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惰眠のブログ一覧

2004年02月28日 イイね!

一体いつまで乗れるだろう…

一体いつまで乗れるだろう…懸案だったアイドル・プーリー(写真)の交換を終えた。
午後2時半に車を預け、概ね2時間半の作業時間との見積りだったので、しばらく毎度おなじみのHさんとおしゃべりする。
聞くと、今日は比較的ヒマである由。街中であまりアクセラを見かけないけど…などと水を向けると、まだ街中では余りお目にかからないものの、じつは受注好調でスポーティ・グレードを中心に、結構売れているとのこと。
 あるグレードなどは(ちゃんと聞いたのだが、忘れてしまった)きょう注文を受けてもライン・オフするのが3月末の生産分となり、納車は恐らく4月―つまり年度末の追い込み受注なのに03年度決算には織り込めない―になるそうだ。
 発売開始時点では出足が鈍く、どうなっちゃうだろうと不安もあったようだが、市場に浸透していくにつれ着実に売れ行きに結びついているようだと言う話だった。僕は別にマツダ贔屓と言うわけではないが(世間標準からすれば十分マツダ贔屓かもしれないが)ちゃんと作った製品がちゃんと評価されると言うのは、気持ちがいいものだ。
 既存小型車の骨格を流用し、全く異なる外装を着せるために骨格と外板の間にゲタをかませたハリボテ構造を採用している某社製品の話など聞くと、マツダって誠実なんだなぁとさえ思ってしまう。商売としては、どれほど性根が不誠実であっても、売れた方が勝ち、というところはあるし、どんなに誠実で真っ当なものづくりをしていてもモノが売れなきゃ始まらないのも冷厳な事実だ。
 ただ僕は、不誠実な製品をそ知らぬ顔で売るメーカーから物を買いたいとは思わない。

 小一時間話したあと、ディーラーから徒歩1分半のスーパーに移動し、週末の買い物などで時間を潰す。最上階の玩具売り場を覗くと、おやおや。30年ほども前に弟が持っていた、超合金の「マッハバロン」が売られている。記憶にあるそれよりも若干サイズが小さい気がするが、箱を手にとって見ると「コレクタブルなサイズで云々」の字句が記されている。
するとこれは、再販ではなくて金型などを新しく起こしたのだろうか。いずれにせよ、コレクタブルだなんて単語が出てくる以上、これは明らかに子供に向けた玩具ではなくて僕ら30台の「おおきいおともだち」の財布を狙った企画だ。売価1980円。話の種に買おうかとちょっと思ったが、なんだか踊らされてるような気がしてやめた。

 駄菓子のおまけなど、所謂「食玩」の世界ではこうした懐かしものが隆盛を誇っている。最近のグリコなど、昔々のシングル版を模したCDをつけているらしい。
車の趣味の世界でも「旧車」なんて呼び方で(僕はこの言い方が好きじゃないが)昭和40年代、50年代の製品が人気になっているらしい。ディスカバー・ジャパンなのか、古いものが逆に新鮮に映るのか判らないけれど、いまユーノス500の原状回復に苦しんで(?)いる僕としては、旧い車って別にいいもんじゃないぜ、って思う。
 そんなことを言いつつ10年超の車に乗ってるのだけれども、正直なところ「いつまでこいつに乗っていられるだろう?」と思うのも確かなのだ。まあ多分、よほど回復不能なダメージを負うまでは修理代をズルズル払いながら乗り続けるのだろうけれど。
今回も、修理をしたらしたなりに快適さを取り戻してしまったのだから。
Posted at 2004/03/01 14:19:44 | コメント(0) | ユーノス500関係 | 日記
2004年02月27日 イイね!

法の正義と言うけれど…(または「名誉なき弁護団」)

法の正義と言うけれど…(または「名誉なき弁護団」)朝からこのニュース一辺倒だった、オウムの麻原裁判(第一審)は、午後になって被告人に死刑判決が下されて、終わった。
一連のオウム事件に関与した他の被告の供述や検察提出証拠の描き出す事件の構図には、破綻があるとは思われず、したがって今日のこの判決は極めて当たり前の結論だった思うのが、僕を含め殆どの人の感想だろう。

