13 国田大橋 くにたおおはし 360.1m
訪問日令和3年(2021)11月28日
完成 昭和58年(1983)4月
水戸市の飯富地区と国田地区とを結ぶ橋です。すぐ近くには、常磐自動車道が通っていて、水戸北スマートICがあります。令和元年(2019)10月の那珂川氾濫での被害が生じた地区になります。その後の堤防の整備が進んでいました。
14 那珂川橋 なかがわばし 499.2m
訪問日 令和3年(2021)11月28日
完成 昭和56年(1981)
常磐自動車道の橋です。那珂川には、自動車専用道路・高速自動車道の橋が3本架けられています。そのうち、常磐自動車道と東北自動車道の橋の名称が「那珂川橋」となっているようです。また、栃木県の大田原市と那須町の間にも、「那珂川橋」があります。つまり、令和4年には、那珂川に三つの「那珂川橋」があるようです。
令和4年には3本の那珂川橋と記しましたが、かつてはもう1本の「那珂川橋」がありました。場所は、栃木県の那須塩原市の阿油沢橋のすぐ上流になります。今では、袂を残すのみとなっていますが、阿油沢橋を紹介する時に、こちらの橋も紹介させていただきたいと思います。
この橋もスクーピーでは通れません。
背景に、水戸北出口の案内表示が見えます。
15 那珂西大橋 なかにしおおはし 464.0m
訪問日 令和3年(2021)12月12日
完成 平成26年(2014)10月
那珂市戸地区と城里町那珂西地区とを結ぶ橋です。
いよいよ、那珂川の遡上も、私が住む水戸市から離れ、隣の町に入りました。正直、50ccのスクーピーでは、往復の時間がかかってくるようになってきて辛いです。ただ、目的に着いてからの機動性の高さは、大きな魅力です。茨城県内の橋は、このままスクーピーで走破しようと思います。
新しい橋なので、しっかりとした歩道も整備されています。
橋の名称は「なかにし」ですが、城里町側の地区は「なかさい」と読むようです。なぜ、「なかにしおおはし」なのでしょうか。
16 千代橋 せんだいばし 326.5m
訪問日 令和3年12月12日
完成 昭和63年(1988)10月
自分の幼少期、父親の運転する車で河原に降りて、川遊びをした記憶がある思い出の場所です。父親を始め、周りの人も「ちよばし」と言っていましたが、正式には「せんだいばし」と読むそうです。
現在の橋は2代目となります。自分の幼少期の記憶にある千代橋(初代)は、昭和6年(1931)に架けらた208mの橋でした。欄干も低く、何だか危ない橋だなと思ったことを覚えています。昭和7年に架けられた水府橋(初代)と1年違いで架けれれたとは思えませんでした。
橋の上から上流方向を撮影した写真です。写真では分かりにくいのですが、はるか後方に那珂川源流の那須連邦の山々が見えていました。
同じく上流側の写真です。初代千代橋の袂が残っています。約100m上流側にあったようです。
初代の橋は、昭和61年(1986)8月の那珂川洪水で、橋の中央部が落下してしまいました。その後、わずか2年で2代目の橋が架けられたことからも、地域の生活や物流に大きな役割を果たしている橋であることが伺えます。
橋の上空、というか那珂川の上空を飛んでいる鳥を見かけました。詳しくないので、種類は分からないのが残念です。ここから上流の橋では、上空で円を描きながら飛んでいる鳥を、高い確率で見かけるようになりました。
次回は、「大桂大橋」「那珂川大橋」「御前山橋」です。茨城県の橋は、この3本が最後となります。
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那珂川 橋巡り | 旅行/地域
Posted at
2022/09/22 23:33:18