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惰眠のブログ一覧

2007年06月30日 イイね!

「これは、どちらのくるまですか?」

「これは、どちらのくるまですか?」所用で都心部に車で出かけ、30分で210円の機械式駐車場に車を預けた。例の路上駐車取締り厳格化のほとぼりが醒めてきたからなのか、ひところに比べると時間貸し駐車場も空いて来たように感じる。お陰で、午後からふらりと出かけたようなときでも停められなくて困るようなことはなくて助かる。まあ、その分みなさん路上駐車に戻っちゃってるんだろうけど。

 さて、用事を済ませて駐車場に戻り、僕より25歳くらい年上のように見える管理人さんに出庫の操作をしてもらうと、シャッターが上がって車が姿を現すなり「これは、どちらの車ですか?」と尋ねられた。ふふふ、流石はマイナー車。この道○○年の駐車場のプロでもユーノス500は知らなかったか。

 「これねー、15~6年前のマツダの車なんですよ。宣伝に失敗して売れなくて、あっという間に絶版になっちゃったんですけどね~」なんて説明をしながら、その15~6年前にも同じようなことを訊かれたのを思い出していた。
 あの時は溜池交差点近くに路上駐車して、すぐそこの『チャンプ』と言う屋号のDPE屋(なのか、安売りテープ屋なのか……)から戻ってくると、車を取り囲んだ中近東系のオヤジ3人から口々に「これはどこの車なんだ」「輸出はしているのか」「俺も買いたいぞ」などと英語でまくし立てられたんだったなあ。

 そこそこ数が出たり媒体で取り上げられたりする車ならばデビューして程なく、車にそれなりに興味のある人にとっては『正体不明』ではなくなるだろう。また、取り立てて興味を引かない(魅力のない)車だったとしたら『正体不明』だとしても別に気にしないかもしれない。なーんて、単に「16年、色あせていない価値」とか言ってみたかっただけなんだけど。

 まぁこれはオーナーの欲目と言うか一種の『惚気』だが、そうでもしなくちゃやって折れない、かもしれない。気のせいだといいのだけれど、この帰り道、ちょっと千鳥足を踏むような動き方をすることがあるように感じた。
 この症状には経験がある。前サスペンションの流体封入ブッシュが破裂してアームがガタガタ動くようになり、下手すればドライブ・シャフトもろとも脱臼するかもしれないって状態になったときの症状だ。勘弁してくれ……。
Posted at 2007/07/02 14:23:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ユーノス500関係 | 日記
2007年06月29日 イイね!

プリウス・タクシーに乗った

プリウス・タクシーに乗ったプリウスといえば燃費、プリウスといえばエコ。そういう「環境意識の高いひとが乗る車」みたいなイメージ戦略が奏功したのか、やたら高級ガイシャが幅を利かせる僕の生活圏でも、プリウスは結構な台数を見かける。ところが僕は、このプリウスと言う車にはとんと縁がなかった。縁がなかったというよりは敬遠していた。
 7~8年前に勤務していた首都圏の事業拠点に業務用車として初代のプリウスが採用されていたのだけれども、その印象がかなり良くなかったために、2代目に進化したあとも全く興味がわかなかったのだ。

 今回、自分で運転したわけじゃないが(タクシーなんだから当たり前だけど)2代目プリウスに乗って、食わず嫌いを反省した。それと同時に、最近試乗した何台かの新型モデルの乗り心地なんかとも比較して、自動車評論家ってタイヘンな仕事だなぁと思ったりもした。
 もう15年くらい前だけれども、下野康史が著書の中で「いまどき『間違いだらけの自動車選び』などと言うものは存在しない、どれもこれも底上げがされているので『これを選ぶのはマチガイ』と言うほど酷いものはなくなったからだ」というようなことを書いていた。それを実感したのだ。
 そこそこ高いレベルでどんぐりの背比べをしているようなもんを乗り比べてブレーキが甘いとかしょっぱいとかやるわけだから、これはこれで大変である。