 これを当然と受け止めない人たちも世の中にはいるわけで、その代表格は被告人弁護士だ。何しろこの裁判で弁護団は「全面無罪」を主張していたのだから。言ってみれば「冤罪だ」と主張し続けてきたのだから。
 僕は、そう主張すること自体を間違っているとは言わない。何しろ裁判である。しかも被疑事実から考えれば、どれほどの酌量要件を積み上げても死刑判決以外に考えられないような犯罪についての裁判である。
 通常の刑事裁判のように、起訴事実は認めた上で情状を訴える、なんてやり方では意味がないのだから、弁護方針としては最早「あれは被告人の与り知らぬところで起きたことだ。だから刑事責任はない」と主張するのも、まぁ判る。
 「十二人の怒れる男」ではないが、甲論乙駁を通じて隠されていた事実が明らかになる、なんてこともあるかもしれない。司法制度の上で、何にも間違っちゃいない。

 しかし、有体に言って僕は、麻原裁判の被告側弁護団に対しては、激しい嫌悪感しか抱くことが出来ない。
 「十二人の怒れる男たち」でヘンリー・フォンダが一人陪審評決に反対票を投じつづけたのは、「明らかにされていない事実、事実確認されていない事象を確認し、最終的に事実に基づいた正しい判断を下すため」だった筈である。
 翻って、わが麻原弁護団が一審公判で7年余にわたって何をやってきたか。彼らは会見などで口を開くと、決まって「検察は事実と違うことを言っている。我々の努めは事実を明らかにすることだ」なんてことを言う。
 その言葉を聞くたびに、嘔吐感にも等しい怒りが湧き上がってくる。
 彼らの言う「事実」ってのはなんだ?ろくに被告人と意思の疎通も出来ないような弁護団が、一体どんな確信に基づいて、どんな「事実」が隠されていると言っているのだ?
そして、その「事実」とやらを明らかにするために、弁護団は一体何をやってきた?
 公判開催間隔をユルユルにして裁判を引き伸ばし、数百人に上る被害者のある事件ではその全員分の被害認定を公判で行うように要求して裁判の引き伸ばしを画策し、弁護団辞任を突きつけて公判が止まるように画策し、検出された化学物質に関する証人尋問では噴飯モノのトンデモ理論をもって鑑定結果を覆そうと―つまり、ハナから不可能なことのために無駄な時間を費やさせて来ただけではないか。
 それはつまり最初から、事実を明らかにするつもりも、被告人の利益を図るつもりも、もちろん法の正義を実現するつもりも、全くなかったと言うことだ。
 それが何より証拠には、あの即時(即日なんてもんじゃない)控訴だ。被告人の意思を忖度したわけではなく、勝手に控訴手続きを進め、判決公判後の接見で「控訴したからね」と一方的に事後報告したと言う。あまつさえ、控訴手続きだけしてとっとと全員辞任。一部では、これで控訴審が始まるのは、次の弁護団が決まってから更に2年~5年を要するとの観測もある。
 まったく…この弁護士連中には、法を深く学んだものとしての矜持とか、プロとしての誇りなどと言うものは望むべくもないのだろう。
 要するにこの十二人の国選弁護人たちは、裁判にかこつけて、彼らが主張したい何か別のモノを宣伝しようとしただけのことなのだ。例えば、ケンサツと言うコッカケンリョクとのタイケツとか。シケイハイシみたいな、本件裁判とはなんら関係のない何か。

 そうした弁護団が敗戦の弁で述べたのは「判決は検察側主張を上書きしただけの空虚なもの」だと。臍で茶が沸くような台詞である。
 自分らのシナリオ(=事件は弟子の暴走が原因で、無力な教祖はその阻止すら為しえなかった)を立証することもできなかった―できるわけもないのだが―くせに、裁判の進行を妨害しかしてこなかったくせに、ようもそんな言葉を口にできると感心してしまう。こんなセリフ、聞くだけで耳が汚れる。
 斯様に下衆なやり口で法の精神を踏みにじる麻原裁判の被告弁護人に対して僕は、人類が発明したありとあらゆる罵倒の言葉を投げつけたい気持ちでいっぱいである。
Posted at 2004/03/01 13:11:55 | コメント(0) | 事件・事故 | 日記
2004年02月25日 イイね!

