今年もGW明けに3日間の連休を頂いたので、道南まで走ってきました。
といっても遅筆の為、もう1週間以上経ってしまいましたが・・・。
今回は全日程を通して、安定しない天候に泣かされました。
●今回の走行距離/出費等・・・
総走行距離:1564キロ(前回:1578キロ)
総給油量:155.99リットル(前回:169.27リットル)
燃料代(レギュラーガソリン):22474円(前回:19498円)
高速道路料金:8150円(前回:11450円)
食事代、施設入場料等:6835円
出費トータル:37459円(前回:46175円)
今回は正確な燃費の計測を行いませんでしたが、下道/高速トータルで
概ねリッターあたり10km/h前後と、前回とほぼ同じ数値でした。
ただしガソリン価格の高騰の為に、燃料代は22474円と前回よりも
少ない給油量にも関わらず、金額的には上回ってしまいました。
前回よりもトータルの出費が抑えられていますが、残念ながらお土産を買ってまわる
時間を作ることが出来なかったのが理由です。
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帰ってから気付いたのですが、自分の元での走行距離が5万キロを超えていました。
グロリアと共に走った距離は5万2423キロに達しましたが、特に深い感慨などはなく
いつも通りに走らせているうちに大台に乗った、という感覚です。
乗り始めてから4年以上が経ち、あちこちでサビが発生し塗装は浮き上がり
どこもかしこもガタが来ていますが、ボロなりに良く走ってくれていることに感謝です。
自分のグロリアは綺麗なフルレストア車ではありませんし、希少な未再生原型車でもありません。
さらに、S4系の中では価値が劣るとされる2型(後期型)です。
そんな自分のグロリアですが、猛暑の真夏も極寒の真冬も、猛烈な吹雪も土砂降りも、
渋滞する都市部も、高速道路の100キロ巡航も、アップダウンとカーブの連続する険しい峠道も
寒風酷暑ものかわと 艱難辛苦打ちたえて
1日で1000キロの距離を、高速を発揮しつつノントラブルで走破しうる自信と実証があり
その点では、他の如何なる車輛にも引けを取らないものであると強く確信しております。
特に改造が施されているわけでもなく、パッと見はヤレた普通の車です。
ですが、オイル交換やグリスアップなど「見えない部分」にこそ手を入れてあります。
世の中には「良いクルマ」が沢山あります。
チューニングやエンジン換装によって、現行車に伍する「速い」旧車・・・
新車のような美しさを湛え、指を触れることさえためらわせる極上車・・・
エアコンやナビなどの快適装備によって、現行車並にアップデートを果たした旧車・・・
自分はそういったクルマよりも”オリジナルを尊重する状態で”トラブルなく
長距離を走り切り、万難を排し無事に家に辿り着けるクルマにこそ価値を感じます。
おそらく、自分が所有している間には10万キロを超えることはないでしょうが
5万キロという距離を大過なく走り切れたことに対し、支えてくれた主治医やメカニックの方々、
理解ある家族や出先で助けてくれた方、この車を通して出会えた方々に感謝するばかりです。
何よりも、不甲斐ないオーナーを愚痴ひとつ零さず支えてくれる愛車に感謝です。
G7の音 轟々と グロリアは征く 道の果て
グリルに輝く マスコット フェンダに描きし エンブレム
印は我らが プリンス車
(加藤隼戰鬪隊 戰隊歌の旋律に載せて)
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当初は桜見物を予定していたのですが、曇天下では満開の桜も色褪せて見えることを鑑みて
天気予報を睨みつつ、少しでも天候の安定した地域へと臨機応変に転進することにしました。
今年のGWは天気が良かったのは前半だけで、後半は雨ばかりでした。
特に日曜日(5月6日)は酷いものでした。
3時半頃から降りだした雨は次第に強くなり、更に間断なき猛烈な落雷に見舞われました。
自分の住んでいる地域でも一時的に停電、道東全体では翌朝まで停電が続いた地域もあり
釧路市内でも少なくとも2ヵ所に直撃雷が落ち、街灯や信号が消えてしまったそうです。
横殴りの雨は一時的に雹になり、屋根や車にぶつかって鳴り響く榴霰彈の如き
炸裂音は耳を劈く絶え間なき雷鳴と相俟って、空恐ろしいものでした。
夜9時頃には小康状態となりましたが、その後も雨は降ったり止んだりでした。
仕事が終わり次第「6日未明ヲ期シ決戰ニ突入」すべく暗夜を衝いて抜錨し
道南方面まで躍進するのが理想でしたが、この天候では容易ならざるものと判断し
