2019年08月15日
たまたま、TVで終戦関係の放送を視聴しています。
それで、自分の存在について改めて考えてみると訳が分からなくなってきました。
私の父は予科練にいました。
終戦となった時、上官室に乗り込み“特攻させて”くれと上官に懇願したということを生前聞きました。
その時の父の思いも分かります。上官も辛かったと思います。
それが戦争というものの怖さなのかもしれません。
母は、東京大空襲で防空壕に逃げ込んでいたそうです。
それでも防空壕で“おなら”をした人がいたそうで笑ってしまったというエピソードを話していました。戦争の中でも必死で皆が生きていたんだと思います。
終戦が、あと少し遅かったら・・・・・・。
私は存在していなかったかもしれません。
存在してなかったと言うことはどういうことなの?・・・・
他の誰かが、私の意識と同様に考えていることはありえない・・・・
と、考えていたら・・・訳が分からなくなってきました。
単純にこのブログを書き込んでいる人間が存在しない、ということでは片づけられない複雑さに頭の中が混乱しています。
今のコペンは製造されていて、違う誰かが乗っているの・・・
いや、違う・・・そう単純なことではないだろう。
当然、私が出会った人、私と出会った人・・の人生に影響しているの・・・
いや、そんな影響力があるわけないだろう・・・、
・・・・・・、どれだけ考えても、どれだけ文字にして冷静になろうとしても混乱するばかりです。
戦争はそれだけ人間を混乱に陥れる行為なのでしょう。
父親は生前戦争への思いを時々語ることがありました。
それは、上官室へ乗り込んだ思いとは真逆で、戦争を否定する言葉ばかりでしたが、当時、父親を上官室へ向かわせた状況・・・それが戦争というものの怖さだったのだろうと思います。
物心ついてからは、私には尊敬する父親・母親でありました。
母は40年前に、父親は10年前に他界しましたが、私自身は両親の存在があって今がある・・・
そう思ってこれからも生きていく・・・それが父母への恩返しかと思います。
これからもずっと戦後であることを祈ります。
“みんカラ”での皆様との出会い・・・これからもよろしくお願いします。
Posted at 2019/08/15 21:16:05 | |
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