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惰眠のブログ一覧

2004年11月30日 イイね!

「感動した!痛みに耐えてよく頑張った!!」

「感動した!痛みに耐えてよく頑張った!!」月末で気忙しい中、友人から紹介された本を読んだ。
日経BPから今月22日に刊行された宮本喜一氏の「マツダはなぜ、よみがえったのか?」と言う単行本である。
折りしも25日付のニュースで、10月の国内自動車メーカーの製造販売台数が報じられ、大手5社のうちマツダだけが前同比でプラスだったことが明らかになったタイミング。なにやら共時性を感じる。
会社帰りの本屋で見つけ、その晩のうちに一気に読み通してしまった。
校正が不完全で意味の通じないセンテンスがあったのには参ったが、マツダ好きか否かに関わらず、ちょうどNHKのプロジェクトXを見るような感じで楽しめる内容だった。

著者自らがあとがきで「マツダへのファンレター」と位置付ける本書は、比較的マツダ贔屓のスタンスにある僕の目から見ても、ちょっとばかり誉めすぎの傾向が見え隠れして小っ恥ずかしい部分が少なくない。
それでも、もはやフォードの極東生産拠点に成り下がるしかないかとまで思われていたあのマツダが、フォードグループ内で地歩を固め息を吹き返したことに対する驚きと賞賛には共感を覚えるし、何より読み物として面白い。

マツダ贔屓とは言っても特段、雑誌記事などを読み齧るようなことをしない(それらを余り信用していないから、ということもあるが)僕にとっては、色々と初耳の話が多く、それらがまたとても興味深い。

例えば1996年のコンセプトカー、RX-01。
次期RX-7の技術的プロポーザルとして開発されたものの「公式には」お蔵入りとなった。それにも関わらず担当者は「非公然で」開発・研究をすすめ、結局その成果がRX-8として結実しているとの話。
これの骨格モデル(ランニング・プロト)に、スポーツカーを愛するフォード出身重役を乗せまくって激賞を得、紆余曲折の末に商売と折り合いのつく4ドア4座のスポーツカーに昇華させた話。
なによりRX-01のプラットフォームは当初から、様々なボディを架装することを前提に考案されており、その系譜に連なるRX-8の社シーを流用して「次期ロードスター」や「次期RX-7」が作られることには何の不都合もないこと。
これらは驚きであるとともに、RX-01というスポーツカーが姿かたちを変えて日の目を見たことに同慶を覚える。

また、1999年のRXエヴォルブ。
以前マツダの関係者から「あれはセダンのデザイン案だった」と聞かされ驚いたのだが、見た目のカッコからしてRX-8のプロポーザルかと思っていたら違うらしい。
RX-8に至る開発の流れとは全く別個に、商売上のプレゼンテーションとしてトップからの業務命令でひねり出された「直列4発を積む(実際にはロータリーを載せたが)4ドア4座のスポーツカー」だった由。
そんな複数の流れが一つになって、再生マツダの看板(イメージリーダー)商品になるなんて、中々に劇的だ。

しかし僕が何より面白く感じたのはフォードからやってくる再生請負人の経営幹部の手腕と、ロータリーのスポーツカーを作りたくてしようがない現場技術者との軋轢の部分だ。
いや、読後の感想からすると軋轢と捉えるのは正しくないように思える。何しろ請負人たちは「商売にならない以上は」スポーツカーにかまけちゃいかんと言ってるだけで、逆を返せば「利益を生むスポーツカーなら作っていい」と ―どうやら首尾一貫して― 言っているのだから。
これは、経営の突きつけた課題と、それに真っ向挑んで結果を出した開発の、熱く燃えるド根性の物語だ。

それにしても目を見張るのは ―本書では特に検証されることもなくサラッと流されているが― フォード・グループの経営の凄さである。
短いスパンで社長以下の経営陣が頻繁に入れ替わったマツダの人事を、傍観者としてはかなり奇異に感じていたのだけれども、あれはちゃんと意味のあることだったのだ。
破綻目前のマツダ建て直しに、まず財務畑の選りすぐりを派遣して沈没を阻止し、次いで販売や商品企画に才覚ある人材を次々とショートリリーフで送り込んで来る、大病院の医療チーム並みの支援策である。
それと同時に、経営が持ちこたえ作り出すべき商品の方向性さえ固まれば、きちんと結果を出してしまうマツダの技術の底力にも感心する。

