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モニャゾーのブログ一覧

2019年05月21日 イイね!

ニキ・ラウダ死す!!

 享年70歳ですってね。私のニキ・ラウダの思い出と言えば、やはり2001モナコです。土曜の予選日に現地の人と(もちろん英語で)交渉して、念願のW席をゲット!!「W」というのは単なる記号なんですが、モナコはパドックとピットが離れているので、セッションごとに関係者がパドックとピットの間を歩いて移動します。W席というのはその移動の様子を間近に見れる席で、セッション数の多い土曜こそW席に座る価値が高かったのです!!(現在はピットロードの配置が変わったので「W席」は存在しません)

 他のGPでは考えられないと思いますが、モナコでは我々W席の観客とF1ドライバーが同じ動線で歩くことができ、そこら辺をシューマッハやハッキネンが歩いていました。

 で、W席のスタンドに座っていると、セッションごとに次々と超有名人たちが歩いていきます。私がニキ・ラウダを見つけて「あっ、ニキ・ラウダだっ!!」と叫んで隣の友人に伝えると、私の周囲の観客が一斉に「どこ?どこ?」と探し、ニキ・ラウダの姿を見つけると、それぞれの同行者に「ほら、ニキ・ラウダがいるよ!!」と伝え、次々に隣の観客に伝播していきます。

 私が「あっ、ベルガーだ!!」「あっ、ペレ(サッカーの王様)だっ!!」と叫ぶたびにそういった光景が繰り返され、欧米人ばかりのスタンドの中でアジア人の私が有名人発見のリーダーのようになってしまい、なんだかおもしろかった記憶があります。そんな、W席に座る私の姿がF1中継の国際映像に小さく映ってました。

 もっとも、「あっ、ゴクミ(後藤久美子)だっ!!」「あっ、ヤイコ(矢井田瞳)だっ!!」「今宮さんだ」「川井ちゃんだ」と私が叫んでも、周囲の欧米人には伝播していきません。それはそれでまたなんだかおもしろく、私にとっては、「ニキ・ラウダ」と聞けばこのエピソードが思い出されていたのですが、とうとう旅立たれてしまったのですね。

 この時の、ニキ・ラウダも写っている写真は、当サイトの「愛車紹介」の「フォトギャラリー」(フォトアルバムの方ではない)に以前からずっとアップしてあります。興味のある方はぜひご覧ください。ニキ・ラウダは帽子を深くかぶっていて、顔がほとんど写ってませんけどね。
Posted at 2019/05/21 20:22:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | モナコGP | 日記
2009年11月03日 イイね!

突然企画 伝説の1992F1モナコGPを振り返る

突然企画 伝説の1992F1モナコGPを振り返る 今年もF1最終戦が終わり、シーズンオフに入った。スカパーのフジテレビでは毎年この時期F1シーズンオフ企画が始まるが、当ブログも、思いつきで思い出のグランプリを振り返る。第1回の今夜はあの伝説の1992年モナコGP。

 モニャゾーが初めてF1観戦に行った1991鈴鹿から約半年後のモナコGP。当初は古舘伊知郎が実況として現地へ飛ぶ予定だったが、古舘が椎間板ヘルニアを発症して、代わりに三宅アナに行ってもらった。当時のフジテレビF1番組「F1ポールポジション」でMCの古舘は「代わりに三宅アナに行ってもらいます。三宅アナすみません」と低姿勢だったのだが(当時の映像を私は今も持っている)、レースがあんなことになって、「三宅においしい実況をとられた」と古舘はたいそう悔しがったという。

 この日のエピソードとしては、海外で生中継でレースを見ていた人が、数時間遅れで放送を見る日本の友人に「感動するから絶対見てね」と泣きながら国際電話してきたという話がどこかで紹介されていた。

 レースは当時最強だったウイリアムズ・ルノーのマンセルの独走で進み、途中まではかなり単調なレース展開となった。せいぜいフェラーリのイワン・カペリがラスカスの進入でガードレールかタイヤウォールに乗り上げて斜めになり、オンボード映像が斜めになっていたことぐらいしか変わった出来事は無かった。