翌朝まで出発を遅延しました。
悪天候によって当初の予定が狂い、目的地を決めかねていたことも
影響して、起床したのは朝6時とかなり遅くでした。
釧路地方は晴れていたものの、天気予報を見る限り全道的には曇りないし雨という
状況には変わりなく、現状に於いては天候の好転は望めないようでした。
とは云え愚図っていても処置なし、予報は予報と割り切って天候の好転を祈る他に手立てなく。
身支度をしてグロリアに荷物を積載、朝8時に抜錨しました。
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昨夜の嵐が嘘のような澄み切った台風一過の碧空の元、南へと駒を進める。
出発の時間が遅くなってしまったので、朝食は家でとらずに
インデアン(帯広の地場カレー店)で済ませました。
お店の方がクルマ好きで「珍しいクルマに乗ってますね」と声を掛けられ、少しお話しました。
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帯広市内の大手バイク販売店に、CB750F(FC)が並んでいたので信号待ちの間に撮影。
赤男爵ではあまり古い年式のバイクは取り扱わないのですが、たまにこういったモノも出てきます。
ミラーやチェーン・カバーなど、社外品が多数取り付けられています。
個人的には社外の集合管は好みではなく、純正の2本出しがベストで
カスタムするなら、むしろCB750fourの4本出しの方が良いなぁと思います(重くなるけど)。
去年、富良野のイベントで見た6本マフラーのCBX1000はRC166のイメージを
よく投影した素晴らしい雰囲気でした(皿みたいなスーパートラップの”蓋”以外は・・・)。
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帯広のスタンドで給油中、みん友のm13pさんとスライド!
自分は地図を見ていた為、気付けませんでしたが
(クラクションも大型同士の挨拶だと思ってました)電話が掛かってきたので
スライドしたことがわかりました。
m13pさんとは以前にも高速でスライドしたりしています。
電話中にコロナ(RT40)が走ってくると聞き、しばらくするとモスグリーンのバリカンが見えました。
その後の旅行中も「何シテル」でちょこちょこお話ししてました。
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給油後も行き先を決めかねたまま、道北方面(富良野経由)と道央/道南方面(日高経由)の
分岐点である清水まで進むことにしました。
清水に向かったのは分岐点というのもありますが、以前からお話を伺っていたショップに
お邪魔してみたかったからでした。
そのショップは特にトヨタ・スポーツ800のレストアで有名で、車台番号「1」のヨタハチの
ボディ・レストアを、内地のオーナーから依頼された程の腕利きです。
御挨拶もそこそこに、社長さんの素晴らしいコレクションを拝見させて戴きました。
車庫の中には、綺麗にレストアされたベレットGT-Rやヨタハチが並び
たくさんの2U型エンジンがストックされていました。
その他にも、ベース状態のS30Zやハコスカもありました。
ちょうどヨタハチのレストア中で、完全なドンガラ状態のボディを総剥離し
腐った部分をオリジナルに忠実なプレス型で再生するという、素晴らしい仕事を見せて戴きました。
ん~・・・自分のクルマもここまで徹底的にやってもらいたいもんだなぁ(先立つものがないですが)
※コレクションの写真の掲載は控えさせていただきます。
コーヒーを御馳走になりながら暫くお話をしたあと、社長さんにお礼を申しあげて出発します。
天気を確認すると、新ひだか町は晴れているとのこと。
ちょうど静内の二十間道路桜並木が満開だったので、そちらに行ってみることにしました。
清水ICから占冠ICまで高速で進みます。
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時間に余裕があったので、高速を降りてしばらくの所にある
以前から気になっていた車輛をチェックしに行きました。
三菱ふそう・キャンター(2代目・T90後期・1970.7~1973.5)
いわゆる”Vキャン”ですが、殆どは3代目T200系で2代目T90系後期は滅多に見掛けません。
・・・ハズなのですが、なぜか最近T90後期を立て続けに3台(この個体を含む)発見しました。
しかもその中の1台は完全な現役の実働車(農家)です、なんだか感覚が狂います。