あの日あの時あの場所で、テロが起きなかったら…

あの日あの時あの場所で、テロが起きなかったら…1995年3月20日と言う日付を聞いてピンと来る人こない人、両方あるだろう。僕も、いきなり日付だけを聞かされて「わかる?」と問われても、恐らく首を横に振るだけだ。
けれども、この日に起きたことを知らない人は、まずいない。
この日起きたのは、いわゆる「地下鉄サリン事件」である。
(写真は山梨県上九一色村にあったオウム真理教のサリン製造施設、通称「第7サティアン」)

 僕自身はこの日、たまたま普段より多少のんびり出勤しても大過ない状態だったことに乗じて、まさしくのんびり出勤した。
 だが、もし仮に定刻に間に合うように電車に乗っていたとしたら、通勤経路から考えて僕自身も被害者名簿に名を連ねていても何ら不思議はなかった。
 事実、母の友人が僕の名前とちょっと似た被害者がいることをニュースで知り、(勘違いではあったのだが)大慌てで母に電話をしてきたくらいである。

 あの集団が、なぜああいう事件を起こしたのかについては、事件からほぼ9年、さまざまな分析や評論がされている。
カルト、マインドコントロール、洗脳、閉鎖的な集団内での思考停止などなど。それらは、確かに理由の一端ではあるのだろう。
 けれども僕は、報道など(恐らく公判でも)で述べ立てられるそれらの「理由」では納得しきれないでいる。それらの理由では、あの集団の幼稚でマンガ的な側面を説明できないと感じるからだ。

 オウムと言う集団は、(改名してアーレフとなった今がどうかは知る由もないが)カルトとひと括りにされる中でも、どうも他とは違うように思う。
 どう違うかと言うと、最近マスコミを賑わした白装束集団や、「定説です」で有名になった連中は、その言動の端々に精神を病んでいるかのような気配を感じさせるのに対し、サリンでサティアンな集団からにおって来るのは、狂気性ではなくて「幼稚くささ」なのだ。
 いわく「コスモ・クリーナー」、いわく「ヘッド・ギア」、いわく「CIAの陰謀」さらには「ホーリーネーム」…60年代後半から80年代にかけての少年マンガや筒井康隆・平井和正などのSF小説に原典を求めないネタなど、ただの一つもありはしない。
 それらの創作世界を丸のまま鵜呑みにして、丸のまま現実世界に投射して、丸のままフィクションの主人公の行動原理を実践して…。
そう言う種類の幼稚くささがあの集団とあの事件には付きまとっていて、とても気色悪い。
 そしてそれを「幼稚くさく気色悪い」と感じるのは、彼らが僕とは異質で異様なものだから、ではない。
なぜならアレは、僕ら「マジンガーZ」や「宇宙戦艦ヤマト」をほぼリアルタイムで経験した世代が、子供時代に慣れ親しんだ他愛なき空想世界なのだから異質でも異様でもないのだ。
ただ、成人の年齢に達してなお空想にしがみついていることが果てしなく気色悪い。

 思いに任せぬ現実と、自分の内面との間にある大きな不整合を、マンガやSF小説の主人公に自らをなぞらえたヒロイックなフィクションで埋め合わせる。
 そうした行為自体は、ごっこ遊びや現実逃避(あえて、逃避とする)の一類型で、子供時代には恐らく誰しもが経験したことだろう。けれども「オトナ」になれば、そんな方法では、結局、現実に立ち向かうことなんて出来ないということを知って、オトナなりの対処方法で現実と対峙するなり折り合うなりして行く筈だ。
 それが出来なければ―フィクションの繭で自らを守ることから抜け出すだけの成長が出来なければ―人間的に破滅するか、繭に篭り続けて「ひきこもり」にでもなるしかない。
 しかし、もし仮に、そういった幼児性を殆ど克服できないままオトナになった人物がいて、その目の前に幼児性を認めてやるソサエティが存在したとしたら…?

 以前、いちど元自衛官のオウム事件被告の公判を傍聴したことがある。
 いまでは誰の裁判だったかを思い出せないが、そのとき被告人が語った、オウムに入信した理由、事件に関与した動機を、僕は今も忘れることが出来ない。
それは何故だか報道されなかったのだが、彼は自らの口でこんなことを言った。
「自分は、いわゆる被差別部落の出身だ。進学、就職など人生のあらゆる局面でいわれなき差別を受け続けてきた。隊内でも他の隊員や上官から差別を受けた。こんな理不尽な社会は許されるべきではないと思っていた。そんな折、世間に復讐をしても許される、それは正義だと教えるオウム真理教に出会った。だから入信し事件に関与した」。

