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イイね!
2013年11月04日

ドイツ日記 〜ニュルブルクリンクへ〜【超長文注意】

先日行われたベスモ同窓会に出席したら、1993年にニュルに行った時の日記があったことを思い出しました。で、ひっくり返して読んだのですが、まぁ、ニュル日記といういうよりは、「初めての海外旅行日記」。正岡局長には「アップします!」なんて宣言したけど、ニュルの内容は正直薄い。しかも文章(というか日本語)がめちゃめちゃ。
どうしようかと思ったのですが、若さというか勢い(^^;)があるので、イキママほぼ無修正でアップします。

一応背景を説明すると、当時勤めていた会社で「海外研修制度」がありました。好きなテーマで好きな国に2週間行って良い! という夢のような制度で、当時海外経験ゼロ、飛行機も1回しか乗った事のなかった僕は「チャンス!」とばかりに「ヨーロッパで本物のクルマ文化に触れる」というテーマで応募し、取締役会の承認が下りたと。
で、当時愛読していた自動車雑誌で「ニュルは走れる!」みたいな特集があって。
ベスモでガンさんが走っている聖地で走れる! もう、それだけで興奮しました。

ということで、超長いし、退屈かもしれませんが、ここから先が日記です。


1993/6/26
 午後6時。成田から12時間のフライトでフランクフルトに到着。そのままエアポートシェラトンにチェックイン。
 行きの飛行機の中で仲良くなったスチュワーデスさんと待ち合わせらしきものをしたのだが、時間があったので一眠り。起きたら夜中の2時半……。仕方がないからもう一眠りして、翌朝朝6時半に起床。

1993/6/27
 空港でレンタカーを借りてニュルブルクリンクに向かう。クルマはフォードのシェラ(日本でいうコロナかな? 5ドアの普通のクルマ)。マニュアルはこれしかないらしい。エアコン無し、タコメーター無し、カーステ付き。
 道を間違えるのを覚悟していたが、道路標識が非常に分かりやすく一度も迷わずニュルに到着。途中アウトバーンのサービスエリアで朝食をとるが周りはみんな外人、メニューは解読不可能。だからスゴイ新鮮。
アウトバーンは噂に違わぬ素場らしい道だった。景色ヨシ、ドライバーのマナーも最高。でもみんな飛ばしすぎ! 140km/hで一番右側を走っていたのだけれど僕より遅いクルマは途中で抜いたタンクローリーだけだった! でも、ガンガン抜かれるけど、抜く時は必ず左側の追越車線側から抜いてくれるし僕の前に入る時はどのドライバーも必ず目視してくれる。ドイツ車はこの前まで右側のミラーがオプションだったという話も納得。実際右側のミラーが無いクルマは結構いる。フランクフルト~ニュルは約180kmの道程だが、全く疲れもせずに到着。
 ニュルはレースデイ(今日は日曜日)。サーキットからは爆音が聴こえてくる。ホテルのチェックインまで時間があるのでレース博物館で旧くて貴重なクルマをたっぷり見た後レース観戦する事にする。
今日はクラシックカーレースらしく旧いクルマばかりが走っている。4輪、2輪、サイドカーのレースが交互に行われていて全く退屈しない(各レース10~15 Laps )。クラシックレースらしくドライバーは殆どがおじいちゃん! 革のツナギを着てヘルメットを片手に持ったおじいちゃんがウロウロしてる。観客席には子供やおばあちゃんも一杯いて、家族連れでレースを楽しんでいる風だ。非常にほのぼのとした雰囲気の良いレースだ。参加する事に意義があるという感じで、皆が楽しんでいるのが凄い伝わってくる。モータースポーツファンの層は滅茶苦茶厚いな、と思う。
 3時になったのでドリントホテル(ニュルのサーキットホテル)にチェックイン。僕の部屋は2階の一番奥で最終コーナーの立ち上がりの所だったのだが、部屋にはバルコニーがあって椅子とテーブルがあるではないか! 目の前はもうコースなのだ! もう一度サーキットに戻ろうかと思ったが、この特等席でビールを飲みながら観戦する事にした。
 そうこうしている内に5時。オールドコースオープンの時間だ。入り口でおじさんに14dm(約930円)を払ってコースイン! なかなか狭いコースで、ホントに20年前F-1をやっていたなんて信じられない。コースはアップダウンがきついしブラインドコーナー、複合コーナーも多い。あちこちギャラリーコーナーになっていて、こちらも緊張してしまう。まずは軽く流すが一体何台に抜かれた事か! 特にバイクがとてつもないスピードで走っていて、コーナーに入る度にミラーを見ていないとあっという間に追い付かれている。
 クルマも皆飛ばしてはいるが、それでも家族連れ4人乗車のワゴンがいたり、老夫婦がエスケープゾーンにクルマを止めてコースをじっと見ていたり、日本のサーキットでは考えられない光景が目に飛び込んでくる。そうかと思えばエス字で、飛び出したクルマが捲いた砂を掃いてたり。ちゃんとイエローも振られていた。サーキットライセンスも持たない家族連れがイエローフラッグの意味を知っているのだろうか? もし常識のように知っていたとしたらそれはスゴイ事だなと思った。とりあえずもう一度お金を払って2周目に突入。今度は最初からペースを上げてみようと思うが、恐怖が先に立ちアクセルが踏めない。箱根の国道1号線と箱根新道を足して割ったような道といえば想像つくだろうか? とてもじゃないけど5速になんか入れられず4速が精一杯。エスケープも左右5m位しかないし、その先はガードレール。頑張って走りつつバックミラーに常に気を配るのは相当神経を使うことであり、上手く抜いて貰う事がどれだけ難しいかを知った。
 2周目は一応タイムをとってみたのだが14分32秒。元レーサーの黒澤元治がNSX-Rで全力アタックして8分3秒。比べ物にならない…。とてもじゃないが人間業ではない。明日は何とか12分~13分まで行きたいと思いつつ寝ます。

