20年前の1989年11月9日は仕事でベルリンにいました。
そうです。あの日でした。
【写真が見つからなかったので、ポジフィルムをスキャンしてみました。専用スキャナーでないので、NGです。次回にでも掲載できればいいのですが。】
当時の日記を探してみるとありましたので、その一部を掲載してみます。
初めての超長文ですので、あしからず。
記事が若いですね。m(__)m
'89 Nov. 9th 前略
いよいよ、あの東ベルリンに入るのだ。東西の関所は壁を隔てたポイントチャーリーで、この検問所を通らなければ、東に入れない。
ポイント・チャーリーでは、検問を通過するのに最低30分はかかるとガイドが言っていた。バスの下を鏡を使って念入りに調べるとのこと。その後、名簿により美人の(24~25歳に見える)係官がパスポートを提示させ、本人であるかどうかを調べる。ここで、ちょっとした緊張感。この時は写真、ビデオ撮影はご法度。25分ほどでバスは東ドイツ観光局の職員(22歳ぐらいの女性、ただし堅そう)が乗り込んできた。これは国策とのことであった。意外と検問が早かったし、鏡の検査も適当だった。後で考えてみると、この日の夕方の事件を暗示していたのかもしれない。
午後3時10分、いよいよ東ベルリンに入る。意外と建物は西と変わらない様子。フリードリッヒ通り(一番の繁華街との説明があったが、西と比べると大差がある)を通っていくと、建築中の建物がたくさんあるが、ほとんど作業をしている人は見あたらなかった。
《中間省略》
夕食をとるためホテルのロビーにいると、JTBの添乗員から緊急連絡があるので集合してくれとあった。その内容は、11月8日早朝、イランの革命評議会からPAN AM ニューヨーク本部に通報があり、その内容は「11月10日からのヨーロッパ便のPAN AM機に爆弾をしかける。」とのことだ。
その情報を入手したJTB東京は、JTBロンドン-ベルリンを経由して連絡をしてきたのだ。これにより、11月10日ベルリン発PA637便は非常に危険であるので、予定していたベルリンでの2泊目をとりやめ、11月9日の別便でフランクフルトに向かう。
フランクフルトの宿泊先は空港の横にあるシェラトン・ホテルを予約した。
ベルリンの壁の崩壊はフランクフルトのホテルのテレビで知りました。
本来ならそこにいたはずなのにと、悔やんでいたことを思い出します。
Posted at 2009/11/09 19:36:59 | |
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