前回のプログでも触れましたが、先週から今週へとかけて一週間、被災地でボランティア活動をさせて頂きました。
周りの方からは僕が福島出身ということで、
気にかけて聞かれるのですが…
私自身もTVや親類などの情報だけで、本当の現実を知らずに「大丈夫です」とか言っていました。
震災から一年が経とうとしている今、現在の故郷(福島)はどうなっているのか?
そして最近思うのは、口だけで頑張ろうとか言っていても何も変わらない…
自分の手足を使い行動して、現実を肌で感じる。
本当のことを知ることで、人へも真意が伝わるのではないかと思いボランティアを決意しました。
候補地はやはり津波や原発で被害の大きかった南相馬を選びました。
ホントは東北の色々な被災地のお手伝いをしたかったのですが、一か所でやることでその場所に住む人や現状を知れると思ったので決めました。
恥ずかしながら福島で生まれて南相馬という地に行ったことがありませんでした(^_^;)
3月21日(水)初日
AM5:00実家を出発し二本松ICを経由して川俣、飯館と通過していきましたが、
人がいなくなった場所は一年で明らか変化が感じれました。
畑か田んぼだったところは、雑草が一面に生い茂って激変していました。
たった一年でこんなに変化する自然の脅威に驚きました。
南相馬へ着いたのが7:30位、その後ボランティアセンターへ着。
センター長と一日の打ち合わせをして、その後心構えを伺い出発。
【センター長談】
私たちは、地域住民が生活を再生していく度台を作る仕事です。
地道な作業ですが、誇りを持ってやって下さい。
ボランティアはやってあげるのではなく、やらして頂く、
そして同情するのではなく同期(同じ気持ち)する
途中津波でやられた場所を通りましたが、初めてみる被災地に声が出なかった。
海岸から4㌔まで津波が押し寄せて6号線まで到達したらしい…
ガードレール等がクシャクシャに捻じ曲げられ、津波の脅威を感じた。
その後仕事現場へ到着。
はじめに、亡くなられた人への黙とうをし作業開始。
木、石、鉄、布、プラスチック等と種類別に仕分けする、もともと水田だった所へ瓦礫がたまりそれをスコップやレーキを使い
掘り起こし仕分けする根気と体力のいる作業に悪戦苦闘。
そんなの重機でやれば早いと思ったのですが、種類ごとに分別して使えるものは再利用するとか。
(例えば石とかは、壊れた堤防を再構築する時の土台に利用するとか)
こんな瓦礫が埋まっている場所が広さでいうと300町歩あるとか…
これを一つ一つやっていったらどの位の時間と人が掛かるのか?
はたして復興は出来るのかと考えてしまいます…
まさに原始時代に戻った感じでした。
一から大地を耕しそこで暮らせる場所を作る。
今の調子だときっとそんな長いスパンで見なければいけないのかも?(十年、百年単位?)
一日の仕事が終わった後、一人で被害の大きかった浜辺に行ってみた。
↓写真は被災された方の気持ちを考えスケッチで(下手でスイマセン)
そこは一面まっ平らで、色もグレー1色、もともとそこには何も無かったかのような場所。
ここで現実を見て感じた気がする。
すごく寂しく静かで、悲しさに満ちた場所…
これが現実?そう信じたくないけど、現実でした。
自然の前では人はちっぽけな存在。
生も死も一瞬なんだと思った。
その後、一日の疲れを癒す銭湯へ行きまったりして(*^_^*)
夕飯を食べると、アッという間に消灯時間になり一日目が終了。
3月22日(木)
二日目も前日に続き瓦礫分別作業。
3月23日(金)
この日は被災されたお宅前の畑を掘り返し鉄柱探し。
ご自宅の玄関には亡くなられた方の祭壇があり、幼い子供と祖父祖母と思われる写真が飾られていた。
その後黙とうして作業開始。
塩水を被っているからか、地面がコンクリの様に硬い。
ツルハシやスコップで掘り続けるもスゲー疲れるし、スピードも遅い。
土木関係のお仕事をされている方を改めて尊敬しました。
何とか一日やりながら、くたくたになったころで雨が降り出し仕事終了。
途中、フジテレビの方が取材でそのお宅へきましたが、取材拒否で帰っていきました。
自分の家族が犠牲になりながら見世物へされたくない、写真等も絶対にダメ!