1993/6/28
 今日は8時頃起床。オールドコースが5時まで貸切なのでTシャツ、靴下、水着、コンセントを探しに買い物に出る。近くに店が全く無さそうなので(ここはド田舎)、80km程離れたコブレンツまでドライブがてら行ってみる。丁度東京~御殿場くらいの距離なのだが、感覚的には東京~横浜くらいな感じ。1時間もかからず到着する。今日も綺麗な景色とアウトバーンのマナーの素晴らしさを感じながらのドライブ。アウトバーンはインターチェンジや牧場のそば等は100km~120kmの速度制限があるのだが、どんなに飛ばしていても皆きちんと速度を落とす。マナーの良さは日本の比ではない。
 さて、コブレンツに到着したがタウンマップを持っていない(今日は結局一度も地図を見なかった!)ので何が何だかさっぱり分からないのだが、道路標識が非常に分かりやすいので迷っても何とかなるだろうと思って適当に走る。その内「City P」という標識が見えたのでそれに従って走ると、程なく町の中心と思われる場所に出た(未だに何という街かわからない)。この駐車場は係員もいないからFree Spaceだと思ってたのに、3時間程して戻ってみるとワイパーに紙が挟んである。なるべく美人に聞こうと思い、おっぱいの大きい美人に聞いたらゲラゲラ笑いながらこれにサインして銀行で10dm払えという。どうやらパーキングチケットを購入しなければならなかったらしい。生まれて初めての海外でそんな事分かる訳ないじゃないか! しょうがないから明日払いに行こう。
 さて、いざ帰ろうと思うが自分が何処にいるのかさっぱりわからない。でもそんなに心配する事なく車を走らせると、見事に一回も迷わず、多分再短距離で目的のアウトバーン9号線に出れた。本当に道路標識が分かりやすくて助かる。これも陸続きで車社会の発達したヨーロッパならではであろう。誰が見ても行きたい所に迷わず行ける配慮は素晴らしい。
 5時になったのでサーキット走行だ! よく考えるとニュルを走れるのは今日が最後なので走れるだけ走ろうと意気込んで出かけた。最終的には5周できたのだが、最後はコースも大分憶え(それでも憶えきれない)昨日の14分32秒から約3分アップの11分42秒まで行けた。走る度に約30秒ずつタイムアップする! あと2~3日走ってコースを憶えればもう少しタイムアップしそうだ。できれば10分切るところくらい迄は行きたい。何しろコーナーを抜けたら、実際の景色と想像してた景色が全然違ってたり、コーナーのRを間違えて不要なシフトダウンしてしまったり。とにかくコースを憶えないと(全長22kmでコーナーの数が156もあるんだから憶え切れなくて当たり前?)。
 最後にサーキットに日本人発見! トヨタのセルシオとベンツ600secとBMW735iで来ていた。多分どっかのテスト班であろう。話し掛けてもそっけなかった。
 今日の夕食は昼間スーパーで買ったビールとパンとサラミを部屋で食べた。サーキットもCloseになり辺りはとても静かだ(今日の昼間はNew courseでF-3、Old courseでBikeのTestをやってた)。
 腹ごしらえも終わったのでサウナとプールに行ってみる。サウナに行ってびっくり! 若い女性がいきなり僕の横でシャワーを浴び出したと思ったら一緒にサウナに入ってくるではないか! じっくり見せて頂いたがあけっぴろげというか何というかイヤらしさが全くない。挙げ句の果てにはバスタオルをシーツ代わりに仰向けで寝てしまった。話をしてみると今夜はダンナじゃない男性と泊まるらしい。イヤ、ウラヤマシイ。
 モンモンとしつつ部屋に戻ってTVを灯けるとIndyをやっていた。やはりマンセルが人気らしくアナウンサーはマンセルの名前を絶叫し続けていた。結果はマリオアンドレッティが1位、マンセル2位。
放送も終わり11時になるとようやく空が暗くなる。そろそろ寝ましょう。-おやすみ-

