2014.09.08 ドライ 気温高め マイペースラップ
参加台数150台、こんなに多いのは最後にして初めての経験でした。
おとーさんはなんとか隙間を探してなんとかアタックできたらしい。
私は…よく覚えてないいんだなぁ
走っている最中は忘れられると思ってたんだけど、なんか無理だった。
ハイランドに到着して早々、
「あぁ、最後の出走準備だなぁ」
て思うと涙止まらなくなるし
いかんいかん、と思って気持ちを切り替えたつもりでコースに出ても
「あぁ、最後のシケインだなぁ」
ってウルッとくるし
そんな感じで掲示板見ても
「あぁ、最後までセンスねぇなぁ」
て、ため息出るしw
でも、混み混みでなんかの走行会みたいで楽しかったです。
ライン外すのは耐久レースで鍛えられたから苦ではなっかたんだけど、いろんな人がいたから難易度は高かったなw
ちなみに計測器が150個しかないらしく、受付を途中で打ち切ったとのこと。
そんでもって週末の走行会の参加台数は190台らしいw
モータースポーツが盛んだった時代を思い出すよねぇ。
私はそもそもストリートでゼロヨンから始めた。
当時はストリートも盛んだったから、携帯とかパソコンとかSNSとかんなもん無くても夜なればみんな勝手に集まってきたし、情報交換やら友達作りもそこで済んでた。
私はまだ10代で、車のローンと保険代だけで月々10万くらい支払いあったから、そりゃーお金無くてガソリン入れるだけで精一杯だったけど、凄い楽しかった。
ところが、デビューして間もなく会場が閉鎖になってしまって、皆散り散りになってしまった。
それまでは、サーキットに行くまでの費用とか、走行料金とか、そんな金はもったいないと思っていたけど、走る場所が無くなったから仕方なく、なんとか費用を貯めてサーキットに転換した。
最初は40秒ぐらいだったかなあ、それでも楽しかったな、なんかレーサーになった気分でw
ローンが終わるまでお金無かったから、その頃は年3回ぐらいしか行けなかったけど、ローンが終わって余裕もできてきて、買い替えの貯金もたまって、さ、何買う?となり
「ハイランドを楽しく走れる車」
と考え、特別欲しい車なかったんだけど
「まぁ、シビックならそこそこ走れるんじゃね?」
となり、ターボじゃないのがちょっと不安だったけど購入(大正解だったと自分を褒めたいw)。
エボの時と違ってシビックはローン無かったから、それまでローンや貯金に回してたお金を走行費用に回せたのが大きかった。
それまでの遅れを取り戻すかのようにとにかく走り込んだね。
自分のセンスの無さに疲れて、何度引退を考えたことかわからんw
けど、それでもセンスの無さを努力でカバーしようと必死に頑張ってると、コンマ1秒削れただけで凄い嬉しい(嬉しくて泣いてたしw)。
あぁ、すんごい大変だったけど諦めないで頑張り続けて良かったと心から思えた。
生き続けるって大変だと思うんだけど
「あぁもう生きていくの無理」
って思う事、誰にでもあると思うんだけど
私の場合は、そんくらいどん底に落ちてもハイランドを走ることで
「仕方ねぇなぁ、ハイランドを走るためにも、もうちょっと頑張ってみっかな」
って前に進むことができたんたよね。ハイランドが無かったら私もう3回くらい死んでるw
私にとってハイランドは心の支え、生き甲斐、そのものでした。
他の人も言ってたけど、ハイランドが低料金じゃなかったら走り続けれなかったと思う。
そう考えるとね、オーナーにも感謝の気持ちが出てくる。おかげで私は何にもかえられない宝物を得て、一生忘れられない思い出を作ることができました。
おとーさん言ってた「始まりがあれば終わりがある」
ストリートが閉鎖したからハイランドに行くようになったんだ
終わりと始まり
ハイランドの終わりは何かの始まりなのかもしれないね
支配人より伝言
「ここが閉鎖なるのをきっかけにやめる人けっこういるみたいだけど、そう言われるのが一番心が痛みます。どうかこれからも新たなステージで続けていってほしい、皆さんにも伝えてくだい」
長い間、大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
Posted at 2014/09/10 10:32:33 | |
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仙台ハイランド | 日記