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惰眠のブログ一覧

2007年05月30日 イイね!

若葉マークの頃

若葉マークの頃古い写真を整理していたら、懐かしいものが出てきた。青い2代目FFファミリア(BF型)の5ドア・ハッチバックに、若葉マークがついている。ナンバー・プレートには、これがレンタカーであることを示す「わ」の文字。大学2年の夏休みに、唐突に「車の運転がしてぇ~」と思って近所のレンタカー屋に行き、当日配車可能だったストックの中からまずまず手ごろな値段の1台を借り受けたんだっけ。

 当時、家には自動車がなかった。父は運転免許さえ持っていなかった。必要性を感じなかったのだろう。免許を取ったのは僕や弟が独立し、公共の交通機関が動いていない時間の突発事態に対応できる「足」を自分で調達しなくてはならなくなってからのこと。だから運転暦で言えば、僕や弟は父よりも先輩格に当たる。

 それはともかく、家には車がないのだから、運転したければ借りるしかない。免許を取って一番最初に運転したくて借りたのは、夕方の講義までの時間をサークルのたまり場で過ごしていた先輩のレオーネ(4速マニュアル)だった。
 たまたま僕と同時期に免許を取ったばかりのK君と二人がかりで、90分枠の講義が終わるまでにはちゃんと還って(「帰って」と言うより「生還」だよなあ、やっぱり)きますからと頼み込んでキーを受け取ったのだ。
 思い返してみると、なんと無茶で厚かましいお願いをしたんだろう、よく貸してくれたもんだと我ながら恥ずかしいやら呆れるやら。いま仮に僕が、免許取立てで路上で一人で運転するのはこれが初めての後輩に「クルマ貸してください!」とお願いされてウンと頷くなんてできない。

 ああ、でも書いているうちに思い出してきた。冗談半分、期待半分で「貸してくださいよ~」なんて言ってみたら、割とあっさりOKして貰っちゃったんで逆に「でも俺ら2人とも免許取立てですよ?本当にいいんですか?」などと慌てたような記憶が、うっすらと残っている。……これで事故でも起こしていた日には、貸してくれた先輩にも責任が波及するわけで、いま思い出しても冷や汗ものだ。

 で、写真の青いファミリア。これも手動変速のトランスミッションだった。MT車をリクエストしたので願ったり叶ったりなのだけど、今思えば夏休み期間だと言うのに借り出されることなく残っていたのは、MT車だったからなのかもしれない。店の人にひとこと「免許取立ての方はとかく半クラッチを使いすぎて摩滅させちゃうことがあるんで気をつけてください」と釘を刺されてしまったのがちょっと悔しかった。坂道発進でも半クラッチに頼り過ぎない運転ができる自信は、そこそこあったからだ。

 若葉マークのついたレンタルのファミリアでは、県境を2つほど越えてみた。後年、最初に買ったユーノス500(いま乗っているのは2台目)と一緒に自動車解体工場のプレス機で潰されたであろう山下達朗とオフコースのベスト版、上田正樹のカセット・テープを聴きながらのドライブだったことは不思議とよく覚えている。
 ただ、このファミリアがどんなクルマだったかなんて印象は、全然残っていない。そもそも、これ以前に乗ったことのあるのは教習車だけで、比較対象がないんだから良いも悪いもないのだけれど、夕闇に暮れる曲がりくねった道で、おばちゃん(20そこそこの若造の目から見て)が運転するフォード・トーラスに追い回されて「若葉マークのレンタカーを煽るなよぉ、初心者いたぶって何が嬉しいんだよぉ」と憤慨しながら同時に、トーラスって速いんだと感心したっけ。

 我が家に初めての自家用車がやってくることになったのは、この初の単独ドライブからおよそ4ヵ月後。渋る父を説き伏せてのことだった。
Posted at 2007/05/31 14:04:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2007年05月29日 イイね!

