2011年04月13日
被災地の友人に震災後に再会できました。
忘れもしない、2011,3,11のpm12:00に友人と昼食を済ませ、愛車の修理をしたかったので、友人には悪かったのですが、理由を話しそれぞれ帰宅の途につきました。僕の自宅は内陸部、友人の自宅は大震災で大津波を受けた、三陸海岸の町です。pm2:00頃から親戚の修理工場でフロアジャッキを用いハブベアリングの交換作業中、pm2:46にあの地震が起きました。これまで経験したことの無いとても大きく、長い揺れでした。揺れが収まった後、まさか、あんな大津波くるなんて想像していなかったかったので、地震の事だけで心配になり、友人に電話とメールを何回もしたのですが、繋がりませんでした。電気と水道も止まってしまったので、携帯ラジオでニュースを聞いたら、太平洋海岸に大津波が来ていると・・・・。
それからも、連絡はつかず最悪の事も考えたくはなかっのですが、脳裏から離れず早く帰宅させてしまった事、取り返しのつかないことをしてしまったと、自分を責めました。友人宅に行きたくても、道路もいたる所で寸断され不可能でした。地震発生から、10日後に友人から短いメールが届きました、「生きてるから」と。大勢の人達が亡くなっているので、素直に喜んで良いのかと複雑な気持ちでしたが、やっぱり生きててくれたことは、言葉に出来ない程、嬉しかったです。ただ地震後、津波が来るまでは20分位しかなかったらしく、急いで、車を高台に走らせていてバックミラーには、津波が見えてもうダメだと思ったといっていました。間一髪波を逃れ、そして、高台から、家や人が流れる光景と悲鳴、犬の鳴き声が聞こえ震えが止まらなかったと、声を詰まらせて言っていました。友人の親戚も数名亡くなったとのことでした。
友人は、今、仕事の関係で内陸部にいます。三陸沿岸には、何度も遊びに行ってましたので町並みは良く知っています。なので、被害の大きさを知って欲しいから、見て欲しいと言ってます。ただ、僕は怖くて悔しくて今はとても見る勇気が出ません。だけど友人の支えに少しでもなりたいと思います。
強い余震も続発しています。これ以上悲しい被害が出ない様に願うだけです。
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Posted at
2011/04/13 23:58:19
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