エンツォ・フェラーリを忍び世界各国から寄せられた、たくさんの追悼の念。
読んでいた昨夜から体がうずき、早朝より12気筒に火を。
自分自身の色々な過去をかみ締めながら、ドライブしてきました。
当時、高校生だった私。もちろん憧れは…、ランボルギーニ・カンタック、ミウラ、ランチア・ストラトス、アルファロメオ・ジュリア、フェラーリ328、512BB、数知れずとありましたが、その中でも一番光っていたものが、テスタロッサだったのです。
1988年8月、エンツォ他界のニュースに衝撃を受けたこと、未だ鮮明。
その彼自身の生の目でその誕生から製作を見守っていた最後のモデル。
相変わらず、最新の車にも、高級車にも、一歳興味は無いのですが…
その後のフェラーリのラインナップにも興味はありません。
Gr.Bが葬られ、Gr.Aも消し去られ、それ以来、車熱はすっかり途絶えていました。
昨日は、休日返上で現場で働く方々へ暖かな差し入れをしようと買い物に回ったり、その合間に、電装品をいくつか加工。楽しい時間を過ごしました。
そのひとつでもあるのですが、ETCのアンテナや本体を、フロントガラスやダッシュボード上に置くのが嫌な為、ワンタッチで収納でき、装着時も隠れたところへ。
金属部分の電波干渉など調べるため、色々とテストも兼ねた高速試走。
意図する場所に無事に装着可能であることなど調べてきました。
空と、風と、流れゆく風景、そして、12気筒の奏でる協奏曲…
至高の時間でした!
自らの夢をその人生の全ての瞬間に追いかけ、世界を驚きで満たし、翻弄させ続けた男。
私たちに、信じることの大切さを教えてくれた男。
私たちに、人生とは「情熱」と言う名のかけがえのない大きなエンジンであることを証明して見せてくれた男。
ありがとう、エンツォ・フェラーリ。
エンツォ・フェラーリが亡くなって 24 年の歳月が流れたことになります。私の偉大な情熱の創造者、それはフェラーリです。
世界最速となるために創り上げられた、他を圧倒するマシン。
残念なことに、26 歳の私はエンツォに実際にお会いしたことはありません。古い映画や写真で彼の姿を偲ぶだけなのです。古い写真で…。
写真の中のエンツォは濃いサン・グラスを掛け、その瞳をうかがい知ることは出来ません。
その夢を追い続けた瞳を……。
自分自身が、さらなる勝利を手に出来ることを知っていた彼だからこそ、さらなる高みを見つめ続けた、その瞳を…。
偉大な道しるべとなって下さい。
皆が夢を信じるために、あなたが夢を現実とするまでに乗り越えてきた、葛藤と挫折とを持って皆にとっての永遠の道しるべとなって下さい。
立ち止まることなく…完璧な存在を創造する。
フェラーリとは、特別な人々のために創り上げられた、全てのカテゴリーにおける「究極」を現実させた比類なき数々のマシン。
あなたのたゆまぬ数々の挑戦こそが、あなたに続こうとする若い世代が必要とするもの。
頂点を極めた人間であるあなたが、夢を現実にしてきたその原動力は、夢をあきらめることが、<人生を諦める事に等しいことだったからでしょう。
心からの愛をこめて…ありがとう、エンツォ。
あなたは、私の人生の指針です。
何故なら、あなたは自分自身の夢をそのゴールまで追いかけた人物だからです。
そして私の人生のゴールとは、1 台のフェラーリを自らのものとし、ドライバーズシートでそのドライビング・センセーションを堪能することです。
この夢は、今のところ私のただの夢に過ぎません。
ですが、同時に私は自信を持って「私はいつの日かフェラーリを手にすることになる」と、心から信じています。
何故なら、あなたがもうこの世をとうに去ってしまった今でも、私はあなたの人生哲学を信じているからです。
そして、今でもあなたが世界中を走るフェラーリの中に生きていることを知っています。
ありがとうエンツォ・フェラーリ。全てに、感謝しています。
本当に素晴らしい自分へのプレゼント!!!
そのためになら、ゴルフをやめるのは簡単な決断でした。
ワインはやめられないので(笑)
そんな魂とともに。
維持は大変でしょうが、だからこそ、仕事も頑張れるような気がします。
目指せ、日本一。
昨夜は、中途半端に余っていたワインの片付け。
年末年始は、美味しいワインを飲もうと思います。
目指すのは、日本一じゃ!
Posted at 2013/01/02 08:40:44 | |
トラックバック(0) | 日記