続・記者の質――「虚報」は言いすぎだった――

続・記者の質――「虚報」は言いすぎだった――前々回にああは書いたものの、ちょっと原点をもう一度冷静に振り返ってみようと思って、改めて毎日新聞の当該記事を探してみた。毎日新聞社そのものの記事リストでは既に見られないようだけれども、全文をコピーし掲載しているサイトは幾つかあったので(著作権の侵害なんだけど……)内容はわかった。

 で、過ちては革むるに憚ることなかれ、だ。毎日新聞の虚報であったと断じたのは、言葉が過ぎた。撤回する。その理由は、次の通りだ。

 転載されている記事を読むと、読者の受け止めはともかくとして、新聞記事の作法は守られていて、ちゃんと一方当事者の主観ベースで主張されている事象(=カギカッコ引用)と、客観的事実(=記事の地の文)とを区別して記述している。
 つまり、少なくとも形式面において、毎日新聞自体は主体的に『放置』とも『たらいまわし』とも言っていない、そのように遺族が主張しているのを紹介しただけであると言いうる体裁を整えて(言い換えるなら、言い逃げする余地を残して)いるのだ。それに、確かに『重篤患者の緊急転院を行うシステムに問題がある』ことも、言われてみれば書いていないわけではない。

 たとえ遺族側主張を偏重したような記事であったとしても、「遺族はこういっている」との体裁を守って逃げ場を作っているいる以上、「虚報」と呼ぶべきではない。精々「飛ばし記事」と表現するに留めておくべきだった。

 ただし、僕が撤回するのは「虚報」と決め付けた部分だけ。事実経過の中でサラッと流して書いてあるだけなのに「緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状」を訴えたかったなどと言う事後の解説は独り善がりが過ぎて噴飯ものである。
 あの書き方で「この案件のポイントって、妊婦が亡くなったとか医師が全力を尽くしてないとかじゃなくて、システムに問題があるって話じゃねえの?」と気づく読者がどれほどいるのか疑問だ。

 繰り返して書くことになるが、本当に最初から「緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状」を世に問うつもりだったならば、本記原稿があのようなものだったにしても最低限サイド原稿なり識者コメントの採録なりを付して、記事の重点がそちらにあることを明確にしていた筈だからである。(それとも戸別配達された印刷紙面では、そうしたサイド記事も掲載されていたのだろうか?)
 もしくは遺族と病院の争いの部分にはあまり言及せずもっと普遍的な問題として、現在の奈良県南部の体制では出産中に重篤な状態に陥ったとしても、救命医療が開始されるまで6時間かかることを覚悟せねばならない、現にそのような事例がおきているという文章構成を採っているはずなのだ。

 だが実際に掲載された記事の骨子は、あくまでも遺族と病院が対立している状況の紹介――控え目に言って――が主要な関心事で、「高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能不全に陥っている」実態を訴えるものではない。行間を深読みしたときに、妊婦死亡事案にはシステム上の背景があることが想像できるといった程度に過ぎない。

 更に、医師個人を問題にするつもりがなかった云々の説明も、僕は受け容れるつもりはない。そんな筈ないだろと思っている。
 新聞記事のお作法の上ではきちんと体裁を守っているが、その実、遺族に糾弾の台詞を「代弁」させているのではないのか?病院側のコメントの中から敢えて木で鼻をくくったようなものを選んだのではないのか?
 そもそも論を言うと、この出来事を固有名詞入りで記事にして世間一般に広く知らしめようとしたこと自体が「わるいいしゃをこらしめてやる」と言う意図の表れではないのか?
 テクニカルな部分では第三者性を担保するよう保険をかけているので「虚報」とか「誤報」ではないけれども、記事全体の指向性は「あのびょういんのおいしゃさんがたいまんだったから、おんなのひとがしんじゃったんだって。ひどいよねー」ではないか。

