今日はふと昔のことを思い出してしまったので日記に残しておこうかと思いました。
私が中学生の頃に、父はトヨタのライトエースていうのに乗ってました。
4WDのディーゼルでスカイライトルーフ付きでライトエース・ノアになる前のワゴン車です。
その頃は、父の転勤で北海道に戻ってきてから初めての冬。
そして、父の転勤で北海道を離れている間にスパイクタイヤが禁止されていて、父は冬道で初めてのスタッドレスタイヤの利用という好条件?もありました。
ここまで書けばもうおわかりのことでしょう。
冬期休暇を利用して母方の祖父母宅へ泊まりに行く道中で自損事故となりました。
道路は雪があり、少しの下り坂とゆるやかな右カーブがあるところでスリップしました。
前輪がカーブの外側にすべったのでハンドルの切れ角を大きくしたところ急にグリップが戻ってしまったようでした。
そして、対向車方向に出たので逆にハンドルを切ったら今度は車が逆を向いてカーブの終わりから路外へと飛び出して車体が一回転していました。
私はその時助手席で、対向車側に出たときは対向車のトラックが見えたので死ぬと思ったし、路外に出て最初に地面に着いたのは助手席側のフロントガラスだったこともあり、死ぬと思いました。
転がり終わったら正立していたので一回転した感じでした。
事故後は、後続車の方だったと思いますが、警察と救急に連絡を入れてくれました。
その頃はまだ携帯電話もPHSもそこまで普及していなかったので電話ボックスがあるところまで行って連絡してくれたのはありがたかったです。
事故直後、祖父母宅へ宿泊ということで一緒に連れてきていたセキセイインコの鳥かごがカゴと底の部分に別れてしまった際にインコが脱走。
何とか車外に逃げ出す前に妹が捕まえることが出来たと思ったら、妹の頭から血がタラッと垂れてきていたりしていました。
妹以外は特に出血するような怪我はなくて、警察よりも救急車が先に着たので妹と母が治療のために病院に行きました。
そこからかなり待って警察が着て、事故処理をしました。
事故処理が終わったのは、事故から2時間半後くらいで寒いなか事故った密閉しない車の中で待っていました。
事故処理後、自走できるかの確認をして自走して帰る(祖父母の家に行く)ことになりました。
助手席側のドアが閉まらなくなっていたのでシートベルトで開かないよう固定し、助手席側にしかない後部スライドドアも閉まらないので、私が後部席に座って閉まらないドアを開かないように握りながら暖房の効かない寒い中を1時間ほどかけて祖父母の家に行きました。
祖父母の家についてからじっくりと事故った車を確認すると、助手席側から運転席側にかけてボディが傾いていました。
そして、助手席側の1列目と2列目のスカイライトルーフが割れて無くなっていました。
フロントガラスから助手席側のいくつかのガラスも割れていましたし、助手席側のサイドミラーもなくなっていました。
あとの細かいところは記憶が定かではなくなっています。
結局、病院に行った妹ですが、車が一回転した際に天井に頭をぶつけて頭に付けていたヘッドバンドの櫛の部分が頭に刺さったことで出血していたようで傷自体も深くはなく軽症で済んで幸いでした。
この事故でボディーが歪んだライトエースはもう廃車にすることになったわけですが、札幌市内の父の知人の車屋に廃車として引き取ってもらいました。
そして、時は流れて私たち家族はその自損事故を起こした町に住んでいます。
事故った時はまだこの町に住むとは思っていなかったので縁というものが有るのではないかと思いました。
ということで、家で乗っていたときのライトエースの話は終わりとなりますが、まだ少しだけ話は続きます。
廃車として父の知人の車屋に引き取ってもらった後、そっちの車屋の方で検討した結果その知人の方が自分で直して自分で乗ることにしたそうです。
そういった許可を父に取って了解を得たあとに、きちんと自分で直して自分で乗っていたみたいです。
それから数年はその方が乗っていたようですが、どうしても欲しいという方がいたようで説明もした上で欲しいという人がいたので譲ったという情報が数年後に届きました。
というわけで、そろそろ車の冬支度しようかなと思った際にふと思い出したことを書いてみました。
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Posted at
2019/10/22 19:54:57