荷台には農作業中の休憩室と思しき、斜め屋根付きのコンテナが設置されており
4本の木枠で車体もろとも地面に据え付けられています。
役目を終えた車輛の殆どがスクラップにされる中で、不動になってなお
役目があるというのは幸せなことではないでしょうか。
中央に愛称の基となった「V」を刻んだ、彫りの深い3分割フロント・グリル。
立体的なヘッドライト・ベゼル。
バンパーに組み込まれたイエロー・バルブのフォグ・ランプ。
精悍な表情を演出するグリルと、のっぺりとした広い面積の「おでこ」の対比がユーモラスです。
グリルの脇に配置されたターンシグナル・レンズは本来は橙色ですが、退色して濁っています。
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そこから少し進んだ場所にある、農家の前に並んで置かれていた
トヨタ・ハイエースとダットサン・キャブスターです。
ハイエースは2代目H20~40系(1977.2~)で、通称「新幹線ハイエース」と呼ばれています。
フロントのデザインが新幹線0系電車と似ている、というのがその理由でした。
この個体は前期型で、ロング・ボディのバンです。
柔らかい色調のイエローのボディ・カラーと、茶色い錆のコントラストが
まるで程良く焼けたフレンチトーストみたいで素晴らしいです。
その後方には、ダットサン・キャブスター1300のダブル・キャブがあります。
キャブスターはキャブライトの後継車種(事実上のFMC)で、1968年3月に登場しました。
この個体は1970年にマイナーチェンジの際に排気量を1300ccに拡大、車名に「1300」を
付け足したA321系です。
初代キャブスターは意外と珍しく、ダブル・キャブとなるとなかなか
お目に掛かれないものと思われます。
以前からあるのはわかっていましたが、近づいてよく見たのは今回が初めてでした。
いままでずっとサニーキャブ(もしくはチェリーキャブ)だと思っていましたが、キャブスターでした。
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日産シビリアン(GC240/340系)
1971年9月、欠陥車問題を惹き起こしたエコーのイメージ刷新を狙って
車名を変更したのが日産・シビリアンで、型式に変更はありません。
元々は会社の送迎車だったようで、ボディには屋号が記されていました。
車内にはコンパネで作られた簡易テーブル等があり、農作業中の休憩室となっているようでした。
この近辺には、初代コロナ(S/PT10)の廃車体があるとの情報を得ていたので
捜索しましたが、残念ながら発見できませんでした。
見つけ得たのは1台の初代ハイエース(H10系)だけに留まりました。
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占冠ICからR237日高國道、アイヌの里である二風谷、平取を抜けて富川に到着。
ふたたび天気をチェックすると、新ひだか方面はまたも曇天とのこと。
ここでも悪天候に泣かされ、桜並木は断念しました。
日高富川ICから日高自動車道に乗り道央自動車道に接続、一路室蘭へと早駆けします。
高速から望む海岸線では、ところどころ晴天を見るも路面は雨に濡れた跡が見えました。
途中、樽前SAでみん友の92hiroさんに連絡しました。
4時に室蘭に到着、道の駅で92hiroさんが待っていてくれました。
前回はレックスでの訪問でしたので、グロリアのお披露目は初となります。
御自身もY30に乗っておられたり、子供の頃から國産大型セダンが身近に
あったということで、楽しんでいただけたようです。
駐車場で眺めていると、通りすがりのおじさんに「懐かしいね」と話しかけられたりもしました。
軽くドライブした後、92hiroさんのお仕事が終る8時まで一旦別れることになりました。
空き時間のうちに苫小牧の先輩を訪ねようと思い、5時に室蘭を出発。
登別室蘭ICから高速に乗って、一気に70km程度を走破しました。
苫小牧に着き、ファミリア800バンとminiが並ぶ先輩宅を訪問。
ファミリア800の広告などの資料をプレゼントし、旧車談義に花を咲かせました。
庭にある小さなガレージは、貴重なパーツや当時モノのヘルメットが並べられ
スズキ・セルペットが飾られており、趣味人らしいディープさと
お洒落な先輩らしいセンスに溢れていました。
帰り際に先輩が以前乗っていたスバル360や、ヤードで寝かせている
キャロル360の為に集めた部品を戴きました。
中には、スバル360用のサイド・ターンシグナル・レンズ(袋入り新品)もありました!
