は広く感じられた(汚部屋状況お察しくだされw
自分はそんな部屋の廊下側に配置されていた。向かいのベッドは昨日自分が入院したばかりの時点では、退院した直後のようで空いていたが、いつの間にか患者がいた。自分が手術室にいる間に次の患者が入院してきたようだ。
隣の窓際のベッドではいそいそと退院準備がなされていた。入れ替わりの激しい病室だな。
そして斜向かいの窓際のベッドには、件の爆音いびきマンさんがいた。
どの方々も自分よりはるかに上の年齢層で、短期間では話が合いそうになかった。ただでさえ各々の体を動かすのに精一杯になってる人々であるため、他人をかまってる余裕がないのだった。

そんな中、楽しみは食事。そして窓の外から聞こえてくるバスの走行音だった。ちょうど病院前のバス停に面して窓が開いている病室であるため、音だけでもバスの発着の様子が手に取るようにわかるのだ。もし個室に入れられていたら、廊下の反対側に配置されているためバスの音は聞こえなかっただろう。
自分の営業所の管轄外であるため詳細はよくわからなかったが、少なくとも栃尾営業所のターボUDはその特徴あるエンジン音からすぐわかったし、冷房機器の作動、停止くらいは判別できた。外気温が高いか、低いかをバスが教えてくれていたんだな。ともかくこのことは自分を大いに元気づけてくれる要素であった。



これが栃尾のターボUD。その真価は快速新榎経由栃尾車庫行きの連続登り勾配で発揮される。



食事の時間。量は少なかったが、片腕が不自由になってる患者の存在を考慮して、このように・・・・・




食材を全て串刺しにしたスタイルで提供された。ご飯はおにぎりで。これは本当にありがたかった。
(写真は最終日昼食のもの。ほとんど食ったあとやwww)

午前中のハイライトは回診の時間だ。
それも、結構な大人数でどやどややってくるのである。ドラマでよく見る「院長回診」のような整然としたものではなく、それは医学生の集団なのであった。名札には「臨床研修医」。なるほど。自分よりも若そうな感じの人も多く、このようなシーンでなければ話が合いそうな自分と同年代の集団であった。

で、
そんな大人数で取り囲まれるのだから当然、処置は複数個所同時進行。まるでピットレーンに入ったレースカーを囲むクルーのようだ。両腕両ひざの擦過傷の絆創膏やら何やらが同時にベリべり剥がされ、貼り直されていく。「痛てぇ!」って叫びそうなシーンであるが、右肩はもっと痛いためこの程度の痛みではどうということはなくなっていたw

午後に入ると絶対安静を解かれ、病院内を自由に移動しても良くなった。
もっとも、もっぱらトイレとの往復ばかりだ。手術着から院内着に着替えた。


ふたたびの夜。




病院から望む長岡市中心部。

経過が順調であるため、翌日午前の点滴を最後に入院している理由が無くなる。市街地の夜景を一目見ておこうと、ラウンジに足を運んだのだった。


翌日。
早々と退院の日の朝を迎えた。入院当日に手術したため、当初予定より一日早くなったのだ。
右肩鈍痛は相変わらずであるが、昨晩に比べればはるかにマシ。比較的よく寝ることができた。また、耳栓を持って来ていて正解だった←

院内着から私服に着替える。窓の外からはバスの発着の音に交じって、コンバインが稲刈りする音が聞こえてきていた。
本来であれば午前中退院であるが、家族の都合で午後にずれこんだ。




入退院窓口がある西玄関。


こうして、「はじめてのにゅういん」は終わりを告げた。しかしこの先、かなり長い通院リハビリを繰り返さなければならない。また、一年から一年半後には、埋め込んだフルチタン強化フレームを取り出す手術も待っている。

交通事故は、たとえ単独の自爆であってもその後長く尾を引くものなのだ。皆様も十分注意されたい。
関連情報URL : http://www.nagachu.jp/
Posted at 2017/09/25 18:08:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日々の暮らし | 日記
2017年02月22日 イイね!

ひっそり閉めてたアカウントがあったお知らせ(過去形)

「notteko」(のってこ)という名前のライドシェア募集サイトをご存知でしょうか?
ごく最近(ここ5年くらい)私と知り合った方々は、実は私が過去にこのサイトでライドシェアを募集しまくっていたことをご存じない方もいらっしゃるのではとw

実は私が今名乗っている「関越特快」というハンドルネームはここが発祥だったりします。つまり過去、関越道の東京長岡間を頻繁に移動する生活スタイルだったころにこのハンドルネームを定め、ライドシェア募集サイトに登録し、募集した赤の他人と交通費(ガソリン代、高速代)を割り勘することで移動費用を抑えてたんですね。ちなみにそのころは本格痛車になる前のプチ痛車時代の話です。

時は流れ、そもそも住む場所が相模原から長岡の実家に変わり、プライベートでの東京長岡間の移動はせいぜい何らかのイベント時のみとなりました。
そして住む場所のみならず勤め先もころころ変わりました。トラック乗るようになってからはあまりのハードワークに居眠り運転の危険が増したうえ、スケジュールがあってないような仕事だったゆえにライドシェアスケジュールのマッチングも取れず、ただ登録しているだけ状態となりました。
そして、現在の勤め先では東京新潟間の高速路線バスを三社で共同運行しています。自分が主だってライドシェア募集していた区間が自社と共同運行先の高速バスと競合する関係となったことで、赤の他人とのライドシェアを行うことはまずなくなりました。

単純に、自分の生活スタイルが変化して使わなくなりました。使わない状態のアカウントをずっとほったらかしにしていたのでひっそり退会していました(←過去形)

一時期にはみんカラプロフィールにも「notteko」のプロフィールに飛ぶURLを用意していたりもしてたんですが、ずっと開店休業状態でしたねw
まぁ、これから閉めようとしている顔本垢と同じく、生活のスリム化の一環として管理の手が及ばないものを切り捨てる作業の一つです。

でもだからといって、ライドシェア募集を通じて知り合った方々を切り捨てるわけではないのでそこはご安心をw
ご希望とあらば、みんカラなりついったなりで「一緒に乗ってどっか行こう」という話があれば喜んで車出したり逆に車内にお邪魔したりするんでこれからもよろしくおねがいいたします。

あー、できれば痛車で、つまり現仕様で未知の他人とライドシェアやってみたかったんですけどねーwww
関連情報URL : https://notteco.jp/
Posted at 2017/02/22 15:07:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日々の暮らし | 日記

プロフィール

「各県観光名所巡りバッジ、初めてのコンプリートは山形県、続いて自県の新潟県(この時点でいろいろおかしい)
3番目が最も自宅から遠いはずの沖縄県(やっぱりおかしい)
もっとも、沖縄は行ってしまえば巡りやすいという事情もあるにはある。」
何シテル?   09/06 21:54
関越特快と申します。新潟県長岡市を本拠地としてアレコレ活動する痛車乗りです。 メインカーを見ると一瞬でお分かりになるかと思いますが、とっても東方Proje...

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