 当時のフジテレビのF1放送は、今の地上波と同じ数時間遅れの録画放送だったが、テレビ局の技術をもってしても、今と違ってHDD録画による追いかけ再生などできない時代である。ビデオテープで細かく分けて録画しながら短時間で編集して放送されていた。それでも、短時間での編集のため、レース中盤だと思ったらCM明けでいきなりラスト数周になっていたり、ひどい時は同じシーンを2度放送してしまったことがあるらしい。

 そんな編集された映像でも途中までは単調なこの日のレース。当時は数日遅れでWOWOWでノーカット放送されていて、現在私が所有しているこの日の映像はこのWOWOWノーカット版なのだが、ノーカットなだけに、単調な時間帯はより長い。しかし、この単調な時間帯が長ければ長いほど逆にラスト8周のドラマを際立たせる。

 レース終盤、28秒差でトップ独走のマンセルが残り8周でまさかの緊急ピットイン。その瞬間の映像を捉えていたのは日本のフジテレビのカメラだけで、日本のフジテレビのコメンタリーブースだけが大騒ぎになったことは有名な話である。このことは、最近発刊された三宅アナの著書でも紹介されている。

※説明しよう。今の若い人は知らないかもしれないが、現在のF1の完全に管理された国際映像と違って、当時は各局の独自カメラを持ち込んでオンエアすることが可能だった。国際映像ではなかなか映らない日本人ドライバーの走りを映したり、リタイアしたドライバーにピットリポーターの川井ちゃんが駆け寄り「What's happend?(何があったんだ?)」と尋ねるのは定番だった。

 マンセル緊急ピットインの間にコントロールラインを通過するセナ。日本のフジテレビ以外のブースは何が起こったのか把握できていない。しかし、もともと速い上に緊急ピットインでフレッシュタイヤを履いたマンセルはセナと段違いの速さで、アッという間にセナに追いついた。ここから伝説のバトルが始まる。ここから印象的なコメンタリー陣の言葉を拾ってみよう。

今宮「(エルミタージュの坂で)うわーっ、ここで抜かれちゃうの~!?」

三宅「抑えるセナ、抑えるセナ!!76周目、すごいバトルだ!!これはモナコGP史上に残るバトルになるかもしれませんっ!!」
今宮「50回記念ですねーっ!!」

川井「三宅さんっ!!ホンダの方も、(オーバーテイク)ボタンを押せと言っています!!」

三宅「外から行く!!もうマンセルが、どこからでも行ける!!どのコーナーでも行く!!」
今宮「どこからでも行けますよ!!」

今宮「今、(セナに)ブルーフラッグが出ましたよね」
三宅「信じられないようなすごいレースになりましたっ!!」

三宅「どんなにしても抜けない。ここはモナコ、モンテカルロ。絶対に抜けないっ!!」

三宅「マンセルどうか、届かないーっ!!アイルトン・セナ逃げ切った!!今シーズン初勝利~!!」
今宮「あーっ、エンジンから煙!!セナのエンジンから煙が見えましたねーっ!!」

三宅「ナイジェル・マンセルの開幕6連勝も、ルノーエンジンのモナコ初勝利も、
マンセルのモナコ初勝利も、何もかも消えましたーっ!!」
川井「三宅さん、ホンダのスタッフ泣いています!!」

三宅「(マクラーレンホンダにとって)本当に、本当につらいシーズン。マクラーレンホンダがウイリアムズルノーを抑えました!!」

 いや、たったこれだけの言葉を文字にするだけでどれだけ再生・巻き戻しを繰り返したことか。テープ起こしは大変な作業である(苦笑)。

 三宅アナのこの実況は大絶賛され、当時何かの賞を受賞した。しかし、私は今宮さんの興奮ぶりと川井ちゃんの鬼気迫るピット情報の方が感動した。三宅アナはごく普通の実況をしているだけで、特別なことは何も言っていない。

 ただ、先ごろ発刊された三宅アナの著書で、彼は当時のことを、(セナとマンセルの)あの走りを台無しにせずに実況できたことにホッとした、と述べている。そうか、そうかもしれない。もしあのレースを古舘が実況していたら、いつもの古舘のように出しゃばり過ぎて、あの走りを台無しにしていたかもしれない(笑)。

