万世特攻祈念館から次の目的地、枕崎にある火の神公園へ到着しましたが
目的は公園ではなく公園内にある
平和祈念展望台にある戦艦大和など第二艦隊の慰霊碑です。
展望台までの道中は
海上特攻第二艦隊戦没者へのメッセージが・・・
軽巡洋艦矢矧は去年お亡くなりになった戦争体験者で
宮崎県出身の西さんが最初から最後まで乗っていた戦艦ですね・・・
宮崎県都城市の都城東小学校の教諭であった西さんは、1942(昭和17)年、徴兵で海軍に入隊した。同年12月に長崎の海軍佐世保工廠(こうしょう)で完成した巡洋艦「矢矧」に乗り込み、艦橋で敵機を見張る任務に就いた。
西さんが乗り込んだ巡洋艦矢矧は、戦艦大和とともに数々の作戦を遂行した。1944年10月のレイテ沖海戦後、戦艦大和艦隊は広島県呉に戻っていた。翌45年4月1日に、アメリカ軍が沖縄に上陸した。大和艦隊は、「天一号作戦」の命令を受けて沖縄水上特攻作戦を遂行すべく、4月6日、矢矧を含む第2艦隊は、山口県の徳山沖から出航した。
西さんは死を覚悟したという。宮崎県新富町出身で師範学校の同窓で、同じ矢矧に乗船していた黒岩さんと、「生き残ったら、子どもの教育のためにがんばろう」と、約束を交わした。
翌7日には日向灘沖を南下し、さらに、鹿児島県徳之島沖の東シナ海を航行した。東シナ海北西方向から沖縄島残波(ざんぱ)岬に突入し、大和は自力座礁し大量の砲弾を発射できる砲台として陸上戦を支援するとともに、大和等の艦隊の乗員は陸戦隊として敵陣突入させるという作戦であった。制海権、制空権とも握っているアメリカ軍を突破して、沖縄に到達するのは不可能に近かった。
午後0時半すぎ、護衛のゼロ戦が帰投してまもなく、艦内に、対空戦闘配置に着くことを知らせるブザーが鳴り響いた。艦橋左下の見張り所にいた西さんは、すぐさま確認した。「左舷、敵機襲来」と進入方角とその数を伝えるが、約200機が急降下してきた。空からは十字砲火、海中からは魚雷が走り、そのたびに声を荒げて伝えるが、砲火は激しい。そのうち、矢矧が被弾。総員退艦の命が下り、西さんは海へ飛び込んだ。矢矧は艦首から沈んでいった。
重油まみれの海に浮かぶ無数の黒い頭が見えたが誰が誰だか判らない。その内誰かが
海ゆかば
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
を歌いだし海上で漂う仲間達皆で海ゆかばを歌う中、アメリカ軍の容赦ない機銃掃射が待ち構えていた。黒い頭がひとつひとつ沈んでいく中、西さんは立ち泳ぎで、なんとか機銃掃射から逃れた。午後2時23分、空母ヨークタウンからの艦載機による右舷後部への魚雷攻撃で、戦艦大和は大爆発を起こし、艦体が2つに分断されて海底に沈んだ。西さんは、海上でキノコ雲を確認した。
西さんたち生存兵は、約5時間半も海を漂い、夕方、沈没を免れた駆逐艦「冬月」に助けられた。冬月は4月8日に佐世保に入港したが矢矧の原艦長 の1人でも多くの隊員達を救いたいという想いで当時特攻出撃前に艦に積まれた大量の木材のお陰で助かった命も多かったそうです。
この天一号作戦に参加した10隻の艦船のうち6隻が沈没。戦艦大和の乗組員約3300人のうち生存者は269人。西さんが乗り込んだ巡洋艦矢矧は、446人が帰らぬ人となった。艦隊の戦死者は3700人余にも上った。あの約束を交わした黒岩さんも、戦死した。
戦後戦友の誘いで洋上慰霊祭に参加し、61年ぶりに海を見つめ涙を流し沈没地点の海を目の前にした西さんは友人の黒岩さんに
「お前との約束を守った。安心して成仏してくれ」と手紙を書き海に落としたそうです・・(涙
※西創一郎さんは、我が地元近くの諸塚村立荒谷小学校の元校長で定年を迎えるまで、子どもたちには大和艦隊の話はしなかったそうです。
戦争は二度と起こしてはなりません。
展望台手前には
第二艦隊の各戦艦の画像とスペックが
平和祈念展望台慰霊碑へ到着。
戦艦大和などの御霊に捧ぐ
戦艦大和の沈没位置。
巡洋艦矢矧の乗組員が目撃した戦艦大和の最後。
慰霊碑の奥には
・・・(涙
ここから水平線約200km彼方の海上で大東亜戦争末期の昭和20年4月7日、戦艦大和を旗艦とする第二艦隊が沖縄決戦へ向かう途中、米軍機と死闘の末、枕崎沖西南西約200キロの東シナ海で撃沈。
僅か2時間余りの戦闘で日本海軍は戦艦大和、巡洋艦 矢矧、駆逐艦 磯風、濱風、霞、朝霜6隻の戦艦を失い3721名の若き命が海の藻屑となってしまいました。
対するアメリカ軍は艦載機損失10機、戦死者12名と、いかに無謀な作戦だったのかがよく判ります・・・
錨碑。
参拝をさせて頂き少し下った所に映画「男たちの大和」のロケ地があったので行ってみました。
以下コピペです。
2005年4月、枕崎漁港に内田真貴子(鈴木京香)という女性が訪れ、大和が沈没した地点へ連れて行って欲しいと頼み回りますが、漁師たちはだれも相手にしてくれません。そんな漁師の中に、水上特攻時に大和の乗組員として乗艦していた神尾克己(仲代達矢)がいました。一度は真貴子の頼みを断りますが、彼女が自分の恩人であった内田兵曹(中村獅童)の養女であることを聞かされます。そのシーンがこの場所で撮影されました。
ロケ地の左側の風景と
右側の風景です.
後日映画 男達の大和 を見ながら
ロケ地の比較をしてみました。
火の神公園は神話も関係してるんですね。この話って山幸が可愛そう。海幸は心が狭いです(笑
平和祈念展望台慰霊碑を後にして次の目的地へ向かいます。
その③へ続く
↑こちらをクリック
ブログ一覧 |
大東亜戦争・史跡・歴史探訪 | 日記
Posted at
2014/01/12 21:26:11