1993/6/29
 7時半に目が覚めた。ドイツに来てから早寝早起きになってしまった。
 今日はニュルを出てそのままローテンブルグに向かう約400kmの道程だが、多分そんなに疲れないだろう。のんびり行くことにしよう。
 ニュルへ来た時はアウトバーン48号線をUlmenで降りて257号線を来たのだが、今日は258号線でMayenまで行ってそこから48号線に乗ることにした。朝なので車は殆どなく、道は豊かな自然の中に作られている。最高に気持ちが良い。山を一つ越えると何と地平線が見えた! 生まれて初めて見る地平線に感動しつつ車を走らせる。ニュルから約60kmでMayenに到着。ここからフランクフルトまで150km。そこからローテンブルグは約200kmだが、あっという間に着いてしまった。朝9時に出て、途中ガスを入れご飯を食べて他にも2回休憩したにも拘わらず午後1時には着いてしまったのだ。そう、ここは速度無制限のアウトバーン。140kmで走っていても絶えずバックミラーで確認していないと恐ろしい。何しろ200km/hくらいでビュンビュン抜いて行くのだ。ポルシェ、BMW、ベンツは間違いなく飛ばしている。
 ローテンブルグは城壁に囲まれた街で、旧い佇まいがそのまま残る、まさにメルヘンチックな街である。遠くから鐘の音が響き、写真の中でしか見たことの無いようないかにもヨーロッパという風景がここにはある。がっかりするのは日本人の多さ。石を投げれば日本人にあたると思ったほど。
 ホテルに入ると親日家だという親切なオヤジさんが迎えてくれた。彼が呉れたのはローテンブルグの日本語ガイド。本当に日本人が多いんだな~、と実感。街のショーウィンドウを見ても日本語が多い。資料館にも必ず日本語のリーフレットが置いてあって、半分呆れながら街を散歩する。石畳の街並は自動車もあまりなく(城壁の周りに駐車場がいくつもある)非常に雰囲気が良い。ホテルも旧い建物を改装したようなところで非常に良い。女の子を連れてきたら喜びそうな所だ。
 夕食をホテルの小さいレストランでとろうとした予約で一杯だという。がっかりしていると何と日本人の団体客が入ってくるではないか! 白けた気分で外に出て夕食をとる。毎度の食事で思うのだが、ビールは日本の100倍美味しいが料理は最高にマズイ。料理が美味しければ文句はないのに…。そういえば、夕方お腹が空いたのでマクドナルドでチーズバーガーを食べてしまった。さすがに日本と同じ味で、少しホッとした。夕食も食べ終わるとさすがに疲れたのかバタンキュー。この日記を付けたのは翌朝なのでした。

1993/6/30
 8時に起きる。ローテンブルグを出てロマンチック街道(25号線)でミュンヘンを目指す。途中ローテンブルグのような城壁の街がいくつかあるので立ち寄るが、皆似たような街並でだんだん飽きてくる。25号線はのどかな田園風景の中を走るが、この綺麗な景色もゲップが出る程見てきた。面白いのは25号線にはドイツ語でロマンチック街道と書かれた標識があるのだが、その下には必ず日本語でロマンチック街道と書いてある! 観光客は日本人だけではないだろうに、英語よりも日本語とは…。
 そのまま2号線に入りミュンヘンを目指す。途中何度も「高速-ミュンヘン」の標識を見掛け心が傾くが、今日は意地でも一般道で移動してやろうと決めていたので、そのままひた走る。一般道と言っても平均速度120km位! 皆さん本当によく飛ばすのだ。しかし小さい村落に近付くと60km位に落とすし、速度制限70km(一般道で!)の標識が出るときちんとそれに従うから大したモンである。
 そうこうしている内にミュンヘンに到着。一般道を200km以上走るとサスガに疲れたのか小一時間眠ったあと、街に出てみる。レーベンブロイのビヤガーデンを横目に見ながら(とても素敵な建物だった)日本料理屋「庄屋」に行く。5日振りの日本食の何と美味しかった事! 隣に座ったサッポロビールの人と仲良くなり、ビールと岡村孝子の話で盛り上がった。彼は岡村孝子(※)の大ファンらしい。日本から持っていった「満点の星」のテストテープをあげてしまった。
今日でドイツの夜は最後。人は皆親切だし。僕の英語もカタコトながら何とか通じて、あとは料理が美味しければ言うことなし! のドイツであった。明日はルクセンブルグまで500kmの長旅だ。

