2010年06月23日
6月22日朝にマツダ本社工場で起きた11人殺傷事件、クルマを凶器とし、出勤してきた敷地内従業員を次々となぎ倒した。クルマ好きとしては残念でならない。自動車を使って犯罪が行われ、不幸にも人の命を奪ったということを。
22日朝のニュースでは工場を解雇されその腹いせに犯行が行われたと聞いた。聞いてリーマンショック直後の派遣切りを思い起こした。
夜のTBSラジオのニュースコメントでは、容疑者は契約期間中で「一身上の都合により」本人都合で自ら去ったという。それならばマツダにとってとんだ災難だ。すでに部外者であるから、マツダの工場に侵入したテロリスト、ということになる。
しかも容疑者は包丁を持ち込み、秋葉原のように振り回すつもりだったと報道されているが本当だろうか。だとすれば秋葉原がダークサイドとなってしまっている。教養のない人間によるモデルケースとなった典型例だ。
選挙がなければマスコミは「秋葉原の再来だ」と大騒ぎするだろう。しかし、消費税10%に言及した管直人首相の議論のおかげで、容疑者が自主退社であることは殆ど伝えられていない。
話を戻す。冒頭のクルマ好きにとってショックなのはクルマの「負の側面」がまた世に出てしまったことだ。
真に肩身の狭い思いである。クルマは人を幸せにもできるが、不幸にも陥れるのである。クルマは生活の道具だ。
たとえばよくナイフを議論にあげる。ナイフも犯罪に使われるし、戦争にも使われる。クルマも犯罪や戦争に使われる。どちらも生活に便利な道具で、調理をしたり移動したりと、人類の発展に貢献してきたのは公然の事実である。
今回のマツダ工場の事件は、酒酔い運転で通学する児童の列をなぎ倒したものでもなく、ペダルを踏み違えて暴走したものでもなく、秋葉原と同じ、常軌を逸した自暴自棄によるものである。
さらに印象的なのは、23日朝のニュースソースで知った1992年にマツダ関連の自動車部品製造会社を退社していることだ。18年経ち、マツダ工場の期間工を辞めて犯行に及んだ。容疑者は「マツダに恨みがあった」と供述している。
1992年はバブルが崩壊し、勢い任せに展開した多チャンネル化も崩壊、健全な経営を迫られた時期であった。その時期に容疑者は退社した。容疑者にとって困ることがあったのだろう。いい加減な見方だが、外野から見ればそう見える。
ようやく本題に迫る。クルマ好きにとっては自動車製造工場は聖地なはず。フェラーリの工場はモダーンなハイテク設備を備えるもののマエストロの集団、イギリスは職人がライフワークとしてクルマをつくる。しかしそれはスポットライトの一部に過ぎず、大量生産メーカーともなれば、ヘンリー・フォードが発明したラインに支配されるわけで、日本人的にいえばモノつくりに魂を吹き込む余地はないのである。
しかし広島では地元球団と同じく、地元の自動車メーカーがある。広島にあるマツダは、ただ雇用があるから人気がある、というわけではないと思う。マツダのクルマに魅力があり、何らかの形で関わる事が喜びであるならば、容疑者もそうだったかもしれない。
ところが容疑者はマツダに対し恨みを持つようになってしまった。本人にとって不幸で辛い状況だ。何があったのかは分からないが根が深そうなのは伝わってくる。容疑者にとって不幸で残念なのは、その特定の恨みを自己の中で克服することが出来なくて、人を傷つけた事だ。
容疑者はずっと心の病を抱えていた。それがダークサイドに引き込まれてしまうまでに至った。容疑者は一人暮らしだった。およそ、自分の事を理解されないまま、満たされないまま年月を過ごしたのかもしれない。
彼は弱者となってしまった。決して負け組みというレッテルを貼ってはならぬ。そんな弱い彼を支えてあげられなかった社会、というのも残念だし、彼が困窮した状況を越えられなかったのも残念だ。そして何より、被害者、命を絶たれてしまった方にはご冥福を祈る。
同日には人民元が上がり、広州トヨタがストに入りラインが止まった、というニュースを聞いた。
大量生産メーカーの工場で働くということは、何なのだろう。給料か、ライフワークか、ステータスか、日本では地方からも出てくれば、外国人もやってくる。雇用だけを見れば今の閉塞した状況の日本、決まった期間だけ働く方が都合が宜しい、という人はそうそういないと思う。