 亡くなった女性のカルテに記載された内容に歪曲や誤り、改竄がないとするならば、記事のベクトルが全く逆に向く可能性すらある。「患者側との認識のギャップに翻弄される医療の現場」のようなものに。一連の帰趨を見ると、僕はむしろそういう記事を書いたほうが余程意義深かったのではないかとすら思う。無論、そうした記事が掲載されれば、遺族が傷つくだろうことは想像に難くないけれども。

 僕は、毎日新聞記者たちが掘り起こそうとした「事実」が、『その時そこで何が起きていたのか』ではなくて『妊婦の死亡を巡り遺族と医師(病院)の間に争いが起きている』だったこと、そして争いの当事者の一方の主張をベースに記事を組み立てたことの2点を主要なポイントとして、彼ら(彼女ら、か)は記者失格だと考えている。

 争いの当事者のどちらをも、責めようとか非難しようと言う意図は全くない。ただ病院には、ここまで問題が深刻化しないように打てる手があったはずだと思っている。
 それは例えば、最大限毎日新聞からの取材に応じ、流石にカルテの内容を明かすことは出来ないにしても、事実として(あるいは一般論との言い方ででも)、どのような対応を取ったのか(取りえたのか)取材者の質問に答え理解させること。
 記事が掲載されたあとでも、速やかに記者会見を開いて「できる限りのことはした」の具体的な内容を時系列に沿って説明することが考えられる。

 確かに個人情報保護や守秘義務は重い。だけれども、新聞記事が『カギカッコ』引用をすることで逃げ場を確保するように「カルテ記載内容の開示ではなく、その医師の記憶を元にどのような行動をとったのか聴取した結果です」との弁解は、程度問題だけれども成り立ちうる余地があるんじゃないかと思うのだ。だって「知りません」は偽証でも「記憶にございません」なら偽証にならないんだから。そのくらいのグレー・ゾーンは容認しなくちゃ。
Posted at 2007/05/29 18:44:28 | コメント(2) | トラックバック(1) | 事件・事故 | 日記
2007年05月26日 イイね!

お兄ちゃんは切ない

お兄ちゃんは切ないツテを頼って先日入手したデカレンジャーの玩具を、弟一家に届けに行ってきた。
正月以来の宿題だ。これでようやく下の甥の期待に応えてやれるなと安心した一方で、上の甥の方はどうしようとちょっと気になっていた。

 事前に保護者に確認したところ、いまお兄ちゃんの興味の中心はもう少し大人びた方面へシフトしているので気にしなくてもいいとの返答があった。――うーん、それはそうなのかもしれないけど……かつて「お兄ちゃん」だった僕はやっぱり、そういうものじゃあないんじゃないかなあ、と思うのだった。

 お兄ちゃんの立場と言うのは、こういうときには切ない。自分は「お兄ちゃん」であるとの自意識があるから、駄々をこねるとかのカッコ悪いことはできない。弟が、親戚から可愛がられるのも確かに嬉しい。だから、自分も親や可愛がってくれる親戚の側に身を置いて「よかったね」と言ってやるのだけれども、それでもやっぱり自分だってまだ子供、弟と同じように構ってもらいたい気持ちだって間違いなくあるはずだ。

 そこで思案した。お兄ちゃんにも何かいいものがないかな、と。
中々思い浮かばなかったのだけれども、車のキーをズボンのポケットに突っ込もうとしてハタと気づいた。キーの横に2001年の夏からずっとおきっぱなしになっている、アルファ・ロメオのエンブレムが入った真っ赤な小さい箱。……これだ。

 中身は、ムゼオ・アルファロメオ展で先着何名かに配られたモノキュラー(単眼鏡)だ。本体にもアルファの紋章が印刷された記念品でケンコー製のかなりちゃんとしたもの(視度調整もついてる)なのだけれども、僕の手元では出番がなくてズーッと死蔵していた。思わず「よ、出番だぞ」などと口に出して言いながら、箱の天辺を軽くポコンと叩いた。