(※)当時勤務していたレコード会社の所属アーティスト。発売前のサンプルテープを何本か持っていってカーステレオで聴いていた内の一本がこのテープ。今でも、ドイツで一番よく聴いた近藤名奈(誰も知らないだろうな~)の1stアルバムを聴くと、空気が一瞬ドイツになります。

1993/7/1
 朝8時に起床。会社に電話を入れると人事異動で皆暗い…。僕だって嫌だ!!
 それはさておき今日は長旅、ガムバロー。ホテルで8号線への行き方を確認したはずなのに迷ってしまった。しかし、カンのみで走っていると何と8号線への標識があるではないか! そのままシュットガルトまで約300kmの旅。出たのが10時半。その後日本や、F-1のチケットを頼んでおいたロンドンに電話したり、ガソリン入れたり食事したりしてのんびり行ったつもりだが午後1時には着いてしまう。ポルシェ博物館やメルセデス博物館に寄ろうとも思ったがまだ先は長い。そのままルクセンブルグを目指す事にした。ここからが大変で8号線―5号線―6号線―61号線―再び6号線―62号線―1号線―一般道―48号線とアウトバーンの乗り換えだらけ。おまけにこっちに来て初めての渋滞も経験して(ハザードを灯けるのは万国共通の様だ)ルクセンブルグの国境に辿り着く。この間約250kmくらいあったかな? 国境を越えたのは午後6時! ポルシェ博物館に寄らずにつくづく良かった。国境を越えるのは高速道路の料金所みたいなゲートをくぐるだけ。止められもしなかった。
 ルクセンブルグに入ると慣れ親しんだ(?)ドイツ語からフランス語の標識になる。基本的に標識は皆一緒だからとても分かりやい。そして、ルクセンブルグに入った途端道の舗装がとても綺麗になった! ドイツはもうボコボコ。そこを160km/h~200km/hで走るから疲れたの何のって…。しかもドイツには一つも無かった街路灯がある!
 ルクセンブルグに入るとスグにAir Portがあり、そこのIbis Hotelが今日の宿だ。一応ドイツマルクの残りと5$を両替したのだが殆ど使うことはないだろうな…。だって手持ちは1,700lfr。ホテルでコーラ一杯20lfrだもの! 自動販売機で買ったら一体幾らなんだろう? ホテルで夕食をとるがまずいったらありゃしない。但、ドイツもルクセンブルグも温野菜だけはとても美味しかったので、今度来る時は温野菜だけで通そうかしら? 等と考える。食事は明日からのフランスとスイスに期待するとして、今日は早く寝よう。何といっても明日は700km以上の大移動。今日よりヘヴィなのだ。
 dmの精算をしてたら50dm合わない。一体何に使ったんだろ? 多分食べ物だろうケド。
 ルクセンブルグに入ったらアウトバーンの最高速度が120kmに制限されてしまった。明日からは飛ばし過ぎに注意しませう。 -おやすみ-

