コレクションホール3F
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常時展示のF1も含め30台の特別展示
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第1期は1964年~68年まで 1965年1.5LのRA272でリッチー・ギンサーがホンダに初優勝をもたらしました。
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1966年から3Lに変更となりRA273が投入されましたアルミフレームは三菱重工で製造されたそうです。
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RA273の軽量化対策としてローラT90(インディカー)のフレームを活かし4週間ほどの短期間で製造されたRA300 初戦となった1967年のイタリアGPでジョン・サーティーズが優勝
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ローラで製造されたRA301は1968年に登場、エンジンの進化が伴わず期待された結果を残せなかった。ちなみにこの車は2号車で製造はローラではなく、フレームの剛性が足りずにサイドにリブを追加してある。
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ホンダ1300と共に空冷エンジンのメリットを追求したRA302が1968年に登場
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空冷だけでは冷えないのでオイルクーラーを増設。
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当時のF1の中では前進したドライビングポジションとラジエターが無くなって軽くなったフロント荷重にシュレッサーは操縦に苦労くていたのか?
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同じく空冷のポルシェのような冷却ファンを持たず、走行により導入される空気を利用し冷却
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このダクトはプラグコードの冷却用?
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いずれにしても、F1の推進者の中村良夫さんの意思に反して投入された空冷F1は第1期F1の夢とジョー・シュレッサーの命を絶ってしまいました。
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1980年にF2参戦したV6エンジンをターボ化して1983年にF1に帰って来た第2期はスピリット・ホンダでスタート
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1984年ウイリアムズにエンジン供給する事で本格化、ケケ・ロズベルグがFW09で第2期の初優勝をもたらす。
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ケケはニコのお父さん、1985年FW10がシーズン4度の優勝
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レッドファイブはナイジェル・マンセルの代名詞、1986年FW11で念願のコンストラクターチャンピオンの夢を果たしました。
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FW11に装着されたショーワ製ダンパー
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1987年にはウイリアムズと共にロータスにもエンジン供給、中島悟がF1シリーズ参戦を果たしブリティッシュGPで4位に入りホンダエンジンの1~4位独占を達成。私はグランドスタンドからそれを観ていました。
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1988年ウイリアムズからマクラーレンに供給先を変更、ロータスから移籍したアイルトン・セナとアラン・プロストで16戦中15勝を果たしコンストラクタ―とドライバーのダブルタイトルを獲得。
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セナはMP4/4でドライバーズチャンピオンシップを獲得することはできませんでした。
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ホンダのターボエンジンが強すぎて1988年でターボ禁止となりました。
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1989年にNA化となってもMP4/5 でダブルタイトルを獲得。アラン・プロストがチャンピオンとなりました。幸運にも私はモナコGPを観戦することが出来ました。
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1990年にプロストに代わりゲルハルト・ベルガ―がセナのチームメイトとなりダブルタイトルを維持、1991年MP4/6 でセナは自身最後のチャンピオンシップ獲得。
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1992年に投入されたMP4/7はウイリアムズルノーに対してダブルタイトルを逃がし、ホンダの第2期を終えました。
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F1参戦を夢見るホンダ社員が製作した高速走行テストカー?
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研究予算の名目との違和感があっても問題ではありません。マクラーレンにシャーシの改良の助言を裏付けるのに製作したのが RC F11.0Xでこちらは1992年の1.5X
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1995年のF1レギュレーション変更に合わせ翌96年に製作された2.0X
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この研究プロジェクトの推進者たち
(趣味が仕事になっていた人たち?) |
ついに第3期のF1参戦を目指し1999年に、ハーベイ・ポスルスウェイトの設計でダラーラで製造さられたRA099がテスト走行を開始。
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ポスルスウェイトの実績とテスト走行での好タイムで期待は高まりました。
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ところが4月にスペインで行われていたテストの最中にポスルスウェイトが病死、ホンダのコンストラクターとしての参戦は取りやめとなりました。
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行き場を失ったホンダのF1エンジンは1999年にジャック・ヴィルヌーヴの為にタバコ会社の資金とレイナードの技術で設立されたBARに供給される事になりました。
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2000年にBAR002で参戦するも、優勝はできずコンストラクターランキング5位でシリーズを終えました。
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1998年から無限エンジンで参戦していたジョーダンに2002年からホンダエンジンが供給されEJ12で佐藤琢磨がF1デビューし鈴鹿で5位に入りました。
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2002年からプロドライブのデビッド・リチャーズが代表となり、翌年に佐藤琢磨がサードドライバーとなる。
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2004年ジェンソン・バトンをチームメイトにむえたと佐藤琢磨は006で3位入賞しコンストラクターチャンピオンシップでは2位となる。
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ホンダはエンジン供給を越えたチームへの影響力を強めていったにもかかわらず2005年に投入された007はコンストラクターチャンピオンシップ6位と期待を裏切る結果となった。
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ちなみにデビッド・リチャードは2004年でチームを離れた。
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2006年にはラッキーストライク・ホンダレーシングとなりホンダがチームを運営、マシンもRA106となった。
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第3期は7年経っても優勝にとどかず。歩かずに走れというロゴまで入れるようになってしまった?(8年目のハンガリーGPで待ちに待った優勝を果たすことが出来ました)
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2006年からF1に参入したスーパーアグリは日本人ドライバーのF1参戦を実現する為、鈴木亜久里が私財をなげうって設立したチーム。
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佐藤琢磨をはじめ井出有治、山本左近が参戦。2006年に井出有治は4戦で13位、山本左近は7戦で16位
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2007年にはこのSA07で佐藤琢磨はドラーバーズランキング17位で最高位6位、山本左近は7戦で12位となった。
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しかし資金不足の為、2008年シーズン途中で撤退を余儀なくされました。
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2007年からラッキーストライクが外れホンダレーシングとなりRA107が地球をデザインしたアースドリームで登場、環境重視の為かスピードが上がらずコンストラクターチャンピオンシップは8位と振るわず。
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2008年のRA108も成果は出せず、チーフエンジニアであったロス・ブラウンがチームを引き継ぎホンダは撤退。ちなみに展示車両のホイールカバーの位置が違っていたので修正しておきました。
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2015年からの第4期 F1参戦はマクラーレンへのエンジン供給。
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空力のデザインは複雑化。
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視覚的には80年代のマシンの方がスマートに見えるのは世代の違いでしょうか。
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機能的にはより安全でより環境に優しんのかもしれませんが・・・・・
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イイね!0件
パンク修理剤 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2018/04/06 19:18:29 |
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