あっという間に7時になり、すぐに室蘭へ引き返します。
復路は下道を走行、片道2車線の区間が多くアベレージが高いので
十分間に合うと踏んでいたのですが、時間帯的に交通量が多かった為に混雑していました。
右車線をノロノロと走る車に閉口しながら、ジリジリしつつ進みます。
高速の出口が、待ち合わせの場所からすぐの白鳥大橋の入り口なので
混雑する市街地を避ける意味もあり、登別室蘭ICから高速に乗りました。
待ち合わせの時間に7分程度遅刻してしまいましたが、なんとか到着。
白鳥大橋から美しい工場群の夜景を眺めつつ、軽くドライブしました。
ファミレスでちょっと遅めの夕食をとって、コーヒーを飲みながらクルマ談義です。
駐車場では、ライトを付けた状態のグロリアを眺めながら写真撮影したりもしました。
気付けば2時間以上も経っており、道の駅に戻ってプチオフ?は解散となりました。
92hiroさん、お忙しい中ありがとうございました!
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そのまま道の駅で就寝。
時折、切れた雲間から顔を覗かせる満月に明日の好天を祈りながら眠りにつきました。
翌日3時半に起床。
黎明遥か南の空を仰ぐ。
函館方面の空は晴れているように見えます。
軽く洗車をしていると、向かい側に停められていたハイエースのキャンパーに
乗ったおじさんに話しかけられました。
そのおじさんは、当時プリンス・スカイライン1500デラックス(S50D)に乗っていられたとのこと。
「本当はこれ(グロリア)が欲しかったけど、買えなかったもんなぁ~」と仰っていました。
当時を知る方はグロリアについて、異口同音に
「お医者さんの車」「社長さんの車」「天皇陛下の車」と仰います。
しばらくすると、まだ朝も早いというのに数台の車が入ってきて
一眼や三脚を抱えた男性たちが現れました。
何かなと思うと、朝靄の中に一隻の大型客船が入港してきます。
北海道開発局のサイトに掲載されている、大型客船入港情報によると
この客船は、イギリスの船舶会社が所有・運行する
外航クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」で、2004年に三菱重工業長崎造船所で
建造された総トン数115,875t、全長290.00mの大型豪華客船でした。
三菱重工業長崎造船所は、大和型戰艦の2番艦「武蔵」(全長263m・満載排水量7万2千トン)
を建造したことでも知られている、世界屈指の大型造船所です。
朝靄に覆われておりわかりずらいですが、右舷側船首寄りにダグボートが接舷しています。
ダイヤモンド・プリンセスが、如何に大きな船体であるかが良くわかると思います。
大型船舶は取り廻しが悪い為、狭い港内での移動はダグボートによる誘導が一般的です。
現代の大型船の多くはサイド・スラスターを備えてはいますが、狭く浅く、大小多くの船舶が
行き交う港湾内では、やはりダグボートによる誘導がもっとも確実です。
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さて、高速に乗るので出発の前に給油をしようと思っても
早朝5時とあって市街地のスタンドはまだ開いていません。
なので一旦國道36号に出て、24時間営業のセルフ・スタンドまで向かい給油を実施しました。
國道36号線沿いにて、旧いホンダの看板を掲げた販売店を発見。
ホンダはもともと自転車用補助エンジンからスタート、続いて2輪車、そして4輪車へと
段階的に進出しました。
販売ネットワークで、トヨタ・日産といった大メーカーに劣る後発のホンダは
自転車や2輪車を取り扱う個人経営のお店を協力店としてネットワークを構築しました。
看板を飾るマークは4輪部門の「 H 」では無く、2輪部門の象徴”ホンダ・ウィング”のマークです。
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その先では昨夜、走行中に発見したプレジデントをチェック。
日産・プレジデント(H250型)、1982年11月~1990年10月までの角目4灯・後期型です。
國道を走行中、遠方に独特のシルエットを確認。
距離は離れていたものの、大型セダンだったので車種の判定は比較的容易でした。
遠方から見る限り、希少なレザー・トップ仕様だと思われましたが
どうやら純正ではなく、キャンバスを張り付けたファントム・トップ風カスタムでした。
グレードはソブリンV8E・VIPで、内装はグレーのコラムAT/セパレート・シートの組み合わせ。