「カペラ後継車」開発では、再生マツダの先陣を切る商品として既存モデルのブラッシュアップでは全然足りぬとトップが檄を飛ばして途中まで進んでいた開発を白紙に戻して仕切りなおし、RX-8では4ドア4座とスポーツの両立に行き詰まり妥協策に流れようとする現場を「君らはスポーツカーを作る気があるのか」と叱り飛ばす。
浮き沈みの激しいメーカーだけに、何から何までドラマチックなことこの上ない。勤めている側にはたまったもんじゃないだろうが、ドラマとして眺めている分には実に面白い。

ちなみに本書の主題は、ひところ流行したCIだとか企業ブランドの「正しいありよう」らしいのだけれども、やはりこれはファンレターである。行間の端々から著者宮本氏の「感動した!痛みに耐えてよく頑張った!!」と、小泉総理みたいな叫びが聞こえてくるようだ。
それでも単なる贔屓の引き倒しに終わっていないのは、十数年前にユーノス500に惚れ込んでユーザーとなり、その優れた点と至らぬ点を精緻で膨大なユーザーリポートに仕立ててマツダに送りつけたと言う同氏の冷静さの賜物である。流石にソニーの重役まで経験した人は、ファンと言っても一味違う。
ちなみに氏のレポートはマツダ社内でも話題になり、関係各所で回覧されたそうだ。

宮本氏は主に2点でいまのマツダにも苦言を呈している。
第1に、「いい製品を作りたい」と言う熱情に算盤勘定がたやすく挫けてしまうこと。かつて経営をも圧迫したこの傾向は、いまもって根治したわけではない。
第2に、「いい製品を作れば黙っていても売れる」という誤った市場観をいまだ捨てきれていないこと。
マツダは自動車史上に前例のない「大人4人で乗れる本物のスポーツカー」を生み出したのに、その価値をユーザーマーケットに明確に提示しえていない、と宮本氏は指摘する。これは、宿痾だ。似たような事をベリーサでも繰り返していることからも伺えるように、病根は深い。
僕はマツダのこう言った不器用な実直さを好ましく感じている。巧言令色鮮矣仁だ。実の伴わぬ ―もしくは実勢以上に粉飾した美辞麗句など聞く耳の汚れだとさえ思う。
ま、でもそれも程度問題。少なくとも物を作って売って儲けようというのなら、羊頭を掲げて狗肉を売らない程度で、人々の欲求を掻き立てるようなストーリーや脚色は、大事なことだ。

思うにマツダはもっと実力や戦略のある広告代理店に乗り換えたほうがいいんじゃないだろうか。世界規模で展開したZoom-Zoomのキャッチだって広告屋さんの仕事じゃなく北米販社の発案だと言う。
だったら一体、マツダから仕事を請けてる代理店は何をやっているのか。一次支出は増えるだろうが、電通に全面的に任せたほうがずっといいような気がしている。

それは兎も角、個人的には「誰がマツダを潰しかけたか」に焦点をあてたドキュメントなんぞも読んでみたい。
景気だとか消費者心理の動向、自社の実力を誰がどんな風に読み誤り、どのように手当てを誤った結果あの惨状を招いたのか、ビジネス書としても面白い読み物になるような気もするのだけれど…悪趣味か。
Posted at 2004/11/30 16:33:47 | コメント(1) | トラックバック(1) | 芸能・文化 | 日記
2004年11月22日 イイね!

『石原裕次郎の兄です』

『石原裕次郎の兄です』水曜日、会社から帰って何気なくつけたテレビで石原慎太郎原作のドラマ『弟』を放送していた。
元々、石原慎太郎作品(小説)自体が趣味に合わないので放送されることは知っていても全く見るつもりなどなかったのだが、何だか引き込まれてしまって結局ズルズルと最後までつきあってしまった。

石原プロモーションの制作となると、僕の年代だと「太陽にほえろ」とか「大都会」、最近スペシャル番組で復活した「西部警察」の印象が強く、そこから導かれるのは『大雑把で大味なアクション作品しか作れない会社』のイメージだ。
それがどうしたことよ、このドラマ。実にとってもしっかりした「家族もの」じゃないですか。慎太郎とか裕次郎とか、そう言うことを差っぴいてみても、凄くよく作りこまれている。
エンドテロップを見たら脚本にジェームス三木の名前。うわぁこりゃ本格的だよ…。
子供時代の部分は見ていないのだけれど、主役二人(ジャニーズの長瀬智也・石原プロの徳重聡)が「タレントのお芝居ごっこ」じゃなく、ちゃんと俳優の演技しているのにも驚いた。
こりゃあ明日も見るかも知れんなあ、などと思ったわけだが、木曜は遅くまで残業。で、残業の傍ら職場のテレビで結局最初から最後まで見てしまったのだった。まあ、金曜と土曜は見なかったのだけども。