 夕方、弟一家の家にたどり着き、早速ご両親立会いの下で贈呈式。お兄ちゃんの方は(やはり事前に両親から言い含められていたのだろう)事前に事情は知っていたようで、下の甥――自分の弟――の反応を窺っている。……うん、そうだよな。こういう場面でお兄ちゃんの立場じゃあ、それしかないもんな。で、まずお兄ちゃんの方にサプライズだ。
 子供向けの玩具と言うわけじゃあないし、モノキュラーなんて余り主流でもない品物だけれども、でも「お兄ちゃん」として弟より一歩も二歩も大人たちの側に身を置く彼に贈るには、多分きっといい選択だったと思う。

 そして下の甥はと言うと……紙袋の中から出てきたものを見て硬直しちまいましたよ。ちょっと予想外の反応だ。喜色満面とか歓声を上げるとか、もうそういう段階をはるかに飛び越しちゃったみたいで、文字通り棒立ち。まるで夢遊病の体である。まるで夢の中にいるような感じで早速デカレンジャーロボにかかりっきりになるのが可愛らしい。

 その後、夜8時に辞去するまでは、上の甥のリクエストで、バンダイが出しているガンダムの格闘アクションゲームを遊ぶ。横合いでデカレンジャーロボに夢中になっている下の甥が時々、なかなか達者な口調でガンダムの講釈をしてくる。
 それを見て義妹が「ガンダムって、3歳の子供から30代後半の大人まで(一作目が)共通の体験として話題になるんだから凄いわよねー」。そういえば、その通りだ。「もう10年くらいしたらこの子達くらいの世代が仕事するようになるでしょ。その時、お義兄さんくらいの年代の人が上司になるわけよね。で『お、キミ中々ガンダムに詳しいじゃないか、どうだ今晩ガンダムの話で一杯やらないか』なんて誘ったりするのかもねー」……ありうる。

 上の甥のモノキュラーはパパの薦めで、パパの大事なカメラを保管しているドライ・ボックスに間借りすることになった。玩具ではないホンモノであるからには、やはりそれに相応しい扱いが必要なのである、などと部屋の片隅にほったらかしにしていた伯父さんは内心思ったりしたわけだが……ふふ、一歩オトナになった感じかな?ちなみにデカレンジャーロボは、今夜は下の甥と添い寝をすることになるらしい。

宿題完了(ミッション・コンプリート)である。
Posted at 2007/05/28 14:07:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身の回りの出来事 | 日記
2007年05月25日 イイね!

記者の質がすごく落ちている(※画像と本文は関係ありません)

記者の質がすごく落ちている(※画像と本文は関係ありません)添付の画像と本文は直接的に関係があるって訳ではないのだが、都内のテレビ局代表と言うことで。

 少し前、10年来の交流がある在京テレビ局の報道記者と一緒に食事をする機会があった。ズーッと気になっていたことが僕の主観に過ぎないのか、中堅記者も同じことを感じているのか知りたかったので、直裁に聞くことにした。「なあ、最近、君が一番下っ端で駆け回ってた頃に比べて、記者の質がものっすごく劣化しているような気がするんだけど、俺の考えすぎか?」と。

 友人である報道記者の答えは、とても残念なものだった。彼は顔をしかめ、全面的に僕の問いを肯定したのだ。「取材する、と言うことが判っていない。だから、掘り下げることも考えることも突っ込むこともできないし、何が問題なのかさえわからない。記者として非常に低いレベルに安住している」。しかも、中堅以上の記者がそれじゃ駄目だろと若手記者たちに言っても、何で駄目なのかすら理解できない、しようともしないと愚痴ること愚痴ること。悪い意味でサラリーマン化している、と彼は嘆いた。

