
積み込み作業中にそれは起こりました。
ホッパーの下にダンプ停めて、開閉ボタン
ON!
出ない・・・(´-∀-`;)
詰まってるのね・・・。
仕方なく上に昇ってハンマーで
喝を入れてやることにw
腱鞘炎のオイラにはこの作業はとてもツライのよん。
喝を入れまくっていると、「おっ?揺れてる?」てな感じで
あまり気にもしませんでした。
(今思えばこの時点で下に降りとけばと後悔)
んで、何気に下を見てみるとダンプが尋常ないくらい揺れてる!
「これヤバイ?」と思った瞬間・・・!
もう下には降りられず、上からは積もりに積もった粉塵が降ってきて、
何も見えないくらいに真っ暗な状況に・・・。
それでもなんとか取っ手にしがみ付き揺れが収まるのを待ちました。
この時、上から粉塵だけではなく得体の知れない物も落ちてきていて
「ガッシャーン!ガラガラ!」と音立てて落ちてきています。
それより何よりこの建物が崩れ落ちないかとハラハラしていました。
ちなみにこのホッパーのある建物は高さが50㍍以上あります。
まぢで死ぬかと思いましたw
こりゃ死んだな・・・とまぢで思いましたw
こういう時って色々な事が頭を駆け巡るんですよね。
家族の事とかね・・・。
揺れもようやく収まって粉塵が引くのを待って
ようやく下界へw
「イヤァ下界はすばらしい」などと思う暇もなく非難命令。
ゾロゾロとみんなで工場の正門へ。
この時はまだ東北地方でドエライことになってることは知りませんでした。
で、何気に携帯のワンセグを観てみると・・・
なんじゃこりゃ!?
すげぇコトになっとるやんけぇ!
(オイラ関西人ではありませぬ)
そんなこんなしていると、さっきのよりデカイ揺れ。
そう、余震です。
これはデカかった。
もうね、立ってられないんです。
みんなカトチャン状態www
そこへ防災無線。
「津波警報が発令されました。直ちに避難して下さい」と・・・。
そこからはもう大変。
ヘリコプターは飛んでるし、しまいには戦闘機まで。しかも2機。
みんなで「これってまぢでヤバイよね」と話してると
またまたデカイ余震・・・。
事務のオネーチャン達の中には腰を抜かしヘナヘナになって、
泣き出してるはでそりゃもう大騒ぎなわけですよ。
で、そこへ所長が登場。
「夜勤から操業再開したいと思いますので各自持ち場に戻って
設備の点検をして下さいw」
これには皆、目が点。
あのぉ、ここの工場目の前海なんですけどぉwww
津波警報出てるんですけどぉwww
あなた聞こえてましたかぁ?www
人命より工場ですか?
工場の方が大事ですか?
業績がそんなにエライんですか?
人の命何だと思ってるんですか?
脳ミソ(・∀・)㌧㌦!
オイラはそんな話しをシカトして
嫁に連絡を取り続け・・・繋がらない(゚∀゚ ;)タラー
リダイアルしまくり・・・繋がらない(゚∀゚ ;)タラー
何気にメールチェック。
゚+。(ノ`・Д・)ノオォオォ。+゚メール来とるやんけぇぇぇ!
「無事です。チビも無事です」
「とりあえず実家に非難しています」
これで一安心 ワチョ――ヽ(・∀・)ノ――イ♪
イヤイヤチョットマテヨ・・・。
サッキショチョーガワケワカランコトイッテタネェ。
渋々現場に戻るはめに・・・。
この時点でウチの親方は怒り心頭。
ちなみにオイラは運転手として働いていますが
運送屋ではないのです。
この工場の下請けとして色々な事をやっているのです。
その業務の一部が運搬なわけです。
なので詰め所も構内にあります。
余震はずっと続いていて設備点検どころではなく
同僚に危ないから下に降りろと指示。
なのでやったフリして親方に報告。
でも親方は「危ないからやらなくてイイ」と。
あんた゚*。最 (*゚д゚*) 高。*゚
地震発生から2時間後ようやく開放。
家路へと急ぐわけなのですが・・・。
工場から出てみると道路はグチャグチャ。
陥没、隆起、液状化・・・。
ここで事の大きさを実感。
停電している為、信号も点いておらず
あらゆる所で大渋滞。
この時はまだ津波が来ている事は知りません。
そこでオイラはいつものルートではなく
別のルートで帰ることに。
いやぁスイスイだねぇw
と思ったのもつかの間、1mくらいの隆起。
Uターンして別の道で国道へ。
上り線は渋滞してるけど下り線は車が全く来ない。
それもそのはず、津波が国道まで来ていたからです。
でもオイラはまだその事知りませんw
またまたスイスイ走っていると渋滞。
すぐさまUターンして別の道で国道へ。
今度は下り線が大渋滞で上り線はガラガラ。
そうなんです。オイラ知らずの内に津波を回避していたんです。
グルーっと周って走って来たんです。
この時点でも津波の事は知りませんでしたw
なんとか自宅に辿り付き、被害がないのを確認。
嫁と娘も戻ってきていて一安心。
なぜかウチの地区だけ電気が来てました。
他は全部ダウンしているのにです。
これはラッキーでした。
すぐさま嫁の両親、義姉夫婦を呼び我が家で避難することに。
オイラの母親にも連絡が付き避難所にいるとのこと。
実家は傾き、かなりヤバイ状況だとのこと。
本当はウチに避難してもらいたかったんですが
道路状況もわからず車での移動は危険だと判断して
そのまま避難所に居てもらう事に。
弟にも連絡が付き無事とのこと。
いやぁ良かった。。。
友人、知人にも連絡が付き皆無事と確認。
でも数人は家が傾いたとの事でした。
その夜は眠れませんでした。
TVの前から離れられず
ずっと東北地方の惨劇を見続けていました。
それはあまりにもショックでした。
その後も10日くらい情けないことに
何も出来ず、ずっとTVを眺めていました。
そんな中、ある方とのメッセのやり取りで
何とか気持ちを立て直すことができました。
ホント感謝しております。
茨城県もかなりの被害を受けたのにも係わらず
何も情報が入ってこない。
これには参りました。
入ってくる情報はまるでアテにならないものばかり。
津波が来たことを知ったのは震災から2日後です。
それも会社にチャリンコ取りに言った時です。
車はあちこちに散乱し本当に悲惨な光景でした。
TVではくだらないコトを垂れ流し続け
被災者の不安を煽る・・・。
ホントどうにかしてもらいたいものです。
これを打ち込んでる最中にも
デカイ余震が来ています。
昨日、今日とヤバイ感じが
漂っています。
Posted at 2011/04/12 09:23:05 | |
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