ウィールはローライダー系のワイヤーでした。
「室蘭 300」のライセンス・プレートが備わっていたり、冬用ワイパーが装着されていたりと
以前は稼働していた面影はあるものの、タイヤはパンクしFバンパーは歪み
長期間不動のような印象を受けました。
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高速入り口の手前のセイコーマートに寄って朝食のパンを購入。
商品の搬入に来ていたトラック運転手に話しかけられました。
雲はかなり高空にあり、時折陽が射すなど天候の回復の予兆はありましたが
雲と晴れ間の割合は一進一退の微妙な状況が続きます。
室蘭ICから高速に乗って、当初の予定通り函館に向かいます。
高速では、奇しくも地元ナンバーのタンクローリーと車列を組みました。
暫くは青空が広がっていましたが、函館方面へ進むに連れ次第に天候は悪化。
途中、雲量10となり現在の函館の天気を確認すると曇りとあり、ここに至りて遂に進行を断念。
落部・森の二つのICを残す八雲ICまで進出したものの、そこで高速を降りて反転。
高速代金とガソリンを浪費するような結果を齎す決断に迷いはありましたが
道南方面の天候不良なる時は、潔く道北方面へと転進すべしとの
予定の通り、敢然と反転を決した次第でした。
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下道に降りて室蘭方面へと進むと、左手側に3rdカマロが見えてきました。
前日、92hiroさんとお話中に話題に挙がったカマロでした。
すぐ近くの工場にタテグロが入庫しているとの話も伺っていたので、見張りを密にして進むと・・・
整備工場の中に独特のシルエットを見つけました。
グロリア・スーパーデラックス(PA30-QM)2型、1968年10月~1969年10月生産分です。
純正オプションのレザー・トップが、しっかりしたコンディションで残っているのが素晴らしいです。
内装色は赤で、純正エャー・コンディショナーが装着されています。
八雲ICで降りたのは天候を鑑みてであり、タテグロのことは意識していませんでしたが
偶然か必然か、プリンス車はプリンス車に惹かれるのか、ここに辿り着いたのでした。
工場の方に聞くと、このタテグロは板金塗装中でオーナーは他にも旧車を持っているとのこと。
工場の方が、仕事中のオーナーに「古いグロリアが来ている」と電話すると「見たい」と即答。
仕事が終わるのは2時で(現在9時)、かなり時間があったので
どうするか迷いましたが、急ぐ理由もないので時間を潰して待つことにしました。
工場の方に聞くと、今金町にクアプラザ・ピリカという温泉施設があるので
そこで入浴して昼食を済ませれば丁度いい時間になるだろうと考え、少し離れた今金町へ。
以前、今金町に実働のプリンス・クリッパーがあるという情報を得ていたので
それの索敵も兼ねて行ってきました。
小さい町なのでウロウロと徘徊したものの、残念ながら見つけることは出来ませんでした。
その後温泉へ。
連休明けの平日の昼間とあって、他に誰もいません。
貸し切り状態でゆったりと露天風呂に浸かり、長風呂を愉しみました。
風呂からあがると工場の方から電話があり、オーナーが仕事を抜けて来て下さったとのこと。
すぐに工場に戻ると、初対面にも関わらず一瞬で打ち解けて旧車談義がはじまります。
お話を伺うと、オーナーは函館の有名なカークラブ「R・O・T・H(RIDE・ON・THE・HOT)」に
所属している方でした。
札幌の有名なホッドロッダー「高速機関工業」さんとも古くからの仲間だそうで
そちらとの繋がりが持てたことは、今回の旅の大きな収穫でした。
自分は仕事柄、旧車イベントへの参加が難しいのでこういったドブ板活動的な方法でしか
ネットワークを構築できませんが、一期一会なだけに不意の出会いは嬉しいものです。
自分の持っている整備書やカタログを読んだり、2台を並べてエンジンの音を聞き比べたり
(S4とS6の原動機型式は同じG7ですが、各部が変更されています)と4人でずっと喋っていました。
金色の塗色はオーナー自ら板金塗装したそうですが、塗料は在庫のダブついていたものを
安価で手に入れて塗った所、「ありがたい色になっちゃった」というのが面白かったです。
確かに、仏壇や観音様を彷彿とさせる煌びやかな色です。
そして、オーナーのもう1台の愛車を見せて頂けることになり、ガレージへ・・・。
そこにあったのは、1950年型マーキュリー!