 続けて友人は「問題は、記者のレベルが落ちただけじゃない」とも言う。ニュース番組までもが経営上の必然から『数字(=視聴率)』を求められるようになり、結果として例えば主戦場である夕方ニュースなどは『在宅している奥様方の興味を引くような内容』にどんどんシフトして行き、現場として「これを伝えなくちゃ報道機関としてダメじゃねーか!」と言うような重要な事案ですら最悪取り上げられず、取り上げられても番組幹部が考えるところの(とは言っても実際視聴率によって裏づけは取れているそうだが)『主婦受け』するようなワカリヤスイ図式に組み替えられたようなものにされてしまうのだそうだ。友人は硬派の報道記者なので「毎日、デスクと喧嘩だよ」と深い深いため息をついた。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 ――と、ここまでがマクラ。長いけど。
ようやくここからが本題なのだけれど、奈良の大淀病院に出産のため入院していた女性が、出産中に脳出血を起こして亡くなった「出来事」のことだ。
 先日、亡くなった女性の夫側が「遺族がマスコミに提供した以外の診療記録がネット上に流出している」云々、「病院関係者の仕業に違いない」云々として、本件の裁判(医療過誤が原因で妻が死んだので損害を賠償せよ)以外に刑事告発するような意向を表明している。特に遺族側弁護士は大変意気軒昂なのだが……。

 この事案については、ほとんど『毎日新聞の虚報記事がもたらした深刻かつ回復不能な報道被害』としか言いようがないと感じている。そのあたりの経緯に関しては、この「みんカラ」内でも医師を生業とする方が記しておいでなので割愛し、取材した側の流れを、ちょっと考察してみたい。医師系のブログなどでも、そっち側からこの「毎日新聞が起こした事件」を検討した例は見かけなかったし。

 まず、毎日が昨年10月に報じた「妊婦放置6時間、たらいまわし死」。署名記事を書いたのは、奈良支局勤務の恐らく3年目前後の駆け出し女性記者。後日掲載された彼女の「ふりかえり」に作意がないとすれば、この記者が大淀病院での出来事を知ったのは記事が新聞に掲載される2か月半ほど前だ。
 まず、ここが一つ目のポイント。彼女はどこから、この第一報を聞きつけたのか。最初、僕は弁護士からネタの売込みがあったのではないかと思った。そうであるならば、記事の方向性が遺族側の視点一辺倒に近いことの理由が非常にわかり易いからだ。だが「ふりかえり」にある、遺族を割り出すことができたのは出稿の直前だとの記述を信じると、一番ありそうなのは妊婦の異常死の届けを受けた所轄署スジだろう。それも恐らくは「雑談」レベルで出た話ではなかろうか。
 で、これも多分だけれど、警察は事件性ナシの判断で動かず、したがって他社も(事案の存在を知っていたかもしれない……可能性は高い……が)取材には走らなかった。この時点で、端緒を掴んだ(と思い込んだ)記者ないしはその報告を受けた上司を含む毎日新聞奈良支局に、一つの先入観が生まれた可能性がある。「これは、事件だ」と。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 次、二つ目のポイント。彼女の記者としての資質に激しい疑問を抱かされるのもこのあたりなのだが「個人情報保護を楯にした病院関係者は取材に応じず」云々の言い回し。思い通りに進まぬ取材に苛立った感じが、この言い回しから透けて見える。
 だけどさあ、病院側が患者のことを言わないのはアタリメーだろ。至極当然の対応じゃないか。これも想像だが『人が死んでるんですよ!』とか『事件を隠すんですか!?』みたいな騒ぎ方をしたんじゃないかって気が、凄くする。ま、要するにこの辺で彼女は病院側と感情的に隔絶しちゃったんじゃないか。
 それに、焦りもあったと思う。「いまならどこの社も動いていない、うちの独自ネタで行ける。医療過誤だから(最終的には)裁判になるだろうが、提訴までに身元を割って取材できなければ、横並びの発表モノ原稿と同じになってしまう――」と。