 このとき、もの凄く納得がいった。
「世の中」への仕返しをしたい連中がいて、そう言う報復感情を容認し奨励してやる教義・教団(=ソサエティ)があって、だからそこに所属して…そして、実際に仕返しをした。
(念のため書いておくが、僕は社会的な差別は、それがいかなる種類のものであれ、容認するつもりは微塵もない。ただ、差別を受けたことを理由に報復する、報復が許されると考えることは―この文脈の表現を用いれば―幼稚で甘ったれた大間違いの考えだ、と言いたいのだ)

 科学の知識や道具立てがなまじ大人のそれだっただけに、事件では幾人もの人が生命を奪われる、悲惨極まる事態に至ったのだが、根っ子を突き詰めていけば「あいつさえいなけりゃ、自分は(世の中は)もっと幸せになるのに」「あいつら、自分にこんな酷いことをした。復讐してやる」…つまり、そういうことなんだろう。

 だから、弁護団がしきりに主張する宗教性だとか言うようなものは(そういえば、中沢ナントカとか吉本ダレソレとか言う一部「知識人」どもは、その辺を大仰に取り上げて礼賛していたっけ)、全然本質ではないと、僕は思っている。
 もしかしたら宗教性を云々し得る側面もあったのかもしれないが(僕個人は、そんなモンを見出すことは全く出来ないが)、こと一連の事件に関して検討する限りにおいては、宗教だの信仰だのと言うのは所詮うわべだけの後付けの屁理屈だ。

 そして今週末、一連のオウム事件の中核にいる「教祖」、麻原彰晃こと松本智津夫被告の、第一審判決公判が開かれる。どのような判決理由によって、どのような判断を司法が下すのか、確かに注目している。

 しかし、僕は思う。
この一連の無差別殺傷事件の異様な側面ばかりに目をやっていると、たぶん、見誤る。いまの世の中で、特に若年層を中心に起きている、余りに短絡的で後先考えないような凶悪事件が、どうしてこうも続くのかを。
その根底に、おそらくはこのオウム事件と同根の「気に食わないから・いやな目に逢わされたから、仕返しにやっつけてやる」と言った幼児的な短絡性があることを。
オウム事件だけの特異な事象だと言うことにしてしまっては、世の中が、どうやら途方もなく幼児的になっていることの危うさに、きっと気づかない。
(ああ、でも9・11後の合衆国の対中東行動方針は、まさにこれなんだな…)
Posted at 2004/02/25 11:49:59 | コメント(2) | 事件・事故 | 日記
2004年02月22日 イイね!

本職の診断:不正吸気音ではなかった!

本職の診断:不正吸気音ではなかった!逆止弁周辺を交換したものの、一向に収まらない「シューッ」と言うような異音の正体を突き止め退治するべく、ユーノス500からアクセラに乗り換えるクラブの仲間に同行し、先月末以来ほとんど毎週のように足を運んでいるディーラーに顔を出した。

 パーツ取りに参加した面々の大多数が僕と同じような行動をとったため、キャンペーン中ということもあってか比較的混みあったディーラーの駐車スペースは、えらいことになってしまった。
尤も、ただ遊びにきて迷惑をかけているわけではない。
 それぞれ、洗車だとかオイル交換だとか、クラッチ交換(!)だとか、お願いしなくちゃいけない作業があるから、お邪魔をしているのである。多少言い訳めいていることは確かだが。

 混雑がひとしきり落ち着いたところで、停止状態では分かりづらいが窓を閉めて走行すると問題のノイズが猛烈に聞こえる症状を説明し、メカニック氏がテストドライブに出て行くのを見送る。自分の車が快音を奏でて走り去っていくのを見ているのは、なんだか誇らしいような面映いような、変な気分だ。
 実のところ「快音を奏でて」なんて言うのは贔屓目もいいところで、かく言う僕自身が「うっわー、こんなにウルサイんだ…」と罪悪感を(かすかに)抱いたのであるが。

 しばしの後、戻って来たメカニック氏は車をそのままジャッキに乗せ、自分も乗ったままリフトアップしてギアをつないだりニュートラルに入れたりして相方と二人で異音の発生源を探している。「うーん、下からのほうが音が大きいね」などという断片的に聞こえてくる二人の会話を聞いていると、どうやら不正吸気が原因ではないようなのだ。吸気系はエンジンブロックの上側にあるのだから、下から聞こえる音が大きいのならば、音源は別にあるはずなのだ。