その気持ちはよく分かりました。
家族が亡くなりながらもその場所へ留まり新たに生活していく…
その意志の強さと傷の深さは到底私たちには分からないと思った。
3月24日(土)
復興チャリティーイベント会場の駐車場誘導を任され近くの運動会場(野馬追い祭りの会場)へ。
いくも当日雨天のため人足が伸びないため連日の瓦礫分別の場所へ移動。
その日も一日瓦礫分別で終了。
3月25日(日)
この日はため池の中の瓦礫除去と排水作業。
ドロドロべったべったになりながら沼をかけずり回り瓦礫探し。
一番しんどい作業だった。
3月26日(月)
この日も前日に続きため池のがれき除去。
水が多少引き始め作業効率がアップ。
しかし瓦礫の多さに…。
3月27日(火)最終日
復興コンサートのチラシ配布の為、自転車で街中のお店へ。
天気が良く最高の仕事日より(^-^)
皆優しく、ボランティアの僕たちにお礼を言ってくれたりと、大いにやる気を頂きました<(_ _)>
リーダーの方も、私たちが行動している姿を見せることで住民の方へ不安を少しでも取り除きたい。
住民たちは、他県から又は政府から見捨てられる存在と恐れているとおっしゃっていました。
普段住民の方と接する機会が無かったので貴重な体験でした。
午後は沿岸部の瓦礫除去&分別。
そして作業終了時間でセンターへ帰りました。
この日僕の7日間のボランティア活動が終了しました。
また機会があったら参加したいです!!
↓(左)Kさん、(中)Hさん、(右)Sさん ご一緒に活動でき、お世話になりました<(_ _)>
※最後にセンター長が言っていた言葉が心に残りました。
どんなにお金・地位・権力があっても、人間として逃れられないもの8個(2個忘れた)。
1、愛
2、憎み
3、別れ(生)
4、離れ(死)
5、病
6、死
7、?←忘れた(爆)
8、?←忘れた(爆)
被災者は全てを抱えて生きている(普通の人は1~2個位)
嫌な思い出まで引き出すので、自ら話し出すまで質問しない!
このボランティアをやった一週間ですが、全体でみるとほんの小さなことかも知れません。
けど僕の中では新たな一歩を踏み出せたと思います。
行動することの勇気、それによって得られる大切なもの。
今回僕の得たものは、「故郷の現実」と「復興を願う同志」の2つだと思います。
福島が危険とか言われている中、全国各地からボランティアへ参加している人たちを見れ嬉しくなりました。
九州から飛行機で駆けつける人、京都から車で何度も訪れ長期間参加する人、キャンピングカーで東北の被災地を巡り続ける人など…
日本も捨てたもんじゃない、よく耳にする「絆」もホントなんだと思えました。
けど福島が復興という言葉に行きつくのは、まだまだ先なのは事実です。
何にせよ原発問題が一番の鍵になると思います。
何十年かかるか分かりませんが、必ず未来があると僕は信じています!!
ボランティアは「やれる人が」「やれる時」「やれるだけやる」が鉄則です。
無理をしてもしょうがない。お金も出ませんし、三食自分持ち、そして時間がないと出来ません。
何の得もないかもしれませんが、お金じゃかえない「絆」は感じれると思います!!
僕もこのボランティアへ参加出来たのも ”家族の協力” があったと心から感謝しています(__)
本当にありがとう!!
子供たちにも寂しい思いをさせてしまいごめんね(^_^;)
↓帰り途中にみん友のSUKさんとプチして帰りました。
短い時間でしたが、近況やこれからの計画?なども話せ楽しかったです。
ラーメンも御馳走になり、ありがとうございました。
tonyさんまたまた予定合わなくスイマセン_(._.)_
次の日、前から言われていた母校が取り壊しになると聞いたので、最後に訪れてみました。
我が母校「下大越小学校」
20年ぶりの小学校でしたが、何も変わっておらず懐かしかったなぁ。
丁度その日が離任式だったらしく、先生方もいらっしゃたので校舎内へも入れてラッキー(^^)
これから何年たっても僕の記憶からは消えることはないと思います。
今回の福島帰省で得た色々な経験を大切にしたいと思います。
また今年の福島オフも盛り上がるといいなぁ~♪
長文ご拝読いただきありがとうございました<(_ _)>