 この記者が後日ふりかえりの記事で書いた内容の通り、最初から「記事化が必要だと思った一番の理由は、医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」だとするならば、遺族への直接取材は最重要ではない。
 極端を言えば、体験談などは後から寄稿してもらっても十分記事として成立する筈だ。確かに具体事例があるとないとでは記事の説得力が大きく違うだろうが、最重要なのはシステムの方の取材・検証だ。
 そういう場合に重点的に取材をかける対象は、救急指令センターだとか急患受け入れ態勢のある病院全般、現場の救急隊員や医師である。あるいは、行政の担当者であって、間違っても遺族ではない。実際に奈良支局の記者たちが行ったこととは、取材の力点が全然違うのである。

 毎日新聞奈良支局の動き方は事件取材のときのそれであって、行政案件を取材するときの動き方をしていない。血眼になって遺族の身元を洗い出そうとした取材経緯から浮かび上がってくるのは、後から言い出した「搬送システムの不備」云々なんかを動機に取材を進め記事化したわけではない、ということだ。
 傍証もある。一連の「ふりかえり」の中で上司に当たる記者(本社デスクだったか)が書いていることだが「遺族の身元がわからないのなら最小限の記事で出す以外ないかと覚悟を決めた」云々の一文。
 奈良支局発の原稿が「搬送システムの不備」を指摘するための記事だと言うならば、遺族の声が取れないので最小限の原稿になるなどと言うことは、断言するが、絶対にありえない。(――訳でもないか。本件事案の遺族を「生贄の子羊」よろしくシステム不備の犠牲者としてシンボリックかつ情緒的にアイコン化しようとした場合だ。)

 明らかに毎日の記者たちは、「こんな医師がいる、許せない!」と言う声を直接当事者から取ろうとして取材に励んでいるのである。
 もし違うと言うならば問いたい。本当に「医師個人を問題にするのではなく、緊急かつ高度な治療が可能な病院に搬送するシステムが機能しない現状を、行政も医師も、そして私たちも直視すべきだと思ったから」記事化したと言うならば、なぜ整理部のつけた「医師個人を問題にする」ような見出しを撤回させなかったのか。
 僕の知る限りの記者の生理として、記事本記で意図したことと正反対の見出しをつけられて平気だなんてことはありえないはずだ。それとも、最近の記者のレベルは、こういうことさえも平気で見過ごせるほど落ちているのだろうか。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 さて、3つ目のポイント。17日付朝刊に署名記事を書いた女性記者を初めとする奈良支局の取材チームが遺族を掴んだのが日付未詳の10月。遺族サイドへの取材が終了するには最短でも4日かかっている。16日深夜の朝刊締め切りまでに大作原稿の本社チェックも全て終えているとするならば、病院サイドへの再取材のチャンスは最長で12日(10労働日程度)あったはずだが、不思議とふりかえり記事には、患者サイドの情報を元に病院側に再取材をかけたことをうかがわせる記述がない。まあ、患者側が自己に関わる情報をオープンにしたからと言って病院の立場で患者の情報を開示できるわけもないのだが。

 どこまで行っても想像の域を出ないのだけれども、僕は亡くなった女性の関係者への取材を終えてからすぐ(多分当日夜)に最終稿の執筆を行い、翌日付の朝刊に掲載されたのだと思っている。相当事者のコメントなど最初から取るつもりはなかった――精々アリバイ的に「係争中の事案なのでコメントは差し控える」のひとことだけあれば十分と考えていたのではないかと疑っている。

 これが毎日が大見出しで「6時間放置」「19病院たらいまわし」「CT検査の要求受け容れず」云々の存在しない事実を書き立てることになった最大の原因だろう。
 記者(取材団)は、結局のところ、遺族側の話しか聞いていないのである。遺族側の主観によって描写された事案の経緯しか手元にないにもかかわらず、その裏づけを取ることなくセンセーショナルな見出しをつけて記事を出した。