このドラマを見て一つ、すとんと理解できたことがある。
石原慎太郎と言う人は、弟の裕次郎に憧れていたんだなあ、自分には出来ない生き方をする弟を羨んでいたんだなあ――と。そしてそんな弟に嫉妬を覚えつつも誇りに思っていたんだろうと。
少なくとも石原慎太郎の原作をもとに脚本を書いたジェームス三木は、そう読み解いたわけだけれど、そう考えると石原氏が演説のマクラなどで「裕次郎の、兄です」とはにかんだような笑みで自己紹介する気持ち、自分こそが世界一の裕次郎ファンだと言う理由が判るような気がする。
 と言うか、「兄」なんだよなぁ。もしかしてジェームス三木も、下に弟がいるんじゃないかと思うくらいに「おにいちゃんのきもち」が滲み出している。

ドラマそのものはオムニバスめいたショート・エピソードの積み重ねで、ストーリーものとしてみると少しぶつ切りの印象を受けるのだけれども、なに、これはこれは兄・石原慎太郎が綴る、弟・裕次郎の思い出なのだ。折々に刻まれた思い出を語っているのだから、この構成でいいのだろう。
いずれにせよ、本格的なきちんとしたドラマ―役者が、脚本家が、演出家が、プロフェッショナルの仕事をきちんとこなした―を久しぶりに見た。(ちょっと感激したついでに、仕事がてら六本木ヒルズのテレビ朝日に立ち寄り、写真などパチリ。事前に発注していた筈の幟の文字からすると、オンエア前から高視聴率を確信してたってことか…)
そして、石原裕次郎と言う人物は、芸能人とか俳優とかタレントとか、そう言う分類とは別の「スター」と言うくくりで語られるべき存在だったのだなと―同時代的には七曲署の『ボス』以降からしか知らない僕であっても―感じた。

それはそれとして「21世紀の裕次郎」なんて冠詞をつけられちゃった俳優の徳重聡だけれど、このドラマ「弟」を見た限りで言えば、華という部分はさて置くとしても役者としては、これからもっと色んなところから声がかかって表舞台に数多く顔を出すようになっていい力量があると思う。「西部警察」みたいな、演技力は二の次なんて大味なドラマしか出番がないとしたら、もったいない。
まあでも、会社の先輩に言わせると「今度の役柄は、演じるべきモデルが具体的な形で存在するからね~」とのこと。ご尤も。
Posted at 2004/11/24 13:53:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記
2004年11月16日 イイね!

「オレが小便するところが便所だ」

「オレが小便するところが便所だ」12日朝のラジオ番組で評論家の小沢遼子氏が言っていた由、行き付けの個人サイトで紹介されていた。
「『オレが小便するところが便所だ』ネッ、そういうことよね、『自衛隊が活動している場所は非戦闘地域だ』ってのは」。
品のいい比喩ではないが、総理大臣が11日に党首討論で行なった国会答弁の内容水準からすれば、妥当な表現だと感じる。

ああ神様。神様でなくて仏様でも構わないけれども、どうかこの莫迦にこれ以上政権担当させないでください。
日本の国ではこんな酔っ払いのクダみたいな与太が、国権の最高機関における討論として罷り通るだなんて他所の国に知れたら、笑いものもいいところです。
日本国民はこんな阿呆を行政の長に戴いてなんとも思わない程度の国民だなんて目で見られるのは、到底我慢できません。

冗談はともかく、こんな国会の権能そのものを侮辱しているも同然の答弁繰り返してたら、普通は政治問題である。政治家としての根本的な資質に著しく欠けているとして、不信任を突きつけられて然るべきレベルの問題発言である。
前任の森喜朗は、その知的水準を疑わせるような発言を繰り返して各方面から袋叩きにあったが、法治国家としてのありようや議会制民主主義の根幹を冒涜し冷笑する態度を取りつづける現総理大臣は、本来十字砲火を浴びせて即刻撃沈しなければならない「人民の敵(Enemy Of JAPAN)」である。

米軍再編を巡る日米安保の極東条項についての政府見解にしても、先の中国潜水艦による領海侵犯時の対応にしても、今の政権は有力諸国(有り体に言えば国連安保理常任理事5カ国)に対して余りにも日本の国を大安売りしすぎている。
まっこと、大バーゲンセールである。
国際社会において名誉ある地位を占めるというのは、一独立国としての名誉や尊厳を売り払った対価としてポストを手に入れることでは、断じてない。
Posted at 2004/11/16 01:25:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2004年11月10日 イイね!