 ともあれ、2代目プリウスに乗ってなんに感心したかって、痩せ我慢がいらないことである。言っちゃ悪いが僕の感覚だと、初代は結構「エコのためだ」みたいなことを自分に言い聞かせて痩せ我慢するようなところがあった。
 内装なんかは随分とナニで、印象で言えば「カローラじゃなくてコルサ/ターセルのクラス」を感じさせたし、ブレーキの利き方も微妙に素直じゃなかったし、例えばコイン・パーキングで踏み板を乗り越えて出庫するような微速で動くんだけどちょっとパワーが欲しいような局面では融通が利かなかったり、高速道を100キロ毎時で走っていて減速の必要に迫られたとき、一度失速すると中々もとのスピードまで戻らなかったり、細々したフラストレーションがたまる車だった。ハイブリッド車に対する僕のイメージは、そのせいでかなり低いものになっていたのだ。

 けれどもさすがは改善のトヨタ、2代目では特にそういう部分のネガティブな要素がなくなっている。内装は明らかに見栄え良くなっているし、加減速のときに癖のある動き方をすることもないし、街中を走るスピード・レンジなら足回りの締まり具合も心地いいし、まず以って不満を感じる余地がない。後部座席の頭周りも、外観から想像されるような窮屈さは少しもなく寧ろゆったりしている。
 あまりにも感心したもので、目的地につくまでの間、延々ドライバーさんとプリウス談義をしてしまった。

 ただ注意深く粗探しをすると、路面の微細な荒れを結構フロアが拾ってビリビリ都細かく振動している気配が感じられたりしないこともない。まあでも、それはほとんど言いがかりだろう。
 ギアのセレクターとか駐車ブレーキの動作ボタンとかの操作系が、ちょっと未来的な感じ(ただし地に足のつかないSF的な「未来」じゃない)で、ついドライバーさんに「僕に運転させてください!」なんて言いたくなってしまった。勿論言わなかったけど。今度レンタカーを借りて1週間くらい「お試し」してみようかな。
Posted at 2007/06/29 11:59:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2007年06月28日 イイね!

無理が通れば道理引っ込む

無理が通れば道理引っ込む先月の終わりごろから既に3回もエントリーに上げている行きがかり上、やはり節目節目には所感を書き残しておこうと思う。奈良の大淀病院に入院していた妊婦が脳内出血で亡くなった事案で、遺族の男性は病院と担当の医師を相手取って損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こし、その第1回口頭弁論が25日に開かれた。その話だ。

 外野に過ぎない僕なんかは、よく新聞なんかで見かける「訴状を読んでいないのでコメントは差し控える」とするべきなのかもしれない。報道を通じて知ることができるのは、所詮ハイライト(もしくはダイジェスト)に過ぎないからだ。
 それでもダイジェストを通じて見えてくるものもあるわけで、その前提と限界を弁えた上で、敢えて僕はこう結論付けたい。こんな訴訟は、起こさせるべきではなかったと。

 先日、たくぞう@GDBさんのエントリへのコメントにも記したけれども、僕は原告の代理人である石川寛俊弁護士の「罪(敢えて、こう断言する)」は重いと考えている。ネット上の検索で分かる範囲の情報ではあるが、同弁護士はスモン訴訟や薬害エイズ訴訟にも関わった経験を持つ、所謂「医療過誤」訴訟のエキスパートである。複数の本も出していて、まずはカルテの証拠保全をするようアドバイスまでしている。
 その石川弁護士が、本件訴訟においては、マスコミ向けにも大いに訴求点になるはずの有無を言わせぬ証拠である大淀病院のカルテ記載内容を楯にしている形跡がないのは、いかにも理不尽だ。

 カルテの記載内容に一定の信頼が置けることは、ネット上にそれが「流出」したことを同弁護士が公の席で「個人情報の流出だ」と問題視したことで、逆説的に担保されたと考えられる。そして、その内容についてはネット環境を持つ数多の医師や医療関係者が(まるで学会での症例研究さながらに)検討を加えている。
 タイムテーブルは『健康、病気なし、医師いらず』の「奈良の産科医 詳細2」に詳しいので割愛するが、原告側(と、何よりマスコミ)が問題視する「仮眠を取った」のは午前1時37分に脳に病変が起きたことをうかがわせるような症状が現れて「命を救うために一所懸命努力しなくてはいけない状態」になるよりも前、まだ通常の出産の過程にある時だ。
 確かに「急変」した時点(前出の神経内科医師の見立てでは脳出血が発生した時点)で大淀病院の担当医は子癇発作と診断しているのだけれども、その一方で13分後の午前1時50分には転送が必要だ(つまり大淀病院の体制で対応できるはにを超えている)と判断し、転院先の打診を始めているのである。

