
C130の体験搭乗が終わり
レクチャーを受けた空輸ターミナル方向へ
またまた4列縦隊で行進していきます。
空輸ターミナルの手前に救難機体がおいてあるハンガーがあり
そちらで救難機体の展示説明をしていただけました(*^_^*)
航空祭では見慣れたU125A&UH60Jです(*^_^*)
今回の画はUH60Jのコックピット!!
震災時のお話を聞くことができましたので少し。
震災後すぐに小牧基地にある5機のUHのうち4機をひきいて百里に向かったそうです。
震災直後の混乱 指揮系統も混乱の極み
出された命令は「見つけ次第救助せよ」
どこで誰を救助せよとの命令は全くなしだったそうです。
空も陸も混乱 震災数日間は救助のヘリ
物資輸送のヘリ そしてマスコミのヘリとで空中衝突の危険が非常に高かったそうです。
自衛隊内ですら陸海空と指揮がバラバラで
なおかつそこに警察 消防 各県の防災ヘリ 海保のヘリが救助に当たるんですから
本当に危険だったそうです。
そこにマスコミのヘリが強引な取材。
マスコミのヘリには相当頭に来たそうで
取材のために無許可で寄ってくるヘリには
よく撮れるように寄せてあげたそうです(爆)
震災から数日がたち三沢からE2Cが飛び陸海空米などの空中管制を行いようやく
整った空を飛べるようになったそうです。
1日目に救助した人も半日までは数えていたそうですがあとは・・・・・
数え切れない被災者の数にスペース確保のため余分な機材はすべて下ろし
毛布を積み込んで被災者を助けに向かったそうです。
チヌークは使えないの?の韋駄天の質問に
チヌークは大きすぎて吊り上げ救助には風圧が強すぎだそうです。
物資輸送や着陸しての輸送には大きな力を発揮したそうです。
救助にまつわるいろいろなお話を聞くことができました。
パニックを起こしてる患者さんは空中で暴れられると墜落の危険があるので
落ち着くまでは地上で待ってもらったそうです。
女の子の乗せるときに女の子は「お父さんお母さんを待ちたい」と懇願されたそうです。
指揮に問い合わせてもかえってくる答えは現場判断。
中村Pはしっかりとした施設があるところまで女の子の避難を決断したそうです。
次の日この子がここで食べることすらできないとの判断。
苦渋の判断だったと思います。
数日たって孤立地区への救助のとき
○×小学校屋上に救難者救助 の命令がくだっても
○×小学校がわからない。津波に流され全く目安になるものすらない
大きな建物の屋上に一人を下ろし場所を確認しては飛び上がるの連続だったそうです。
ちなみに静岡県は東海地震想定のために各学校屋上に識別ナンバーが書いてあり
そのナンバーを目安に救助できるようになっているそうです。
各県導入すべきですね!
松島基地 仙台空港の壊滅的な打撃はやはり大きく
ベースは百里だったそうです。のべ400名以上の被災者をこの機体で運搬したそうです。
本当に大変だった72時間のデットラインを飛ばれたPさんに敬意です。
下記ブログにあと6枚ほど貼ってありますのでぜひ
Posted at 2012/03/28 12:03:17 | |
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小牧基地 | 日記