「・・・Better Than Ever・・・」
マーキュリー・ディヴィジョンの1950年型ラインナップは、4ドア・スポーツセダン、
2ドア・クーペ、2ドア・ステーションワゴン、2ドア・コンバーティブルの4つのバリエーションがあり
セダン、クーペ、コンバーティブルは前後ベンチシートの6人乗り、
ワゴンは8人乗りで、リアル・ウッドを用いたウッディ・ワゴンに仕立て上げらていました。
この個体は4ドア・スポーツセダンで、ドアはコーチ・ドア(観音開き)となっています。
平面ガラスを2枚組み合わせたフロント・ウィンドウ、大きく膨れ上がったフロント・フェンダーが
レイト40s~アーリー50sらしい特徴的なシルエットを形作っています。
エンジンはハイ・コンプレッション仕様のV8・110psで、当時から既に
「タッチ・オー・マティック」と呼ばれる、スイッチ式のオーバー・ドライブを備えていました。
この個体はエンジンをクリーブランド351(5.7リッター)に換装、グリルを外し
モールディングやドアノブをシェイブするなどした上に、マットブラックでペイントするという
マイルド・カスタムが施されており、白人的な「ワル」の雰囲気を醸し出していました。
アメリカン・グラフィティに登場するファラオスのマーキュリー(あれは1951年型ですが)を
彷彿とさせるもので、1940~1950s特有の「シュー・ボックス」スタイルはやはり
隔絶した時代の重みを感じさせる迫力があります。
その後、オーナーのリクエストでグロリアでグルっとドライブした後お別れしました。
楽しい時間は早いもので、いつの間にか3時半を過ぎていました。
予定が二転三転することになりましたが、最終的に函館へ向かうことに。
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天佑神助か、森町から函館へ向かう中、空を覆っていた厚い雲が少しずつ切れ始め
蒼空が顔を覘かせ始めました。
雲間から射す幾条もの斜光が、函館の街に降り注ぐ。
その幻想的な光景は、映画「トラ・トラ・トラ!」で真珠湾空襲部隊を指揮する
淵田美津雄中佐が、97式艦攻の機上から「軍艦旗や!」と言うシーンを思い起こさせます。
暖かな陽射しを受けて、函館新道を矢のように突き進みます。
新道を降りてそのまま五稜郭へ。
連休明けとはいえ、さすがは北海道を代表する観光地のひとつ。
たくさんの観光客で賑わっており、時節柄、花見やバーベキューをする人たちも多くいました。
まずはタワーに昇って、90メートルの高さから五稜郭を一望します。
満開の桜の木々はこの高さから眺めるととても小さく、まるで雪の結晶のようにも映ります。
五稜郭は國の特別史跡であり、1866年に完成した稜堡式の城郭です。
ですが城として機能したのは僅か4年余で、1869年には廃城となりました。
その後は陸軍の練兵場として使われていましたが、1914年に公園として一般に開放されました。
1922年には國の史跡に指定され、戰後の1952年には特別史跡に昇格しました。
1964年には五稜郭タワー(旧)が建設され、観光地として機能が強化されました。
日本式の平城(織豊系城郭)が”見上げる”構図に適しているのに対し、洋式の五稜郭は
上から眺めるのに適しています。
特徴ある星形の城郭と、高低差の付けられた立体的な構成によって
ソメイヨシノを中心とした約1600本の桜は素晴らしく見映えするものでした。
お堀の水面には桜や石垣、木橋の一の橋・二の橋が美しく映り込んでいました。
箱館櫻ソフトも美味しゅうございました。
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夕食は、五稜郭のすぐ前にあるラッキーピエロでチャイニーズチキンオムライスをば。
前回はじめて食べたのですが、すっかりハマってしまいました。
次来るときには、他のメニューも挑戦してみたいトコロです。
朝食はコンビニのパンを2つだけで、昼食は抜いていたので余裕だと
思っていましたが、ボリュームがあるので食べきるのにちょっと苦労しました。
おいしいし、量のわりに値段も安いです。
夕食後、森町の道の駅「YOU・遊・もり」まで引き返しました。
桜の名所たる松前まで目と鼻の先まで来ていながら、天候に恵まれず諦めざるを
得なかったのは残念至極ですが、また来年があるさと前向きに考えることにします。
道の駅の駐車場には連休明けとはいえ、多くのキャンピング・カーや「わ」ナンバーの
レンタカー、内地ナンバーの旅行客などの車が並んでいました。
多くの人が就寝している中、残念なS14シルビアが駐車場でグルグル回って
騒音とタイヤの焼けるニオイをプレゼントしてくれやがりました。
こうして2日目の夜は更けていき、リヤシートに寝転がって就寝したのでした。
翌朝の悲劇を夢想だにせず・・・
中篇に続く!