肥前・名護屋城跡
秀吉の朝鮮出兵の拠点、廃城後は唐津城材料に
2020年02月05日
●2019年GWに九州お城巡り2で、初日・2019年04月26日福知山城再び(91枚撮影77分)57箇所目。
●2日目・4月27日・津山城(243枚撮影3時間11分)71箇所目~福山城(273枚撮影1時間43分)72箇所目~広島城(172枚撮影1時間58分)73箇所目~。
●3日目・4月28日・小倉城(194枚撮影2時間13分)74箇所目~福岡城(266枚撮影1時間50分)75箇所目~唐津城再び(172枚撮影2時間0分)9箇所目~名護屋城(218枚撮影75分)76箇所目~。
●4日目・4月29日・平戸城再び(264枚撮影2時間0分)10箇所目~島原城(240枚撮影90分)77箇所目~原城(166枚撮影2時間1分)78箇所目~。
●5日目・4月30日・佐賀城(185枚撮影1時間47分)79箇所目~中津城(247枚撮影1時間21分)80箇所目~府内城(174枚撮影1時間33分)81箇所目~。
●6日目・5月1日・延岡城(179枚撮影1時間38分)82箇所目~佐伯城(382枚撮影2時間50分)83箇所目~臼杵城(296枚撮影2時間4分)84箇所目~。
●7日目・5月2日・川之江城再び(201枚撮影79分)61箇所目~川島城(57枚撮影23分)85箇所目~徳島城(309枚撮影3時間3分)86箇所目~撫養城(88枚撮影47分)87箇所目~。
●8日目・5月3日・岸和田城再び(224枚撮影2時間33分)64箇所目~法隆寺再び(186枚撮影64分)~伊賀上野城(390枚撮影2時間21分)88箇所目~伊勢神宮(100枚撮影62分)~。
●9日目・5月4日・松坂城(384枚撮影2時間50分)89箇所目~津城(163枚撮影1時間43分)90箇所目~亀山城(120枚撮影61分)91箇所目~吉田城(171枚撮影1時間20分)92箇所目と回った時に訪れました。
佐賀県唐津市鎮西町北西の半島に築かれた、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として、豪華なお城を建てられ、全国の大名の陣が有りました。
徳川政権下で廃城となり唐津城の材料として使われた。
又、島原の乱後に反乱の拠点とならないように破壊された。
発掘復元はされたが、石垣の肝である角部分の破壊が致命的なのと、一部唐津城に転用されて往時への復元は不可能な寂しい状態です。
よって2017年GWに呼子に寄りましたが、このお城跡はパスしました。
東出丸や三ノ丸から本丸への枡形や本丸に礎石が残っています。
100名城スタンプとパンフレットは、向かいの博物館に有りました。
時間外は守衛さんが対応してくれました。
70分でそこそこ回れましたが、暗くなり水手曲輪や遊撃丸と二ノ丸は急ぎ足で回った為、7割程度しか見られていません。
陣跡が100以上有るようですが、上記理由により見ていません。
城跡だけでも2時間以上、陣跡全てを回ったら4時間以上は掛かるでしょうが、それだけの魅力が有るかは破壊されたお城だけに期待出来ないと思う。
歴史好きなら訪れるのも有りですが、九州の北西の外れで遠く公共交通でも不便なので、城郭好きでは無いならパスが正解です。
もし行かれるなら、唐津城と呼子のイカを食べに行く、平戸観光セットが良いと思います。
写真は東出丸と愛車、大手口、南東の登城坂、右の水手曲輪跡から一段高い弾正丸跡。
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3(向かいの博物館住所)
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼ったURLより写真を見てください。
===============HPより===============
名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にあった日本の城。
太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に築かせた。
現在、国の特別史跡に指定されている。
平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定された。
もともと松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城、垣副城があったが、豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。
名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城である。
五重天守や御殿が建てられ、周囲約3キロメートル内に120ヵ所ほどの陣屋がおかれた。
城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄した。
秀吉の死後、大陸侵攻が中止されたために城は廃城となったと考えられており、建物は寺沢広高によって唐津城に移築されたと伝わる。
石垣も江戸時代の島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却され、現在は部分が残る。
歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況が復元保存されている。
大正15年(1926年)11月4日、「名護屋城跡並陣跡(なごやじょうあとならびにじんあと)」として国の史跡に指定される。
昭和30年(1955年)8月22日特別史跡に指定された。
黒澤明監督による『乱』(昭和60年(1985年)公開)のロケ地の一つに、名護屋城が選ばれ撮影が行われた。
構造
本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、本丸北西隅に望楼型5重7階の天守が築かれた。
城跡からは金箔を施した瓦が出土しており、天守に葺かれていたものと考えられている。
城郭の周辺には各大名の陣屋が配置された。
城の廻りは十五町、城への入口は五ヶ所あり、大手門、西ノ門、北ノ門、舟手門、山里通用門だった。
三ノ丸は、東西三十四間、南北六十二間。
このほか、腰曲輪・小曲輪・合而十一曲輪であった 。
完成後も度々改築を繰り返したとされ、本丸西側は築城後に石垣部分を壊すことなくそのまま埋め立てて増築された事が判明し、旧石垣も発掘展示されている。
三の丸櫓台北側では築城後に改造を受けて門が設置され、その後また撤去された事が発掘調査で判明している。
本丸大手、大手口、東出丸周辺も構造や櫓、城門に大きな相違が見られ、残された「肥前名護屋城図屏風」の二枚とも、現状と異なる部分が確認されている。
住所: 佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
電話 : 0955-82-4905
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