1993/7/2
 朝8:30に起床。ホテルで朝食をとる。ルクセンブルグの朝食はドイツ式だがそれでもまだ美味しい。
 たっぷり食べたら今日はパリ経由でブルージュ入りだ。暫く走ると渋滞に入る。フランスとの国境だ。今回は係員が立ってはいたが、それでもやっぱり素通り。今迄ずっと快晴だったのに今日は曇り。今にも雨が落ちてきそうだ。フランスも最高速度が130km/hに制限されているが、車の数は少なく走り易い。ただマナーは最悪で煽られているのに追越車線を走り続けたり(速度制限があると自然とそうなってしまうのか?)とにかく危なっかしい。パリまで約400km、そこから更に300km以上あるのにこのままでは疲れ切ってしまいそうだ。
 突然目の前に料金所! フランスでは一部無料で殆ど有料の様だ。念の為に約6,000円分のフランスフランを持ってきて良かった! そのままパリまで行ったはイイが、パリで4号線を降りて市内を突き抜け10号線に乗る所で、こっちに来て初めて本格的に道に迷った。パリの市内を首都高速のようなものが走っていて、そこから放射状にアウトバーンがあると信じていたら、首都高なんてモノはなく、イキナリ市内に放り出された。自分が広域の地図しか持っていなかったのがイケナイのだが…。ドイツのつもりでタカを括っていたらフランスの標識の何と不親切なこと! アウトバーンの時から感じてはいたのだが、何がなんだかサッパリわからない。その内アウトバーンへの標識があるだろうとグルグル走ること1時間、全くわからないので、冷や汗がダラダラ流れてくるのがわかる。せめて市内の地図くらい買っておくべきだったと後悔するが時既に遅し。自分がどこにいるのか、どっちを向いて走っているのかサッパリわからない。そしてパリッ子の運転の何と乱暴な事! まるでクルマでケンカしてるみたいな感じ。ちょっとぶつけた、ぶつけられた位じゃ何ともないようであちこちでぶつけあってる光景を見かける。下手な日本人が行ったらとてもじゃないけどマトモに運転できないだろう。そうこうしている内にやっと観念して人に道を聞くことにする。フランス人は冷たいとか言うけど、全くそんな事はなく、笑顔で一生懸命答えてくれる。英語がわからない人も多かったが、それでも一生懸命のやりとりが続く。皆親切で優しいのであった。
 何とか道がわかって10号線に乗る事ができた。パリの市内に入ってから約2時間が過ぎていて、もうヘトヘトだ。ボーッとしながら運転していると、10号線を真直ぐ行かなければならないのに、間違えて11号線の方へ行ってしまう。まったく! 今日はよっぽど日が悪いのだろうか? このお陰でフランスの印象は大分悪いものになってしまった(間違えた自分が悪いのに…)。
 何とかブルージュに着いたのが夜の10:30。ホテルには頼んでおいたF-1のチケット引換証が届いており(佐瀬さん、CXの人、ありがとう!)ひと安心。部屋に入ると予選1日目の模様をノーカットでやっていた。鈴木亜久里が9位に入っていた。明日の予選が楽しみだ。
 ホテルに着くと既にレストランが閉まっていたのだが、頼むと冷たくても良ければ、とパンとプリン、ハムとサラダ3種類を出してくれた。ありがとう! ミュンヘンで食べた日本食の次に美味しかった。-おやすみ-

1993/7/3
 朝起きて、郵便局で止まっているF-1のチケットを取りに行きサーキットへ向かう。予選は13時からなのでホテルで朝食をとり、10時30分出発。マニクールサーキットはホテルから約70km離れているのだが、それでも12時前には着いてしまう。駐車場料金を払い、窓にシールを貼って貰い入場すると、コースのすぐ傍の駐車場に入れてくれた。鈴鹿とはえらい違いである。駐車料金も約1,600円。とても安いのだ。
 コースに近付くにつれ、あの独特の雰囲気に段々興奮してくる。客層は若者が多いが、それでも日本と比べると圧倒的に大人が多い。ガキの来るところじゃないようだ。ストップウォッチ片手にタイムをとっている老夫婦がいたりして、ドイツに続きまたもやカルチャーショックを受ける。予選ということもあるのかサーキットは空いている。僕のチケットは何とグランドスタンド! 高かっただけの事はある! 但しグランドスタンドからコース全体が見渡せないのが不満。ピットとスタンドが逆なら良かったのに…。
 予選はウィリアムズの2台がバトルをやってトップを奪いあう。その後がリジェの3-4! いくら地元とはいえ大健闘! 5位がセナ(当時マクラーレンフォード)6位がアタック終了ギリギリでアレジ(当時フェラーリ)がシューマッハを蹴落とす。地元フランス人アレジのファイトに観客も大拍手だ。日本だとミーハーチックにギャーギャー騒ぎながら拍手って感じなのだが、ここでは皆スポーツ選手に対して惜しみない拍手を送っているという雰囲気だ。これも文化の差!? どちらが良いという問題ではないのだが、またしてもカルチャーショックを受けた。
 そして帰り道。サーキットからの国道7号線が何と一方通行になっているではないか! 警官が100人以上出ていただろうか? 途中76号線との交差点まで全部一方通行! 帰りの渋滞を少しでも少なくしようという地元住民と警察の理解がなければなかなか出来ることじゃない。これはスゴイなと思いつつ帰ってくると夕方18時。そろそろ夕食を食べに行こうと思う。今夜はフランスでの最初のまともな食事。楽しみです。
 街中を散歩してみるが、あんまり美味しそうなレストランがない。しょうがないので一番人の入ってる処を選んだが、これがスパニッシュだった! 味はドイツに比べれば天国! 全部美味しく戴きました。
 今日は疲れた。-おやすみ-