 なんにせよ、こういうものはやはりちゃんとプロに診てもらうものだ。判明した事実は「アイドル・プーリーのがたつき」が原因だというものだった。事態は深刻である。
最悪、タイミングベルトが外れたり切断して、エンジンバルブやピストンにダメージを及ぼす危険性だってあるのだ。
とりあえず、急激に症状が悪化するほどのところまでは来ていないとのこと、必要部品の取り寄せと来週再びの工場入りをお願いした。
 ここ何年か比較的大掛かりな整備をしてきたから、確かにこの車は金食い虫だなぁと思ってはいた。しかし、こう立て続けに物入りが続くと、金食い虫どころの騒ぎではない。
このディーラーに勤めるクラブのメンバーも「惰眠さん、先週は何にもなかったんだっけ?先週もあったら5週連続だったのにね~(笑)」などとおっしゃる。先週は何もなかったんじゃなくて、単に模様眺めだっただけのこと。いやはや。
 この先もこの車に乗りつづけようというのであれば、必要なのは愛着ではなく執念なのではなかろうか?
Posted at 2004/02/22 00:05:45 | コメント(1) | ユーノス500関係 | 日記
2004年02月22日 イイね!

まるで鳥葬のごとく

まるで鳥葬のごとくユーノス500のクラブ仲間のうち、恐らく最長走行距離であろう二十数万キロを刻んだ一台が、きょう現役を引退した。
 そこまでの走行距離となると、流石にもう一度市場に流通させて次のオーナーの手に渡す、と言うわけにも行かず(機械的にまだ走れるとしても、市場での商品性がないだろう)持ち主の手を離れることは即ち廃車を意味する。
そうなると畢竟、気の知れた仲間の幾人かが「もしよろしければ、使えそうなパーツを外させて戴けないだろうか?」と申し出るものである。きょうは、そう言う日でもあった。

 暗くなる前に終えられるよう午前中から作業を始めるということなので、「形見わけ」には与らないものの、目覚ましを平日どおりに仕掛けていた。ところがこの数日、風邪気味だったことも理由なのか、見事に二度寝をしてしまった。寝間着から着替える途中で布団に倒れ込んだまま、5時間も寝ちゃったのである。
 気が付いたら午後2時半。事前にあらまし聞いていた作業内容からして、まだ終わってはおるまいと急ぎ車で駆けつけた。
 結局のところ、僕が到着した時にはもう大方の部品取りは終わっていて(写真参照)パワーウインドウのスイッチ一式がごっそりなくなっていたり、メーターは速度計以外取られていたり、フォグランプがなくなっていたり、よく見るとロービームのバルブがなくなっていたりと、なるほど暗くなる前に全て作業を終わらせる必要があるわけだ。

 こういうオフ会を僕らは俗に「ハイエナ」なんて呼ぶけれども、今回の風情はなんとなく「鳥葬」を連想させた。もちろん、本物の鳥葬では亡骸をただ猛禽の食べるに任せるのではなく、お鳥さまが一切食べ残しなく召し上がれるように、あらかじめ人間の側で亡骸を食べやすいサイズに加工するので、被葬者は原形を留めなくなってしまうから、僕の連想は正しくない。
 今回の500は、これからディーラーまで自走しなければならないのだから、当然である。
 ただ、いざ出発しようとしたところ、あるメンバーが保有する車検切れ車のものと交換したバッテリーが完全に息絶えて始動できなくなり、居合わせたランチァ・デルタのオーナー達が呆気にとられたように見守る中、押し掛けなどという珍しいことをする羽目になった。数人がかりで車を押すさまは、ちょうど鳥人間コンテストで人力飛行機を離陸させようとしているような按配でなんだか可笑しかった。
 結局のところ押し掛けではエンジンに火が入らず、ブースターケーブルをつなぐことになったのだけれど。

 ディーラーへは僕も同行した。
かの500の後継車を見てみたいことも理由だったが、何より今、僕の500が抱えている、訳の分からない異音の正体も突き止め、対策しないわけには行かなかったからだ。
Posted at 2004/02/21 23:04:56 | コメント(0) | ユーノス500関係 | 日記

プロフィール

「そろそろ寝ないとなー。あした、絶対仕事が面倒くさいことになるの確定だから。」
何シテル?   09/17 23:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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