よく見りゃ違うが雰囲気が似てる

よく見りゃ違うが雰囲気が似てる最近、韓国のテレビドラマが大ヒットしているそうで、主演の役者さんたちの来日も相次いでいる。
僕の職場にもこの「韓流」にドップリ漬かっている女性がいて、まるで米国ドラマに出てくるパワーエリートが家族の写真を執務デスクに並べ立てるが如く「ヨン様」だとか「ビョン様」だとかのグラビア写真をピン止めしている。
尤も、このブームの中心にいるのは主として30代以上の女性だそうで、老若男女問わずみんなが好きというものでもないようだ。ちょっとした興味からファン心理むきだしの職場の女性に「どうしてこんなに人気があるの?」と話を聞いてみると、まあ言ってみれば昔ハーレクイン・ロマンスが大流行したのと似たような理由があるように思われた。現実に疲れた年頃に夢見る、憬れのロマンチックな純愛ドラマって奴だろうか。

余談ながら、僕の職場で韓国ドラマに熱を上げている女性はまだ20代半ば。主要なファン層から比べるとぐっと若い。それにしちゃ随分とオバサン趣味だなぁとの思いがふと頭をよぎるが、間違ってもそんなこと言ったら金輪際口を利いてさえくれなくなるので言わない。
尤もこの人、小学生の頃から時代劇が大好きで(「大岡越前」や「江戸を斬る」を語らせると止まらない)大学時代は欠かさずにサスペンス劇場を見ていたそうなので、もともと渋い趣味の持ち主なのかもしれない。

その彼女の机に、なぜかプロ野球日本ハムの新庄剛志選手の写真が貼ってあるので新庄のファンもやっているのかと聞いてみると、憤慨された。「これは、新庄じゃなくてイ・ビョンホンですっ!!」
なるほどちゃんと見りゃSHINJOじゃあない。そうか、これが韓国男優四天王の一角、ビョン様なのか。
それにしても…少なくともパッと見の印象では、本当に新庄に似ている。人気は兎も角として少なくとも美男の類じゃないよなぁ…なんて言うと口きいてもらえなくなりそうなので、これも言わなかった。

随分マクラばかりが長くなってしまった。
きょうの昼頃六本木ヒルズに行ったときに毛利庭園の脇(と言うかテレ朝の車寄せ前)にトヨタの新型車Mark-Xがぽつねんと展示されていたのだけれど、マークⅡ後継のこの車を見て思ってしまったのだ。
「ちゃんと見りゃ確かにトヨタ流の高級車デザインになってるんだけど、パッと見はなんだか随分とBMW5シリーズの印象を持ち込んでるなあ」と。
現行クラウンがメルセデスのSクラスで、マークⅡ後継車はBMWかぁ…と。

立体造型の勉強をしてきたわけではないので適切な語彙を持ち合わせていないのだけれど、ボディパネルの面の見せ方や緊張感の出し方なんかは「モチーフ」のBMWとは完全に別物だ。
そして、こちらはこちらで相当に高度な技術で(好き嫌いは別にして)完成度の高い造型を物にしていると感じられる。
これだけ別の技法を投入して決して猿真似などしていないながら、全体からにおってくる雰囲気を似せられるなんて本当に凄い技術力だ。
これで、造型の基本骨子を他所から拝借するのではなく自前のコンセプトで勝負するようになったら、市場で受ける受けないのリスクは今より大きくなるだろう(他所が既に市場に問うて受け入れられた路線を踏襲するような安パイ切り続けのようには行かない)けれども、向かうところ敵なしのトップランカーとして君臨するんじゃなかろうか。
まこと、大トヨタ恐るべしである。

まあそんな皮肉で偏屈な見方をしなければ、今度のMark-Xは普通にカッコいい。高級車らしい雰囲気にも事欠かない。
最近デビューした日産のフーガと比べても、一つ格下であるはずのマークXの方に軍配を挙げたくなるくらいだ。(個人的にはフーガの商品コンセプトってなんか少し方向性を間違っている気がすることもあるけれど)
この車は、きっと多くの人に好かれてたくさん売れるだろう。

でも僕に関する限り、SHINJOとビョン様の「そっくりさん」御両名がカッコイイかもしれないけどハンサムだとは思えないのと同じように、BMWの5系とマークXはやっぱり色々と好みじゃないのだった。
Posted at 2004/11/10 15:04:31 | コメント(2) | 日本の車 | 日記
2004年11月03日 イイね!