1993/7/4
 さあ! いよいよ決勝だ。
 朝のフリー走行に間に合うようにホテルを出たつもりだったのだがサーキット付近まで来て大渋滞! 昨日は予選。空いてて当たり前か…。昨日駐車場に入る時渡されたシールを今日も貼ったままにしておく。フランス語はよくわかんないのだが、どうやら3日間の通し券のようなのだ。カンは当たっていて、このシールを貼ったクルマは優先的にサーキット方向に通してくれる。それでも昨日停めたパーキングは一杯らしく……なんと、それより更にサーキットに近いパーキングに入れた! ラッキー!!
 フリー走行には間に合わなかったのだが、それでも50's Sports Car Race等を楽しみ決勝を待つ。今日はサスガに人も多くサーキットはごったがえしていた。
 それにしても暑いこと! ジュースとビール合わせて軽く1.5リットル位飲んだに違いない。
 そうこうしている内に決勝の時間が迫り、グリッド上にクルマが並び始める。この時全ドライバーの国旗と国歌を紹介するのだが、日本人ドライバーも勿論いるから日の丸と君が代(国歌代わり?)も紹介された。フランスで聴く君が代は何か特別なものを感じる。スタンドからパラパラ聴こえる拍手でそこに日本人がいるのだとわかる。さすがにフランス国歌の時は殆どの人が立ち上がって胸に手をあて神妙な顔付きをしていた。
 いよいよウォームアップ。フットワークのキャンギャルに目を奪われている内にフォーメーションラップがスタートだ。全車が一斉にスタートする様は本当のスタートかと思う位のド迫力! これが本当のスタートならどうなるのかと思っていたら本チャンのスタートのトンデモないこと! もの凄い迫力で全車全開で飛び出していく迫力は快感そのもの! テレビなんかじゃちっとも伝わらないこの迫力は一度体験してみないとわからない。スゴイ世界があったもんだ。
 スタートしてからは大した動きがある訳でもなく、なんとなく消化試合のような雰囲気。つまらないのであちこち歩きながら色々な場所でレースを楽しむ。せっかくのグランドスタンドと思うかもしれないが、スタートしてしまえば、あとは一番退屈な席なのだ。レースも何だか退屈で(リジェがもっと頑張れば良かったのに…)アンドレッティのファイトが目立ったレースだった。結果はプロスト-ヒル-シューマッハ-セナ-ブランドル-バリチェロ。バリチェロもよく頑張った!
 レースが終わって表彰式が終わると(シャンパンファイトやったっけ? やらなかったよねぇ)早速駐車場に向かう。今日はこの後スイスのジュネーブまで400kmの大移動なのだ。ホントに大丈夫か? と思いつつクルマに乗り込む。大した渋滞もなく10分くらいで駐車場から出る。鈴鹿では駐車場から出るだけで4時間かかったという人の話を聞いた事があるが、それがウソのようなスムーズさ。
 昨日と同じく7号線は一方通行。今日は7号線でそのままSancoinsを目指す。約180kmの道程なのだがこれが辛かった! 何と言っても暑い! クルマにはエアコンが無い! F-1でグッショリ汗をかいたのだが早く駐車場を出たいが為にジュースも買わずにサーキットを後にしてしまったのだが途中ガソリンスタンドが全くない!(向こうはガソリンスタンドにスーパーがついていて、買い物はそこで済ませる事が多い)。途中トイレがある訳でもなくひたすら水を追い掛けてのドライブとなった。汗はダラダラ、日射しギラギラ、喉はカラカラで水分の全くないドライブの何と辛いこと! 途中 P/WC の看板を見つけた時は大袈裟ではなく涙が出そうになった。顔と手を洗い、うがいを10回くらいしてから気をとりなおしてドライブを続ける。そこから1時間ほど走ったところでやっとスタンド発見。コーラとミネラルウォーターを買い込みやっと一息つく。しかしここは南仏 Lyonの傍。ジュネーブまでの道程は長い。一般道のみのドライブはとにかく疲れるがハードなドライブは今日が最後。明日からはスイスをのんびり廻る予定なので最後の一頑張りだ。
 サーキットを出たのが16時30分頃。途中計1時間くらい休憩をはさみ22時30分にやっとジュネーブに着いた。ホテルに着くとクタクタ。駐車場がないのでどこに止めれば良いのか聞くと路上でokと言う。ホントかいな? と思いつつ寝る。ホテルはレマン湖のほとりにあるクラシカルなホテル。とても素敵でアンティークなホテルでした。-おやすみ-