 これは、完全に、全面的に、毎日新聞の過ちである。
遺族は言う。「頭痛を訴えて意識がなくなってから、開頭手術が始まるまで6時間かかった」と。そこにはウソも間違いもない。遺族が見たままの状況だ。
激しい頭痛を訴えた後に意識が消失して亡くなったが、直接の死因は脳内出血で、最初の病院では処置しなかった――これも事実だ。遺族としては、やりきれないに決まっている。もし最初の病院(大淀病院)がもっと積極的に処置してくれたなら、と。至極当然の考えだと思う。遺族は医事に関しては素人であり、本職のプロフェッショナルと同じような事実認識を共有できるとは限らないのだから。

 でも、それは当事者遺族にとっては当然な心の動きであるけれど、そのまんまの気持ちで記事を書くような奴は、記者失格だ。そんな奴の書いた原稿を紙面に載せるような新聞社は、報道機関失格だ。最近は若い記者を教育するときに「ウラを取れ、反対側の当事者の見解を必ず確認しろ」とは教えないのだろうか。レベルが低いにも程がある。
 毎日新聞奈良支局の取材チームが、亡くなった女性の医療記録を確認し、その記載内容の意味を理解していたならば、つまり病院側(医師側)から見た事案の経過も承知していたならば、絶対に初報のような記事になるはずがないのである。
 取材に応じてくれた遺族の心情には背くことになるかもしれないけれど、事実をスタートポイントにしない『報道』に値打ちなどない。害毒しか存在しない。これもまた想像だけれども、遺族への取材を通じて記者(たち)は遺族に共感しすぎてしまったのではないか。そこに「取材に応じない」病院への不満や怒り、一方的な正義感が上乗せされてしまったのではないのか。いずれにせよ、記者失格である。駆け出しだからで許されることではない。そのために、支局長なり本社デスクなりの上司が存在するのではないか。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 長くなったけれど、最後に「情報漏洩」の話。
実際の経緯と異なる『事実』を元に記事を書いた毎日新聞はどうだか知らないが、同業他紙やテレビ・ラジオの各社は、複数の現職医師が自身のブログで検討している通り、事前に一連のカルテをあらゆる手段(遺族側弁護士ルート以外も含む)を講じて入手していた筈だ。それが取材と言うものだからだ。
 遺族側弁護士は、報道各社には(どの程度の範囲かは不明ながら)資料を提供しているらしいが、提供した覚えのない範囲のデータがウェブ上に公開されたとして『情報漏洩だ』としている。んで、伝聞なんだけど、その辺の言い分を一番詳しく伝えたのが日刊スポーツで、カルテ(コピー?)の写真を掲載していた全国紙あたりはサラッと「個人情報漏洩で訴訟も」みたいに流している。

 これ、興味深いと言うか……全国紙は触れたくないだろうなあって思う。
だって、そもそも『取材』って言うのは、公務員にしろ私企業にしろ政治家にしろ、公式の情報とは違ったり公式ルートでは発表されていない情報を取ってくることだからだ。まあ、インタビューみたいな取材もあるけれど。
 突き詰めてしまえば、取材活動ってのはどうしたって、相手の『守秘義務違反』と表裏一体の部分が出てこざるを得ない。弁護士の言い分に全面的に乗っちゃうと、報道そのものを否定することになっちゃうんだから全国紙としては痛し痒しだろう。
 多分、この「大淀病院・毎日新聞記事事件」でも、各社とも当然そういう取材活動をしている筈(もししていないなら、取材者としては怠慢もしくは無能である。『スクープ記事』を書いた毎日新聞の記者と同レベルで)だ。だから、そういう角度から見た場合、この弁護士さんのやったことは、マスコミを引かせちゃうような大失敗ってことになる。

 ネット上にカルテの内容が書き込まれた経緯は僕にはわからない。ただ、最初にその内容を医師専科の登録制サイトに書き込んだ人物の気持ちは、何となくだけれども、想像が出来る気がする。
 遺族側弁護士は大淀町サイド(病院関係者)の関与があったと考えてるみたいだけど、僕はそうとは限らないと思う。例えば読売大阪はかなり広範な記録のコピーを入手していたように見受けられるが、資料を入手した記者なりデスクなりの社内関係者だけではカルテの意味するところを正確に理解することはできない筈だ。
 それをしようと思えば(つまり「事件」の記事を書くにあたり大淀病院での対応の適否を判断しようとするならば)絶対に、記述の文面を専門家に直接(書き起こしではなく手書きそのままのものを)見てもらう必要が出てくる。――僕は、そっち方面から出たんじゃないかな、と言う気がしている。