今回マツダにとって、社員にとって、広島にとってとんでもない災難となった。だが、雇用主は労働者の人生を預かっており、個人の成長を支えなければならない。短期派遣はお互いの都合が良ければそれでいい。
彼を非難し、社会を批判し、マツダには責任を問うたつもりだ。最後に、クルマ好きとしてのマツダ工場にいいたいことがある。
世界広しといえども、マツダのようにロータリーエンジンを積んだFRスポーツカー、RX-8を乗用車と同じラインに乗せて組み立てるメーカーは広島のマツダだけ。少し古い雑誌の写真で見たがこれにはおおきな尊敬を覚えた。
ホンダはS2000を止めてしまったが、マツダはRX-8は作り続け、同社にはロードスターもある。どちらも赤字の温床だと言われるに違いない。特にイギリスではRX-8の評価が高い。自動車文化は単なる雇用ではなく、人生の喜びであり、切磋琢磨の競争があり、モータースポーツへのモチベーションへとつながる。そこには感動があり、苦しみがある。だから人類はクルマに代謝を覚え、生活に貢献する。スポーツカーはその象徴である。
マツダはZOOM-ZOOM宣言したじゃないか、「そんなクルマだけが作る意味があり、運転する価値がある」と。
クルマは人の心を乗せている。だから私にとって今回の事件は衝撃だった。マツダに関わる人全てに願う。
けしからんと思ったら間違いだ。傷ついていたなら、責任を感じた、ということだろう。
Posted at 2010/06/23 11:43:35 | |
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2010年06月07日
2010モトGP 第5戦 イタリアムジェロはロッシの欠場という衝撃的なスタートでしたね。
誰もが肝を冷やしたと思いますが、「バレは無事なのか?」「今後も走れるのか?」位の深刻な空気感をよぎりました。
下り坂の高速S字の切り替えしで派手にマシンから振り落とされたシーンは誰が見ても息を呑む壮絶な転倒でした。原因は公式には伝えられていないのですけれども、フリー走行2のコースインまもなく、右コーナーが続いて左の切り替えしでタイヤが温まりきってなかった、というのが中野真也氏や辻本聡氏のコメントでした。
まず驚きの事実というのが、コースを知り尽くしたホームGPで転倒、ロッシは転び方も上手いですけれども、あの飛ばされ方ではさすがに受身をとるのも難しかったことでしょう。
気になる症状は、開放骨折ということで、想像しただけでも痛々しいのですが、何しろロッシの世界選手権におけるキャリアでこれほどの重い怪我に、連続参戦記録を230戦まで更新がストップしたことなど、ロッシ本人ならず、関係者ファンともに負の側面を受け止めるのはつらいことです。
熱いムジェロではファンのすごい声援がありました。レーススタート前に電話でロッシがインタビューに答えると、ムジェロの観客は狂喜しました。"バレ”コールは衛星回線を通して如何に大きなものであったか伝わってきましたし、何より僚友、ホルヘ・ロレンソの変化は見逃せませんでした。
最大の目標、ライバルが事故で不在になった現状は手放しでは喜べません。ライダー生命だけでなく、人生をも奪われかねない、テニスとは違うプロスポーツの世界なのです。
ムジェロでのロレンソは2位でしたが、ロッシを攻略するときのあのアドレナリンは出なかったようです。
チャンピオンシップについても、公式にはコメントせず、自重している感じでした。
翌日のニュースソースでは、手術には成功、「モルヒネのモラルを知った」とジョークを飛ばすほど、健在ぶりをアピールしています。全治4、5ヶ月とは、シーズン終盤の復帰かもしれません。
その間、フィアット・ヤマハのロッシ陣営はどうするのでしょうか?代役を立てるのでしょうか。
去年のドゥカティのように、ライダー貸し出しをするのでしょうか。
ロッシのいないチャンピオンシップなんて、葬式のようだ、とは大げさかもしれませんが、何度勝っても、たまに負けても退屈にさせないエンターテイメント性のあるライダーは、史上初登場の、史上最高の走るレジェンドライダーであることは間違いありません。
Posted at 2010/06/07 16:35:14 | |
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