 ちなみにこの時のコメンタリー陣には津川さんもいたが、津川さんは印象的な言葉は特に発していない(笑)。

 このレースは私のモナコへの想いを一層強くした。私が初めてモナコを訪れるのはこれから8年後のことである。

 このレースは日本のF1雑誌で時々行われる「過去の名レース投票」では必ず上位に来る。しかし、海外メディアでの同様の投票では意外に評価が低い。93ドニントンでのセナの奇跡のオープニングラップなどに比べると、このレースはセナがモナコのコース特性を利用してマンセルをブロックしたに過ぎないレースという評価なのだろう。

 日本でこれだけ評価が高いのは、マンセルの緊急ピットインを捉えたフジテレビ独自のカメラ、そして、フジテレビコメンタリー陣のあの素晴らしい実況・解説の賜物だと言える。あの走りを台無しにしなかった三宅アナに感謝しておこう(笑)。

 このラスト数周の名実況・解説は、数年後のフジテレビ夜のスポーツワイド番組でノーカットでオンエアされたことがあるが、あんなことは異例中の異例。最近フジテレビから順次発売されている各年ごとのDVDは、レース後に発売されていたF1ビデオの使いまわし。スカパーのフジテレビで放送される過去のレースは国際映像に現在の視点で解説をつけたもの。なかなか、放送当時の実況・解説を聞ける機会というものはない。

 しかし、放送当時の、その現場にいるコメンタリー陣だからこそできる実況・解説というものは臨場感があふれていて楽しいし、過去のレースの再放送やDVD化は、ぜひとも当時の実況・解説でやってほしいものである(権利関係の問題があるのかもしれないが)。
Posted at 2009/11/03 13:41:38 | コメント(2) | トラックバック(0) | モナコGP | クルマ
2008年05月26日 イイね!

2008F1モナコGPを終えて

 昨日は、もてぎFポンがあって、バレーOQTセルビア戦があって、セルビア戦が終わらないうちにモナコGPがスタートして、大忙しでした(笑)。

 昨日はこのブログを始めて最初のモナコGP。何度見てもモナコは特別。いいです。オーバーテイクなんかなくっても、レースが単調だったとしても、モナコのあのコースでF1が開催されることに意義があるんです。

 昨日は1997年以来の雨のモナコ。例年以上におもしろかったですね。私が行った2001年は毎日晴れでした。お客さんは雨だと大変。雨のモナコと言えば、パトレーゼ優勝のあの奇跡のレース(1982年でしたっけ?)、セナの伝説の猛追赤旗打ち切りは1984年。1996年はリジェ無限のオリビエ・パニス優勝(最後まで走行したのはわずか3台)と、伝説のレースが数多く生まれていますが、昨日はレース中終盤、降るはずの雨が降らなかったという意味でアレレ、ビックリ。

 中嶋一貴の入賞はモナコとしては日本人初とのこと。そういえば、中嶋悟はモナコについて「こんなのF1でレースする場所じゃない」と公言し、鈴鹿亜久里も片山右京もモナコではなぜか途中でいつも消えてました。

 確か、これまでの日本人モナコ最高位は中野信治の8位ではなかったでしたっけ?(違うかも) F1でほとんど活躍らしい活躍をしていない中野信治の唯一の日本人最高記録が破られてしまいましたね。

 ちなみに、川井さんによると、今でもF1関係者の間で話題になる日本人ドライバーは中嶋悟ではなく、鈴木亜久里と片山右京なんですって。中野信治と井上隆千穂と高木虎之介に至っては、F1レギュラードライバーであったことを日本のファンですら忘れているかも・・。

 ま、とにかく、ティルケサーキットが横行する現在のF1にあって、モナコGPだけは毎年続いていってもらいたい、貴重な特別なグランプリです。
Posted at 2008/05/26 21:15:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | モナコGP | スポーツ
2008年05月21日 イイね!

モナコGPウィーク。

 そういえば、今週はモナコGPウィークぢゃないですか~!? 7年前のちょうど今ごろは、ドイツ・フランクフルト空港で乗り換えて、フランス・ニースを目指していた頃ぢゃないですか~!?