1993/7/5
 朝、気持ちよく目覚めホテルでたっぷりの朝食をとる。ハムにサラミにチーズにクロワッサン、グレープフルーツジュースとヨーグルトとコーヒー。お腹一杯食べて幸せな気持ちで道路を見るとナント僕のクルマがないではないか! 焦ってフロントに聞いたら多分レッカーされたという。昨日の夜中にフロントに聞いたら「OK No problem」と言われたのにいきなりレッカーされたんじゃ堪らない。ホテルでは路上駐車の場合は必ず鍵を預かるから、客のクルマかどうかはそれで見分けると言われた。朝警察にも聞かれたらしいが、違うと答えたらしい。そりゃそうだ。昨日の夜はそんな事言われなかったから鍵はちゃんと僕が持ってるもの…。どうなってるんだと思いつつ警察に行って罰金を払うと(1,600円くらい)駐車場に取りに行けという。バスに乗って郊外のBMWのディーラーへ行くとそこにクルマがあった。レッカー代約11,000円を支払う。とんでもない出費だ。
 ホテルに戻っても怒りが収まらない。フロントは夜中の担当者の言い分を聞かなきゃアンフェアだし、責任者のジャッジがないとホテルが罰金を払うことはできないと言う。絶対に謝らないし従業員同士で責任の擦り付け合いをしている。夜の10時に担当者が出勤するといわれ、その時に徹底的にケンカしようと決める。
 10時30分頃、部屋に電話が入る。「今朝何かあったのか?」とトボけた事言うのでレセプションに行って全部説明してやった。ところがそいつは夜9時以降は駐車してはダメで、キーはレセプションに預けろと言った筈だと言い張る。延々40分以上平行線の話が続いて頭に来たので日本語で「バカヤロー」と怒鳴ったら段々どもり始めて手が震えてきていた。怒っているのは伝わるんだな~、と実感。その内50/50でどうだ? と言ってきた。「お前が払うのか?」と聞いたら「そうだ」という。全額ホテルに払って貰いたいからお前が個人的に払う必要はないって言っても聞かない。面倒だからokしてしまった。給料に響くらしくて、ホテルが払うという事には絶対したくないらしい。可哀想になってきたのと疲れたのと、良く見ると僕の停めた場所には「Hilton Reserved 9:30-15:00」となっている。(そう、向いはHilton Hotel)それを見落としたのも、路上に停める時はフロントに鍵を預けるというこっちの常識(なのかな?)を知らなかった僕も悪いのかもしれないという気になったから。あいつのポケットから金を出させたのは少し気が引けたが、どっちにしても後味の悪い思いをした。
 明日は早起きしてすぐにチェックアウトしてしまおう。
 -おやすみ-

※ と、ここでこの日記はおしまい。この後も4日くらいスイスにいたのですが、つけてません。なぜなら、7/2から、当時の彼女と2人で行動したから(パリで落ち合いました)。で、この旅行、全部で1,200,000円かかったのですが、勿論彼女の分もしっかり入ってマス。旅行代理店担当者の協力がなければ無理だったでしょう! しっかしこんな贅沢な旅行、もう最初で最後だろうな……。

いや、でも死ぬまでに、もう一度ニュルを走りに行きたい!!
ブログ一覧 | クルマその他 | 日記
Posted at 2013/11/04 23:17:50

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この記事へのコメント

2013年11月5日 10:49
ニュルブルクリンク走行とF1観戦!

夢のようですね~♪

そんな贅沢な旅行してみたいです。

どちらか片方でも実現できるよう
頑張ろうと思います(^^)v
コメントへの返答
2013年11月5日 18:37
正に夢のような体験でした!
今でも同じシステムなのか分かりませんが、ニュルを1000円弱で走れるなんて、日本の走行会事情を考えると夢のようです。

是非一度行って下さい! 超オススメです!
2013年11月5日 12:29
早速、拝読。え!? もう終わるの? という感じです。実際に現場を踏んだものにしか、読み取れない微妙な部分までしっかり書き留めてあります。みんなに読んでもらいたいな。
フィナーレとなるジュネーブでの駐車違反トラブル、おかしいやら、気の毒やら。それがヨーロッパの正体って感じで、リアルなレポートとなっていました。

ニュルアタック、11分台はお見事ですよ。

この旅行記は写真を挿入したもので、もう一度読みたいな
コメントへの返答
2013年11月5日 18:41
ありがとうございます!
そして、過分なお言葉を頂戴しまして感激です!