生きた証に

生きた証にそれ以外の結末はありえないと思ってはいたのだけれど、イラクで拉致された福岡出身のバックパッカー青年は殺害された。
ボランティア関係者や報道関係者が拉致された前回と違い、初めから彼自身の無思慮ぶりが際立っていたためか、この青年の事件をめぐっては、わざわざ「自己責任」を声高に宣伝する向きはない。

それにしても思うのは、再選を果たしたブッシュ大統領の常套句「イラク戦争以後、世界はより安全になった」の台詞。
独裁者サダムがいた頃のバグダッドは外国人のバックパッカーがいきなり拉致されて首を切り離されるなんてことはなかったはずだが、気を抜いて甘い判断をすると生け贄の羊のように殺されてしまう今の状況のほうが安全性が高まっているということのようだ。
平和ボケをしている僕の頭では、「アメリカ人皆殺す。アメリカの同盟者も皆殺す」なんて表立って宣告されてるような状況が、それ以前に比べて安全だなんて理屈は到底理解出来ない。

ま、そんな状況になったモンは仕方ないとしてだ。
今回殺された青年に対する冷淡な扱いを通じて、僕はなんだか自分が本質的に何に苛立っているのかがようやく理解できてきたような気がする。
「香田証生は死んだ!何故だ!!」「○○だからさ」
一世を風靡したアニメの有名な台詞をもじるとこんな感じだ。
○○にどんな言葉が入るか。
僕の中の冷笑的な部分は、莫迦の二文字を入れればそれでお仕舞いだと言っている。
でもそうじゃない。「(前略)何故だ!!」「日本人だからさ」
当たり前のことだが、これが答えだ。

彼が何をしにこんなご時世のバグダッドに入ったのか、彼の個人的なバックグラウンドが如何なるものであるのか、そんなことは問題ではない。
日本国籍を有するものが、日本国籍を有するがゆえに殺された。そのことが問題なのだ。
サマワで自衛隊のやっていることが人道復興援助なのか、単なる井戸掘り水汲みなのか、そんなことは論点ではない。
アメリカ合衆国の対イラク政策を是とし、国策として具体的な協力活動をしていることが論点なのだ。
それがために香田青年は殺害されたのだから。

我が国政府の要人は言った。「自衛隊の活動内容が、人道復興支援であるということをよく理解していただければ―」。
違う。そうじゃない。
活動の内容が何であるかなんて、関係ないのだ。
「アメリカを支持し、アメリカに協力している」という根源の一点を巡って日本国そのものが、重ねて言うが日本国そのものが挑戦を受けているのである。
どうしてその点に目をつぶろうとするのか。どうしてそこから目をそらさせようとするのか。
自国の判断・決定に誤りなしと胸を張るのならば「活動内容が正しく理解されていない」などと寝ぼけたはぐらかしなどせず「これは日本国に対する重大な挑戦だ」くらいのことを発言して欲しい。「不当な脅迫には屈しない」ではなく「草の根分けても探し出し、奴らに代価を支払わせる」との決意があってしかるべきだ。

「迂闊な風来坊がひとり殺されちゃったけど仕方ないよね~」じゃなくて、「日本人を殺害するということは本邦の政府・政策に対する挑戦であり、座視するものではない」だ。
自国を誇りに思うなら、そいつがどれほどの最低品であろうとも、国籍を理由に殺害されたのである以上、国の名誉を守るために(その形がどうあるかは別の議論だが)戦わなくちゃいけない。「この悲しみを怒りに変えて、起てよ国民!」などとアジるつもりはないけども。


こういう議論になればアメリカのケツを追っかける政策方針そのものが批判に晒されることは避けられない。
そのことを嫌って論点を誤魔化しすりかえて逃げ回っているのは、最初の人質事件のときから全く変わっていない。
口から出てくる言葉だけはやたらと威勢がいいくせに、その実やってることは姑息で卑怯。それで有権者国民を丸め込もうって態度も苛立たしいし、まんまと丸め込まれる連中が社会の木鐸ヅラしていることも苛立たしい。

国連安保理の常任理事国になりたいとか世界で名誉ある地位を占めたいと望むなら、問題点を正しく認識した上できちんと論理構成を組み立てて正面から事態に向き合えるようでなくちゃダメだろうに。

それにしても、アメリカさんと仲良しこよししている国の国民であるということは、殺されなくちゃならないような事なのか。
Posted at 2004/11/04 16:17:04 | コメント(1) | 事件・事故 | 日記

プロフィール

「生存確認(苦笑) http://cvw.jp/b/9433/43557811/
何シテル?   12/20 11:49
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