 僕は医療の門外漢だが、ここから読み取れるのは「精一杯の努力をしている医師の姿」であって、その逆ではありえない。そして、医事訴訟のエキスパートと思われる石川寛俊弁護士に、そのことが読み取れない筈がないのである。
 また、担当の産科医は午前1時37分に患者の状態を子癇発作によるものと「誤診」したあと直ちに(13分後内外)他院への搬送を決断し、その作業に着手している。
 この時点ですぐさま搬送先が見つかれば(患者の病状の深刻さを全く度外視すると)救命できた筈だとしても、受け入れ可能な病院が県内になく、午前4時30分ごろまでの3時間近くにわたって積極的治療を施せなかったことは、当該医師の責任で解決のつく範囲の事柄ではない
 有り体に言って、誤診であろうがなかろうが、搬送受け入れ先が見つからないことに変わりはなく、この点では「誤診」を患者死亡と関連付けるのは、僕は困難だと思う。

 医療過誤訴訟に詳しい弁護士であるならば、少なくとも上記のような状況が確認できる以上、医師や病院の責任を問う訴訟は、思いとどまらせるべきだったのではないか。遺族と病院・医師の間に感情的な対立が生じていて話し合いのテーブルにつくことが困難になっているのならば、その仲立ちをすることが代理人に求められる第一の仕事じゃないのか。それで真実が明らかになればお仕舞いになった話しである。
 きちんと事実関係を整理し明らかにして、その上でなお過誤があるのならば損賠訴訟でも何でも起こせばいい。しかしこの案件に関する限りは、それこそ石川弁護士の得意とする「カルテ」が、医師にミスがなかったことを裏付けているように見えるし、それにも拘らず公訴提起に付き合った同弁護士の対応を僕は「罪」だと思う。

 しかしながら他方で、これは今後裁判の中で原告側が主張してくる可能性があると思われるのだが、仮に午前1時37分時点の臨床所見から「正しく」脳内出血と診断していたら、どうだったかと言う問題がある。
 ネット上で見る限りでは、臨床例の少なさや症状の類似性から「正しい」診断が非常に難しいことが指摘されており、また脳の深いところで起こった出血なので結局救命することはできなかっただろう(だからその可能性を論じても意味がない)とする医師の見解が大勢を占めるように思われる。

 そのことを敢えてひとまず棚上げした場合には、①大淀病院の脳外科医を緊急に呼び出して施療できた筈ではないか、②もっと早くに適切な搬送先を探せた筈ではないか、それらの可能性が潰えたのは医師の「誤診」に原因がある――と言う議論を持ち出せる。
 或いは――起こらなかったIFを云々しても始まらないが――上記のような状況展開があれば、遺族男性は「妻は助からなかったが、一所懸命努力していただいた結果なので仕方ない」と受け入れられたのかもしれない。

 僕が心配なのは、こういう理屈を持ち出してきた場合、もしかしたら裁判所はこの主張に(部分的にでも)理があると判断するかもしれないとの疑いを拭いきれないからだ。全体としては死亡との因果関係や医療ミスの不存在は認めつつも、子癇と「誤診」したことだけはペナルティを科してくるかも知れない。杞憂であればいいのだけれど、こういう理屈は技術的には多分成立しうるとも感じるからだ。

 僕の感覚では、これは医師や病院を被告にするのではなく、行政の不作為を問う訴訟を提起すべきケースだ。深夜に高次医療を提供できる病院施設に患者をスムーズに搬送できる体制作りを怠った自治体や、そのような状態を容認する国の医療行政の過誤をこそ問題として扱う視点を持たないで、なにが法曹か。
 スモンや薬害エイズの訴訟にまで関わった経験を持ちながら、個々の医師が対応できるレベルを超えたところで起きた問題を、医師個人や勤め先の病院に負わせてこと足れりとする姿勢では、過去の経歴が泣くというものだ。

