
石巻の牡鹿半島に被災地ボランティアにパジェロで行ってきました。
ボランティア・コーディネーターの友人とボランティアと自分、計6人で荷物を満載にして東京を出発。福島あたりから高速道路に震災の補修跡が増えてきます。
うねったガードレール、傾いてる電柱、ラジオからはしょっちゅう地震のアラーム。被災地に近づくにつれ緊張しました。自衛隊の車、それも普段あまり見ないオフロード大型トラックやハマー、でかい重機をつんだ車が列をなして並んで走行してるのはまるで戦争のようでした。
仙台南から仙台南有料道路を通り海に近づき、はじめて津波の跡を見ます。テレビで何度もみたただ広い田んぼに流されたクルマが点在してます。
被災地で給油しないでいいように随分前のSAで軽油満タンにしたのですが、石巻市内の巨大なイオンに着いてびっくりします。何でもありました!!
ナビの画面が見た事ないくらい行き止まりを表示してる中、物資が潤沢なのにちょっとほっとしたのですが、牡鹿半島に行く為に海に近づくと津波の威力の跡に絶句します。言葉になりません。本当に凄まじい。
続いて明かりのない半島の西海岸を南下。真っ暗な道路を地割れや悪路に気をつけて慎重に進みます。クロカン四駆でなくても通行できますが、4WDで走れるに超した事はありません。
東京から7時間くらいかかって目的地に着きました。見渡す限り破壊された街の高台の役所の支所はこうこうと灯りがともり真っ暗な街で輝く様はなんとも異様です。市の担当者の好意でここを拠点としボランティア活動を行う事になってました。
それぞれ振り分けがあり、僕の仕事は半壊した家の瓦礫撤去です。大きな避難所などのない行政の手の届きにくい小さな集落で、家2軒分と他の仕事を自分なりに一生懸命しました。
事情や雰囲気は被災地によって様々だと思うのですが、僕の行ったところは人的被害がとても少ない事もあってか、人々には明るさや快活さがありました。地域の人々の結びつきや互いの思いやりがありました。(一旦避難所に行って戻ってくる人もいるそうです。)これはうれしい発見でした。
そして数日の滞在を終え、小傷が付きほこりで汚れたパジェロで被災地を後にしました。潮も被って仙台で洗車したのですが長距離移動、現地の悪路走行、車中泊とパジェロは今回のボランティア活動にとても活躍してくれました。

Posted at 2011/04/25 23:53:50 | |
トラックバック(0) |
ボランティア | 日記