 しかし、私の連載しかけたモナコ観戦記はまだ火曜の関空の夜で止まったまま。大体、鈴鹿REVのレポも途中やめになってるし・・。ま、どっちもいちばん書きたかった部分(モナコは事前準備の奮闘ぶり、鈴鹿REVは高木真一選手の同乗走行)をすでに書いたので、とりあえずOKです(苦笑)。

 でも、モナコ観戦記はいずれきちんと完結させたいなー。10年くらいかかるかもなー。毎年、モナコGPウィークを迎えると、当時のことを思い出します。
Posted at 2008/05/21 21:43:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | モナコGP | 日記
2007年11月08日 イイね!

不定期連載 2001F1モナコGP自力観戦への道 ~第3回~

不定期連載 2001F1モナコGP自力観戦への道 ~第3回~(前回までのあらすじ)
 奇跡的に宿泊を確保し、航空券と観戦チケットも手配できて、ひと安心。これで無事に出発できるのかモニャゾー!?


 航空券と宿泊と観戦チケットが確保できることとなって、点と線がつながった。こうなったら私は何がなんでも代休をまとめて休暇をとる。同行者の休暇確保だけは私がどうしようもない部分であったが、無事休めるとのこと。

 これで、あとは行くだけと思っていたら、観戦チケットがなかなか送られてこない。出国は水曜だが、火曜は関空に前泊するので、家に火曜以降に送られてきても無意味なのだ。何度か催促もしたし、いよいよギリギリになったらチケットを東京の代理店で発送せずに持っておいてもらって、同行者が代理店に取りに行くか、あるいは私が東京まで受け取りに行こうかとさえ思っていた。

 結局、記憶では家を出発する4日前くらいに届いただろうか。ほんとギリギリで冷や汗ものだった。席は、1コーナーを見下ろす橋の上の仮設スタンド(モナコの席はすべて仮設だが)だった。コースからやや離れるのでマシンが目の前を走り抜けるような迫力はないが、スタート直後の混乱しやすい1コーナーの争いが見られるのと、高い位置なので遠くプールサイドコーナーの辺りも見渡せる。全体を見渡せる席のないモナコにあって、比較的見渡しの利く席である。

 コースからやや離れるといっても、通常のパーマネントサーキットの観客席と比べれば十分近い。モナコの観客席はコース上でクラッシュがあれば破片が飛んでくる可能性があるし、場所によっては下手すればマシンが飛び込んでくる可能性すらあるのだ。モナコGPでマシンが観客席に飛び込んで死傷者が出たら、モナコGPの歴史はその瞬間に幕を閉じるとも言われている。

 さ~、ここからやっと出発日の話に進む。正直、事前準備の苦闘ぶりがこの観戦記のハイライトなので、ここからはオマケみたいなものだ(笑)。

 出発便は水曜の関空午前10時台発のルフトハンザ機。この便は以前利用したことがあり、その時は当日の朝、岡山を発って関空に行ったが、今回は同行者が初めての関空だったこともあり、万が一、遅刻なんかしては大変なので、余計な心配を回避する意味で前日火曜の夜に関空集合とし、関空のホテルに前泊した。東京から行くなら成田から出発すればいいのだが、私が岡山の代理店で段取りしたので関空発のフライトとなることはご容赦願おう。

 関空の空港島唯一のホテルは普段私が利用しないような高級ホテル。チェックインを済ますとポーターがついて部屋まで荷物を運んでくれる。こんな経験は国内では初めてだ。ポーターはかわいらしい女性だった。かよわい女性に荷物を持たせて手ぶらで歩くのはどうにも心地が悪かったが、私の旅行知識によれば、お客に荷物を持たせるようなことをすると高級ホテルの名が汚されるので、ポーターがついた時には素直に荷物を委ねるのがマナーらしい。

 かくして、夜も22時を過ぎたであろうか、東京から同行者がやって来た。無事に職場を抜け出せたと見える。これで初めて、すべての障壁が取り払われたと思えた。明日の今ごろは南仏の空の下にいるはずだ。

                               ~つづく~
Posted at 2007/11/08 21:50:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | モナコGP | 旅行/地域

プロフィール

愛車DC5で鈴鹿と岡山国際を走っていました。 ベストタイムは鈴鹿2分35秒、岡国1分51秒。 目標は鈴鹿2分32秒台、岡国は1分50秒切り!! でしたが、...
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