 僕の描く絵図面は、こうだ。
事案と直接関係のないドクターの所にどこかの記者が来て、カルテの読解を依頼する。資料を受け取ったドクターは、カルテを読んで、報道されている『事実』とはまったく正反対の事実を知り、そのことを依頼してきた記者に伝える。
もちろん、正しい事実をちゃんと報道して欲しいという気持ちが当然あるし、そのことを教えた以上は、必ずや記事になるだろうと期待してのことだ。
 ところが、待てど暮らせどカルテ記載内容を正しく解釈した記事もニュースも流れない。ドクターに取材を依頼してきた社もだ。
 ならば、せめて、医師の仲間内だけでも、カルテと言う事実を出すことで各人の専門家としての正しい認識を共有するべきなのではないか……。
 こういうことが仮にもしあったとすると、全国紙やなんかは、遺族側弁護士の主張には中々乗りづらいだろうなぁ、と。ただ、どういう経緯で(僕の想像が当たっているか否かを問わず)資料を手にしたにしても、これはやっぱりルール違反だと思う。もっと別の、世間的に批判を受けづらい手法があったんじゃないかと言う気がする。そんな悠長なことやってる場合じゃなかった、かも知れないけども。

――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――

 ここまでの経緯はともかくとして、亡くなった妊婦の夫はつい一昨日、町と担当の医師を大阪地裁に提訴した。――とても、つらい話だ。事実経過が、本職のドクターたちが読み解いたカルテの記載内容どおりであったとしたならば、原告男性は道化にしかならない。「事実が明らかになれば」と言うが、既に、事実は明らかなのだから。即ち大淀町の病院医師は、可能な限りの対処を尽くしたけれども、残念ながら患者を救命することはできなかった、と言うこと。
 誤診も、過誤も、手違いも、何もない。責められるようなことは、何一つ。残酷だけれども、医者に診せても助からないときは助からない。そういう結論にしかならないのではなかろうか。

 もしかしたらこの原告男性も、毎日新聞の『虚報』「スクープ」が築いてしまったをきっかけにした「医療過誤事件」という虚像に振り回されている犠牲者なのではないか、そんな気がした。(この稿続く


なかのひと

Posted at 2007/05/25 14:54:17 | コメント(4) | トラックバック(11) | 事件・事故 | 日記
2007年05月22日 イイね!

シリーズ4とシリーズ1

シリーズ4とシリーズ1通勤途中に見るのをちょっと楽しみにしているいつものアストン・マーチンのラゴンダが、見慣れた緑のシリーズ4から赤のシリーズ1に化けていたのは金曜日のこと(添付画像の下)。まさか乗り換えたわけじゃあないよなと思っていたら火曜日、またもとのシリーズ4に戻っていた。まさか修理期間中にラゴンダの代車が出るなんて事はないだろうから、やっぱり商売ものを置いていると考えたほうが自然かもしれない。

 まあ、オーナーが複数台所有してる可能性も否定はできない。車種は別だけれど、割と身近に同一車種を何台も所有している実例があるし。それはそれとして、こうして並べてみると、結構色んなところを変更していることがよく分かって面白い。
Posted at 2007/05/23 22:01:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海外の車 | 日記

プロフィール

「そろそろ寝ないとなー。あした、絶対仕事が面倒くさいことになるの確定だから。」
何シテル?   09/17 23:51
曲面の綺麗な旧い車が好き、エレガンスのある車が好き。そんなこんなでユーノス500に乗りつづけ、もう……何年だ?  気がつけば屋根のない車まで併有。いつまで乗り...
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