 最後に、改めてもう一度メディアの責任にも言及しておきたい。
「18の病院が搬送を拒否」したなどと言うのは、個別の医師がミスをしたとかしないとかの微視的事象よりも、『社会の木鐸』にはよほど重大な問題だった筈だ。
 ひどいことを言うようだが、大淀病院事例は『所詮』気の毒な女性が一人亡くなった『だけのこと』に『過ぎない』。だが、県内18の病院が深夜の重症患者の搬送を受け入れることができず、県外に患者搬送をしなければならなかったと言う状況は、問題がこの事案で亡くなった女性一人に留まらない可能性があることを意味している。しかも、それが繰り返し発生する可能性を。
 ひと一人の悲しみを慮ることのできない冷血なジャーナリズムは不愉快だが、情緒のぬかるみに足を取られて近視眼に陥っているようでは役割が果たせない。駆け出しの記者がぬかるみにはまるのは仕方ないかもしれないが、それを監督する立場のベテランまでそれでは、全国紙の看板が泣く。


なかのひと

Posted at 2007/06/28 19:30:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 事件・事故 | 日記
2007年06月25日 イイね!

え?レクサスに5ナンバーセダン?!

え?レクサスに5ナンバーセダン?!本日付の日刊自動車新聞によると、トヨタはレクサスのブランドで5ナンバーの3ボックス・セダンを新規開発する計画を持っているようだ。慌ててトヨタの公式HPでプレス・リリースを確認したけど、そんな発表はどこにもない。抜きネタ(スクープ)かな……っていうか、ホントかよ。本当だったら、日経の産業担当記者が飛ぶかもなあ(経済専門誌の日経は、この手の情報の特オチにはことさら厳しいらしい)。

 ただ記事をよく読むと、どこにも「日本市場で売る」とは書いていない。それどころか「5ナンバーのレクサス・セダンを開発へ」ってだけで具体的な内容は全然書かれてない。ま、記事が事実としても、そんな段階までは進んでないのかも知れない。
 だけど、なんとなーくイメージしたのは、次期プリウスのレクサス版みたいなもんを考えてるんじゃないかな、と言うこと。そういう需要ならLEXUSブランドの主戦場である北米マーケットに、多分ある気がする。

 日本では……どうだろう。まあ、既存車種でも日本では扱ってないレクサス車は存在するし、そもそも今の時点であれこれ想像してみても仕方がないんだけど。

Posted at 2007/06/25 19:30:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日本の車 | 日記
2007年06月20日 イイね!

椿……三十郎ですか

椿……三十郎ですか尤も、もうじき四十郎だが。と言うあたりは僕も同じだったりするのだけども、三船敏郎主演の黒沢映画『椿三十郎』を、織田裕二主演のカドカワ映画(監督は森田芳光)でリメイクするって本当ですか。今でもミフネが好きだから心を込めて祈ります。よい出来を――。

 実は割と最近まで、僕は『椿三十郎』が山本周五郎の短編小説『日々平安(にちにちへいあん)』を翻案したものだと知らなかった。主人公の人物造型が違いすぎるのだ。まあ、すっかり別物になっちゃって……。
 周五郎の主人公は菅田平野(すがたひらの)というどっちが苗字かわからない名前をした、風采の上がらぬ中年の食い詰め浪人だ。侍ながら落ちぶれるところまで落ちぶれて、腹切りのまねをしては通行人に小銭をせびる乞食同然の生活をしている。
 それでも何とか食いつないで生きていけるのは寸借詐欺師なみの如才なさを持ち合わせているからで、ひとことで言って小悪党である。剣豪だなんて、とーんでもない。黒澤映画では庭の植木を見て『椿三十郎』と嘯くところ、周五郎の主人公は「腹へって死にそうだから何か食わせて」と敵役にせびるのだ。挙句、食い残しのような冷や飯を出されて腹を立てる。同じ周五郎作品で言えば、この造型は中編作品の『楽天旅日記』に登場する持家益造に近い。

 三船敏郎よりも長門勇に演じさせたい役どころだ。今で言えば、織田裕二ではなく温水洋一のはまり役だろうか。結末も周五郎の小説は、映画と大きく違う。ハラキリ・ショーをするほど落ちぶれていた浪人が、侍らしく見栄を張ろうとして、でもやっぱり見栄を張りきれない人間臭さが僕は好きだ。
 『椿~』は『椿~』として尊重するけども、どうせだったら周五郎のオリジナルに即した映画を見たいなあとも思う。風来坊のスーパーマンが真正面から敵役をバッサリ斬り捨てるのもいいけども、周五郎作品を下敷きにしたのならば、そういう筋立てに翻案するのは違うんじゃないかなあ。
Posted at 2007/06/20 16:35:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 芸能・文化 | 日記

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何シテル?   09/17 23:51
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