AKBの高橋みなみ母逮捕のニュースを何処のテレビも報じてないって!!!
いまやAKB48のスキャンダルを報じる希少なメディアとなり、これまでも数々のスクープを報じてきた「週刊文春」(文藝春秋)だが、2月16日号でも爆弾級のスクープが掲載された。
グループ全体のリーダー格でもある
高橋みなみの母親が15歳の少年との淫行容疑で逮捕され、書類送検されていたというこのスクープ。この事件は昨年10月、傷害事件で3人の少年が逮捕された際に、そのうちのひとりが、高橋の母親と性的関係にあったことを告白したことで発覚したというのだ。
高橋の母親は八王子署の事情聴取に対し、「長男の先輩にしつこく迫られ、仕方なく関係を持った」と供述。高橋の母は、同誌の直撃取材に対しノーコメントだったが、弟は「おふくろがパクられたのはおかしいと思う。ただそれだけ」と事件を認めているという。
「高橋の私服はアイドルらしからぬヒョウ柄のジャージだったりしてヤンキー丸出しなのはファンの間でも有名だったが、ここまで複雑な家庭環境だったとは驚き。所属事務所は大手の『プロダクション尾木』で、各スポーツ紙やテレビ局は確認に走ったが事務所サイドは『高橋の母親はレイプされた被害者。その辺の事情は考慮してほしい』と説明したため、各社扱いを見送ったのだが......」(スポーツ紙デスク)
「文春」の発売前日となる7日午後の早い時間には、すでにマスコミ各社は同誌を入手していたものの、夕方までには扱いを見送ることを決定していたようだ。しかし、共同通信と並ぶ2大通信社である時事通信が午後4時過ぎにこの記事を追加取材したニュース記事を配信した。
同社は警視庁少年事件課に取材して事実関係を確認した上で、高橋の名前こそ伏せたものの、メンバーの母親が東京都青少年健全育成条例違反容疑で逮捕、すでに略式起訴され、50万円の罰金刑が確定していることを報じた。
時事に遅れ、午後7時過ぎに今度は共同通信が"1月中旬に逮捕されていた"という新たな情報を加えて記事を配信。
各スポーツ紙などはまったく扱っていないニュースだけに、両通信社の公式サイトに掲載された記事はかなりのアクセスを集めたと思われる。
「通信社は自社の媒体がサイトしかなく、特に地方支局の記者はせっかく原稿を書いてもそれがすべて記事配信している加盟者の新聞の紙面を飾るわけではない。そのため、どの記者も確実に扱われそうなニュースの取材は張り切る。人気絶頂のAKB関連のスキャンダルとあればなおさらで、文春の後追いとはいえ、大急ぎで警視庁に取材し配信したようだ。スポーツ紙やテレビ局のように普段からAKBを大々的に扱っているわけではないからこそやれた記事だが、両通信社とも芸能取材をする記者もいるので、高橋の名前は伏せたのだろう」(全国紙社会部記者)
いくら名前を伏せたところで、「文春」はすでに発売中であり当該メンバーが高橋であることは一目瞭然。両通信社の"配慮"はあまり効果がなかったようだ。
青少年に夢を与えるアイドルの母親が少年と淫行・・・
普通だったら大騒ぎになるニュースなのに、TVは沈黙
悪いのは本人じゃないけどさ、今までこんなネタはいくらでも報道してたじゃん。
それが事務所がでかいと・・・売れてると・・・だんまりかよ・・・
弱い奴は虐めて、強い奴には媚び売って
おかしくねぇか?
日本ってどうなる・・・
このバカどもが!!!