実は、写真が殆ど無く、撮っておけば良かったと今更ながら後悔中です。わずかだけ、Hi-8で映像は撮ったのですが。

次は、記憶を頼りに、ニュルにフォーカスしたものを書き記そうかと思っております。
2013年11月6日 12:17
こんにちは。
楽しみです!
実は、まだ読んでいません。
じっくり読ませてもらいますね♪
コメントへの返答
2013年11月6日 22:39
長文ですが駄文なので、厠のお供にでも(^^;;
初めて北海道を走った時、このドイツ訪問を思い出しましたよ。
その後何度かクルマで走りましたが、雄大な風景がヨーロッパ的でいいですね!
2013年11月7日 23:31
すばらしい、ニュル&旅行レポート、楽しく読まさせていただきました。ニュルを走ったり、アウトバーンを走ったり、F1サーカスをみられたりと、すごい旅行をされていたのですね。読ませていただき感激しました。
1993年、自分は何していたのだろうと思い出すと、ベスモを仲間と見て、ポテンザドライビングレッスンの応募をしていた頃でした。
コメントへの返答
2013年11月7日 23:55
ありがとうございます!
練馬でお会いしているはずですが、あの日参加された方の顔とお名前が全く一致しておりません…(^ ^;
独身でしたし、会社のお金だったから実現できた、本当に貴重な体験でした。
今思うと、ニュルを走れたのはもちろん大きかったのですが、初めての海外で1人ぽつん、という感じでしたが、その状況を楽しめた自信というか、ワクワクを体験できたことが大きかったです。
子供もできて、色んな制約の中で、二度と実現不可能でしょうが、またいつか行ってみたいです!
2013年11月10日 2:17
ニュル激走にアウトバーンに海外F1観戦♪
とても羨ましく拝見しました。
レンタカーでもニュルのフルコースでブレーキ持つんですね。

そうそう、近藤名奈さん懐かしいですね。
今も 7/360持ってます。(笑
コメントへの返答
2013年11月10日 5:51
ありがとうございます!

で、ニュル云々より、7/360!!
ベスモ同窓会に参加した47人の中に、あのアルバムを持っている方がいらしたとは!!!!!

1曲目「無限大」イントロのシンセが鳴った瞬間、快晴のアウトバーンから見る、緑鮮やかでなだらかな丘陵が目の前に広がります!

どうでもいいプチ情報ですが、日本語直訳を続けている王様は、近藤名奈のツアーギタリストをやっていて、それがきっかけでCDデビューしたんです。あの格好でいきなり会社に現れて、そのまま電車に乗ってキャンペーンとか行ってました(笑
2013年11月10日 11:44

近藤名奈さんは、動物奇想天外とかねるとんの歌等、タイアップ曲もいろいろあってJ−POP好きには意外との浸透してたと思いますが残念ながら一般的には知られていませんでしたね~。
Fハウスは、岡村さん、小田さん、稲垣さん、鈴木雄大さん、斎藤和義さん、横山輝一さん、田原音彦さんと好きなアーティスト多かったです。(笑)
王様も懐かしいですね〜。普段からあのカッコは、本当みたいですね~。

そうそう、同窓会のサインをして頂いた際の写真。撮影させて頂いたのは私でした。
また機会があればよろしくお願い致します。
コメントへの返答
2013年11月10日 22:17
うわ、沢山聴いて下さっていたのですね。かなりディープなお名前も! ありがとうございます!
東芝EMIのエクスプレスレーベルが独立した会社でしたから、J-POP(死語ですが、ニューミュージック)は十八番でしたね。他にも永井真理子やSING LIKE TALKINGなどもいましたし、私は陣内大蔵が好きでした。

で、当日、撮影して下さっていたのですね。
重ねて、ありがとうございました!

こちらこそ、またの機会があれば、よろしくお願いします。

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「@あき☆Spider
自分も数日前に体験してびっくり。尖閣諸島と返信したらピタッと止まりましたよ^^;」
何シテル?   08/23 05:33
 1998年に購入した155に始まり、アルファ・ロメオを乗り継いできました。途中ほんの少し浮気もしましたが、2011年10月に9台目のアルファ・ロメオとなる15...
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