2007年11月21日
救急車に乗りそこねる。
私は勉強が嫌いで大学受験をしたくないのと、うちのおとんが結構アレwな人だったので家を出たかったのとで、高校は行かずに鳥羽商船に進学いたしました。今でこそ立派な(?)共学になっていますが、私が入学したころは女子は1割にも満たず、学年も3年生までしかいませんでした。(高専は全部で5年、商船は5年半)入学当時は風当たりもきつく、学校ですれ違う男子学生の上級生からは「なんでここに女がいるんだ~~??」と言われたり、黒板に「女は帰れ!」と書かれたり・・・寮に入っていたこともあって、たぶん通学していた女子学生よりはいろいろな嫌がらせがあったと記憶しています。女子寮の周りは白い柵で囲まれ、まるで珍獣か猛獣扱いでした。wwまあでも学生生活に慣れて仲良くなってしまえばなんてことはありませんでしたが、今思えば。ww
それから五年、卒業する時に教官から私たちに言われた言葉は「お前たちは男ばかりの中で同じように頑張ってきた、技術で就職するんだから、お茶くみなんかするんじゃないぞ。」と言う言葉です。お茶くみをバカにしているのではなく、そういうプライド持って仕事していいんだぞってことで言ったのは理解できました。
私は卒業後沖電気の臨海実験場で水中音響試験の仕事をしていたということは以前にも書いたと思うし、やっぱりお茶汲みもしていたんですが、www(女性は私だけと言うことで、むさ苦しい男がお客様にお茶を出すのははばかられるという計測技術部の希望で。w)一番の思い出は台船で実験中に急性胃炎を起こして死にそうに痛かったということか・・・w他の人たちに「陸まで船だそうか?医者に行かなくて大丈夫なのか?」と聞かれましたが、実験時間も限られ、結果を求められる中、「私のために船を出すということは実験を中断し、また海中に雑音が発生し収まるまで時間も要することからとてもじゃないけど船なんか出せません!!寝てれば治りますから!!!」と言う私の意向でw台船の応接室を借り切り(人に見えると心配掛けるし申し訳ないので)3時間ぐらい痛みで悶絶してました。(痛みで寝ていられないし座ってもいられなくて転がってるのが気が紛れたので)陸に上がってから医者行ったけど、「よく我慢できましたね。」と言われますた。
あのときなら救急車呼んでも怒られない!!と思うことが今まで何度かありましたが、いざとなると申し訳ない気がして「死にそうになるまでは呼ばないで~~!!」という根性無しの私です。
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Posted at
2007/11/21 17:46:10
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