おはようございます。
最近携帯から流れる地震情報の回数が増えてきている様に思えます。
ちょっと嫌な予感も。
関東以北の方が3月11日に思う事と同じ様に私には1月17日が近づくとまざまざと思い出す出来事があります。
それは大地震です。
先ずは1994年の1月17日、当時はまだロサンゼルスに駐在していました。
夜明け前のまだベッドの中にいる時に急に大きく揺れ始めて揺れは長く続きました。
本震と余震で何度か揺れました。
震源地はロサンゼルスの北に隣接するノースリッジという街で日本で言うマグニチュードは6.6でした。
揺れが収まってもまだ怖くて外はまだ暗いのでベッドに留まっていると日本で臨時ニュースを見た本社の社長から電話がかかってきて初めて大地震だったと知りました。
この地震で市内外の数カ所でフリーウェイが倒壊して物流の大ダメージがありました。
フリーウェイを優先的に作り替えたのですが工事が完了するまで数ヶ月掛かったと覚えています。
そしてその年の11月にフェアレディ3台と一緒に最初の帰国をしています。
思えば日本を出たのが成田空港開港から1週間後で、帰国したのが関西空港の開港1週間後という偶然でした。
帰国後は大阪市内に置いてあった自宅(ビルの9階)から神戸市東灘区の本社に通っていました。
翌年1月17日のまたも早朝でした。
突然大きな揺れで目が覚め必死になって倒れそうな箪笥を押さえていた記憶があります。
阪神淡路大震災でした。
揺れは直ぐに収まりましたがテレビでは神戸市内が爆撃を受けた様な凄まじい有様で各地で火災が発生していました。
神戸の様子を見に行こうとしましたが大阪市内の交通機関はほぼ全て止まっており移動手段もないままでした。
直ぐ近くにレンタカー会社の営業所があったので車を借りて家を出てみたのですが神戸へ向かう道路は43号線が上の写真の通りで通れなくなっていて2号線に回っても大渋滞で返って邪魔になると思い神戸行きは諦めました。
翌日早朝に家を出て数時間で何とか六甲アイランドに入れましたが今度は燃料の貯蔵タンクから漏れがあり爆発の危険もあるとして連絡橋が通行止めになり今度は帰れないという状態に。
会社では自動倉庫内の製品が地震で崩れてしまい片付けるまでに数日かかりました。
阪神間の私鉄は全滅でしたがJR線は大阪から芦屋までが通れる様になりこれで通気が可能になりました。 それまでは大阪支店を拠点にして顧客への製品供給を続けていました。
神戸も全て落ち着くまで数ヶ月掛かかりました。
この様に同じ1月17日にアメリカと日本でそれぞれ大地震に遭遇したのは珍しいかも知れませんね。
皆さんが思う様に翌年の1月17日には多くの人から近くに居るなと言われました。
以後この日は私の中では特別な日になっています。
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Posted at
2021/01/17 04:25:41