2006年01月17日
あれから、もう11年が経ったのですね。
阪神淡路大震災
当時の私は大学生やっていまして、大阪の実家にいました。
大阪堺市なのですが、ちょっと物が落ちたくらいで被害はありませんでした。
そして、凄い地震だなぁと思いながらTVを見てみると衝撃的な事実が次々と流れてきました。
大学が西宮だったので、比較的大学に近い場所の被害状況が。。。
大学の側には友人も多くいましたし、当時付き合っていた妻も阪神高速の側に住んでいましたので、とても心配だったのです。
携帯電話なんてなかった時代だったので、災害時に繋がりやすいと言われていた公衆電話から色んな人に連絡を取ろうにも全然繋がらない状態でした。
幸いにも直接の友人が亡くなった人はいませんでしたが、友人の友人が亡くなったりしましたので、かなりショックでしたね。
友人でも、崩れた家から助け出されたような人もいました。
地震後に友人を訪ねたり、大学に行くことがあったので、被害の大きい場所にも行ったのですが、言葉には出来ません。
大学が阪急の甲東園にあるのですが、その付近で新幹線の高架が阪急の線路に落ちた場所がありました。大学に行く時は、その下をくぐって行き、いつ崩れてきてもおかしくない家や傾いたブロック塀をくぐるようにして行きました。
震災後の3月から大学近くでひとり暮らしを始めたのですが、マンションの近くの家は壊滅状態でした。そういった所の工事は全然追い付いていない状況だったので、かなりの間放置されてました。
11年も経ってしまいましたが、本当に衝撃的な体験をしたので昨日と言うか、まだ11年前からの延長上にいるような気がします。
今覚えていることを風化させないようにと、書きなぐったのでめちゃくちゃな文になってますが、御勘弁を。
Posted at 2006/01/18 02:01:49 | |
トラックバック(0) |
悲しい話 | 日記