この前片付けものをしてたら,1枚の写真が出てきた。14年ほど前のもので,オーストラリアに留学中で,大学の寮で,友達とふざけつつ,手には魚突きに使ってた水中銃を持って写ってる。いや~,若いし,痩せてる・・・OTLこの頃はまだ余分な脂肪もなかったのになぁ・・・。月に一度は多国籍の仲間で船をチャーターして,素潜りで魚を突いてました。そのため毎日プールに通って,泳いだり,3m潜って息を止めておくトレーニングもやってました。最高記録は3分40秒で,タヒチ・ニューカレドニア・オーストラリア・日本人の仲間の中でもトップでした。おかげでその頃は軽く20mは潜れ,海底近くで魚を探し回って,息が苦しくなって上を見ると,6匹の2~3mのメジロザメがくるくる旋回しながら自分を狙ってました・・・爆水中銃をサメに向けながら,ゆっくりと浮上するときに,酸素不足でブラックアウト(失神)しそうになり,あの時はマジやばかったなぁ~。まぁ,こんな楽しい思い出があるわけだけれども,現実では嫁からの娘の連れ去りに悩み,疲れ果ててます・・・。そんな時に出てきたこの1枚の写真。自分の前に写ってる友達は,韓国人であるルイ・リー。ルイは韓国籍だけれども,祖母が日本人で,普通に日本語も話せ,その他韓国語・英語など数カ国語をペラペラで。二人で外出した際などは,よく英語を教えてくれて,特に定冠詞の使い方を教えてくれたのを覚えている。まぁ,英会話が出来るようになったのは,かかさず毎週末に通ってたカジノの美人のおねぇさんとの会話のおかげだけどね・・・爆しかし,反日思想教育を受けて育った韓国人とは違い,普通に一人の人として付き合ってくれたルイには本当に感謝している。連絡して,元気してるか~?と言いたいとこなのだが,彼はすでに連絡のしようがない場所に逝ってしまっている。彼の体調悪化の知らせを受け,帰国していた自分はすぐにオーストラリアの彼の病院に駆けつけ,お見舞いしたわけだが,肝臓が悪かったらしく,ベッドに横たわる姿は,全身がパンパンに浮腫み,肌の色は真っ黒になってしまっていて,ルイ本人とは判別出来ない感じだったけれども,その驚きを必死で隠して,彼と話してみると,普段と変わりないルイ本人でした。わざわざ日本からお見舞いに来るなんてアホちゃうか?なんと冗談も言ってたけど,その姿からかなり苦しかったはずである。病室を出て,エレベーターに乗ると,涙がどっと出てきたのを覚えている。それが彼との最後でした。その後いったんは回復し,彼は帰国後すぐにガンが見つかり,若い彼はガンの進行も早かったらしく,すぐに旅立ちました。日本や台湾からのたくさんの仲間も,韓国の葬儀に参列していたが,自分は仕事が忙しかった時で,参列できなかった事を,いまでも悔やんでいます。今この写真は,机上に飾ってますが,娘のことで悩み,辛いときにその写真を見ると,彼が前のようにいろいろとアドバイスしてくれるようで,写真の彼に話しかけています。人は生を受けてから,多くの人に出会い,支えられて成長していくわけですが,なかなか自分の心に残る人に出会える機会ってのは少ないよね。ルイはその中の数少ない1人で,自分の心の中では昔のまま彼は生きています。自分も,ルイみたいに他の人たちから慕われる人間になりたい。写真を見ると,ルイが,『何を悩んでる?俺なんか死んでるから悩むに悩めないよ!』と軽く冗談を言っているようである。