ちなみに高橋みなみに怒ってるわけじゃなくてマスコミに怒ってます。
暑っ苦しくて苦手なタイプだけど頑張ってんだよね~
第3回選抜総選挙では、7位となったが「努力は必ず報われると、私はこの人生をもって証明します!」というアフォリズムを残した高橋。この言葉の背景には、彼女がリーダーとして"嫌われる勇気"を持ってメンバーを叱咤激励し、AKB48を前進させてきた彼女の生き様そのものが集約されていた。メンバーからも絶大な支持を受ける彼女がいかにしてリーダーとしての自覚を育んできたのか? その苦難の道程を探る。
1991年4月8日生まれ、身長148.5㎝と、生まれながらに"48"に縁が深い高橋みなみ。歌手志望だった母親の影響から幼い頃からオーディションを受けていた。2005年の第30回ホリプロ・タレント・スカウトキャラバンにも参加し、決選出場者15名に選出。だが、秋元康総合プロデューサーも審査に参加していたこのオーディションで、高橋は落選する。一部のファンの間では、「たかみなをAKB48にキープした」というウワサもあるが、microSD『AKB5400sec.』で秋元氏はそれを否定。「ホリプロ・タレント・スカウトキャラバンの時に審査員で、たかみなを落としたらしいんだけど、それ全然記憶にないんだよ。それでファンの間では、俺がAKB48を作るのでたかみなをキープしたんだっていう説がある、わざと落としたと」と発言。
その時は秋元氏の記憶にも残らないほどだった高橋だが、落選後、その場で配られていたAKB48のオーディションのチラシを見て、「最後のチャンス」として参加。無事に合格を果たし、早速、劇場公演に向けたレッスンが始まるが、これまでダンスの経験がなかった高橋は、大いに苦戦を強いられることになる。夏まゆみ氏指導によるレッスンの厳しさを本人はこう振り返っている。
「初日に遅刻したコがいたんですけど、夏先生がみんなの前で言うんです。『今日、××が遅刻した。そのためクビにした』って。本当に怖かった。でも、それと同時に『ここは本気の場所なんだ。本気でやらなきゃ』って思いました。私、運動神経ゼロでスキップもできないんですよ。だからいつも居残り。(中略)何時間も何時間も踊るんです。あれは人生最大の努力の日々でしたね」(『週刊プレイボーイ』)
現在は、パワフルなダンスで知られる高橋だが、当時はスキップすらもままならず、彼女が踊れないことで振り付けが変わった曲もあったほどだった。そこでめげず高橋はがむしゃらに努力を続け、05年12月8日、AKB48劇場がグランドオープンする。高橋はユニット「桜の花びらたち」でセンターに立ち、ユニット曲「スカート、ひらり」にも参加。活動開始当初から、主要メンバーのひとりとして活動する。だが、当初は客席が埋まらず、高橋は当時こんなことを考えていたようだ。
「お客さんの数で、その日の私たちの結果が出るんです。いつ、劇場を埋めることができるんだろうという不安を抱えながらも、毎日の公演をがむしゃらにやるしかなかったですね」(『DIME』)
自分たちの未来像が見えない状況の中、「やるしかない」とひたすら努力を続けていくメンバーたち。フジテレビで開催されたイベント「お台場ホットファンタジー」に参加し、寒風吹きすさぶ中、野外ライブを行うなど、劇場以外の場所でもPR活動を行い、06年2月1日には「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。その3日後の2月4日には初の劇場満員公演を迎え、4月15日からはA2nd公演『会いたかった』がスタート。この2nd公演で高橋は、ユニット「嘆きのフィギュア」「ガラスのI LOVE YOU」に参加。「リオの革命」「JESUS」などのダンスナンバーで指先まで力を込めたダンススキルを見せるようになる。
06年8月からはA3rd『誰かのために』公演が始まり、高橋は憧れている中森明菜の曲も彷彿させる陰りのあるユニット曲「Bird」でセンターを担当。彼女の表現力はさらに飛躍を遂げていく。この公演では、ラジオ『SONGS~HEART OFAKB48』(BayFM)で高橋が好きなAKB48楽曲、2位に挙げた「涙売りの少女」、1位にした「月のかたち」も披露されており、高橋には思い出深い公演となったようだ。
