
では一発目。
いすゞ「ピアッツァXJ」です。
人生で初めて所有した車です。
ピアッツァとの初めての出会いは小学生の頃です。
近所の駐車場に赤いピアッツァが停まっていました。
「かっこよかね~」といつも眺めていたのを覚えています。
さて月日は流れて私が大学1年生の頃。(一浪なので1989年位かな?)
大学へ通う駅へ向かう途中の中古車屋にその車は停まっていました。
白い、否、クリーム色のボディが素敵な視線を私に投げかけていました。
「買って。。。」
そう聞こえたのをはっきり覚えています。
グレードはXJ、SOHCエンジンの下から2番目のグレードです。
カセット(古!)以外はフル装備でした。
5速マニュアル、男はスティックシフトと信じた私にはうってつけ。
値段は諸費用込みで「38万」だった気がします。
2日ほど夜中にその店にこっそり通い、
(今考えれば怪しい姿ですが)それこそ嘗め回すように見ていました。
で、3日目ついに昼間に店に入り車内も見せて貰ったのでした。
車内がこれまたイケてました。
ハンドルを中心に配置されたサテライトスイッチが他のどの車にも
存在しない気がして(確かにここまで極端な配置は存在しませんでした。)
もうメロメロです。
で、購入決定。
バイトの貯金をはたいて買いました。
良い時代でした。
バブルまだまだ真っ盛りです。
バイトでもしこたま稼げました。
本当に良い時代でした。
さて、車は無事私の許へお嫁にきました。
白い、否、マヨネーズ色の妖艶な車体。
未来が今そこにある内装。
13インチ、原チャリのような細い細いタイヤ。
渋いシルバーのカバーの付いた鉄ホイール。
バッコンとスイッチを押し込むラジオ。
全てが全てがとても素敵でした。
どのマールのSOHCエンジンはとても遅く。
貧弱な足回りと相まって、それはもう「素」ポーティーでした。
それでも、毎日彼女とは素敵な日々を送りました。
雨の日も、晴れの日も、雪の日も。
そんな彼女との別れは突然やって来ました。
大学の先輩、自称「バタネンす●●の」先輩が、
「お~お車買ったのかよ!運転させてくれよ!」
「え……今っすか?……」
「ウン今!みんなでドライブ行こうぜ!」
「は、は、はい……」
男4人を乗せたピアッツァはバタネン先輩の運転で、
そのか細いタイヤをキュルキュル鳴らしながら出発したのです。
大学の裏のちょっとした峠道通称「いろは坂」に差し掛かった
時、バタネン先輩、がぜんやる気になってしまいました。
右へ左へその先また右へ左へ右へまたまた右へ。
ん。
右は山だよ山!ぶつかるよ!
正直逝った!と思いました。
しかしバタネン先輩素晴らしいカウンターで山を避けます。
そして車は左へ左へ。
ん。
左は崖だよ崖!落ちるよ!
正直行った!と思いました。
しかし、今度は本当に行ったのです。
見事にピアッツァは飛んだのです。
誰かが事故して斜めになったガードレールをジャンプ台にして。
目の前に広がったのは「一面の空」でした。
空しか見えないのです。
生まれてこのかた空しか見えない車に乗ったのはこの時だけです。
ピアッツァはそのまま着地しました。
地面に着地した衝撃は理解できたもののまだ見えるのは空だけです。
男4人がただ身動きもできずに固まってました。
だって動いたら落ちるかもしれないと思って・・・・・
結局ピアッツァは横向きになり一本の木に腹をぶつけて停まっていました。
それはもう安らかに半開きのヘッドライトで。
あれ以来あのXJとは出会っていません。
Posted at 2011/05/19 04:39:23 | |
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