●メンバーからリーダーを指名された高橋 彼女が見せた公演への真摯な姿勢
そんなA3rd公演の千秋楽をもって、これまでリーダーとしてメンバーを支えていた折井あゆみが卒業することになる。現在はキャプテンとも呼ばれるこのポジションだが、公演前には、メンバーに振り付けの確認を行い、時に悩みを抱える者には相談に乗るなど、その仕事は多岐にわたり、非常に重責である。続くA4th『ただいま恋愛中』公演のレッスンが始まる中、折井が担っていたポジションが空席になり、円陣での号令を誰が掛けるのかという話になった際、駒谷仁美(08年卒業)の提案から高橋が行うことになる。『AKB48総選挙公式ガイドブック』で、彼女はその経緯を次のように明かしている。
「公演の前にはいつも円陣を組んでいるのですが、今まで仕切っていてくれたメンバーが卒業して、じゃあ誰がやる? となったんです。そのとき不思議なのですが、突然『私、やってみたいな』と思ったんですよ。で、どうやら反対者もいないようでしたから(笑)、仕切らせていただきました。その日を境に、自分はAKBの中で、こういうポジションで、頑張りたい、と思うようになったんです」
これまでの人生は何もかも三日坊主だったという彼女。だが、AKBは「やればやるほど先が見えてくる」と感じた。加えて「できなかったことができるようになると、ファンの方が誉めてくれたり、メンバーと喜び合ったりできるんですよ。そう考えると、AKB48に入れてよかったとつくづく思うんですよねぇ」(同)と、達成感を感じている。ファンがメンバーの成長をつぶさに気づくことができ、それを握手会などで本人に直接伝えられるのがAKB48の醍醐味であり、その点を高橋自身も前向きに捉えているようだ。AKB48に愛着を持ち、公演にも情熱を注ぐ彼女を象徴するようなエピソードがある。
07年3月13日の公演で、高橋は、映画『伝染歌』の撮影のために、冒頭3曲とユニット曲までしか出演できない予定だったが、急きょスケジュールが変わり、最後まで出演可能になった。ステージ上でスタッフからそれを耳打ちされた高橋は飛び上がって喜び、涙まで見せた。いかに、高橋が1回1回の公演を大切に思い、また、自分の責務をまっとうする責任感を持っているかを証明する出来事だろう。
7月1日からはチームAとチームKの合同によるひまわり組がスタートし、高橋は同じく歌手志望である増田有華とデュエットナンバー「ヒグラシノコイ」を担当。各チームを代表する歌姫の豪華競演であり、儚い恋心を描いた名バラードとなった。同月、高橋は小嶋陽菜、峯岸みなみとプロダクション尾木に移籍を果たす。この3人はA4th公演で「純愛のクレッシェンド」、ひまわり組2nd公演で「Bye Bye Bye」を担当し、後者では振り付けを3人で考えるなど結束を強め、08年10月にはユニット「ノースリーブス」を結成。3人でドラマ『メン☆ドル~イケメンアイドル~』(テレビ東京系)に主演。高橋は、男勝りの河内ナミを演じ、売れっ子アイドル・レイ(多岐川華子)とのキスシーンにも挑戦した。
●チームAが最悪の状態に......高橋が始めた"楽屋パトロール"の真相
『メン☆ドル』の撮影により、A5th公演『恋愛禁止条例』に公演開始から2カ月間出られなかった高橋。12月16日にようやく出演を果たすが、当時のチームAは、"最悪の状態"だったと、フォトブック『たかみな』で明かしている。公演前に体をほぐすストレッチに出ないメンバーがおり、チームが、数人ずつの仲良しグループに分かれ、公演中のMCでもその雰囲気が出るようになっていた。1期メンバーと研究生出身のメンバーの間に一種の壁ができており、高橋はそれを察知していたのだった。それから高橋は、楽屋を"パトロール"することを始めた。
「楽屋の中をとにかく歩き回って、仲のいいメンバーだけで固まってないかを探す。固まっていたらいったん自分も加わり、それから中の誰かを違う輪の中へ連れ出す。またはほかの輪の中から誰かを連れてくる。そうやって、仲良しグループを解体していくことを心がけました」(同)
キャプテンとしての責任を自覚した高橋は、チームを一枚岩にするべく日々楽屋内を奔走したのだった。自らが嫌われ者になることを厭わずにメンバーを注意し、指示を与えていくその姿勢は、AKB48への絶対的な愛がなければできない行動だったはずだ。
(文=本城零次)