
まだまだ暑さと忙しい日々が続いていますね。
今日は会社はお休みで、予定していた事もキャンセルになってしまった為、本当に久々にゆっくりまったりしています。
時間に余裕ができたので、ちょっと本や資料の整理をしてましたが、この所全然ラリーネタを書いていなかったので、久々のお詫びの意味も込めて大ネタをアップしようと思います。
きっとこのネタを見たかった方も沢山いると思います!
今日のお題は日産ラリー史上でも欠かせない、1971年の第19回サファリラリーに参戦し見事に総合優勝したエドガー・ハーマン/ハンス・シュラー組のゼッケン11番、DATSUN240Zです!
トップ画像は現在も日産に保管されてる実車です。
まだこの時代はイーストアフリカン・サファリラリーと言われてました。
当時のポスター等は以前アップしましたね!
https://minkara.carview.co.jp/userid/717755/blog/22241947/#cm
前年の70年サファリでは日産チームは510ブルで1-2フィニッシュ!
総合優勝・チーム優勝・クラス優勝の3冠を獲得します。
世界の舞台で日産(ダットサン)の強さをアピールできた日産チームですが、71年も続いて新型マシン240Zで優勝を狙いに行きます。 ところが、このサファリラリー実行委員会では「ストップ・ザ・ダットサン」のムードが大きかったようで、ヨーロッパ自動車メーカーの販売にも影響しかねない為、当時の強敵ポルシェ等が有利な高速コースを増やし、車検も厳しくします。そして他のチームも徹底的に日産チームをマークする作戦を取り、不利な条件の中で4台の240Zが挑戦します!
日産ワークスはゼッケン11番ハーマン/シュラー組、ゼッケン31番メッタ/デューティー組、ゼッケン12番アルトーネン/イースター組、スペアカーで参戦のシモニアン/ゲーリック組の4台の240Zで参戦。
プライベーターも合わせると昨年優勝からの日産人気もあり、日産車だけで総勢38台と言われてます。
フォードチームは新型240Zを見て、510ブルじゃないなら敵はポルシェのみと思ってたらしいですが大きな誤算となります。ワークスチームは全部で8チーム、エントリーは116台にもなります。
下の画像は一番有名なカットでポスターにもなってます。
この年のサファリは雨が降らず、泥ではなく埃のラリーとなり、一時期情勢不安で中止していたタンザニアをコースに復帰、総走行距離約6200Kmで争われ、サファリにはSS(スペシャルステージ)が設定されませんが、アベレージは高いのでほぼ全てがSSのようなコースになります。
約6200Kmを平均103Km/hで設定されてましたが、240Zは平均が何と140Kmで走行してたらしい!(凄い!)
しかし、それだけ速いとサービス隊が車やヘリだけでは追いつけず、ダットサンチームもセスナを2機用意した程!
4月8日正午にいよいよ1号車がスタート、最初は南回りルートです。
ペースメーカーはアルトーネンの240Z、次にフォード・エスコート、続いてポルシェ911。
その後タンザニアで豪雨になり各車ペースが落ちる中、ポルシェがトップに浮上します。
アルトーネンは途中で岩に足回りをヒットさせ、修理に時間が掛かって6位に後退。
再びドライコースになりポルシェが有利になり、続いてエスコート、サーブが上がってきます。
しかし日産チームも追い上げて減点をほぼゼロにした為、ハーマンのZが3位、アルトーネンも5位まで上がってきます。さらにサーブが修理に手こずりその隙にアルトーネンは4位まで浮上、最終的に第1ステージはワルデガルドのポルシェ、2位にハーマン、3位にアルトーネンで終わります。

まだヒットする前の状態です。

ギャラリー前を土埃を上げて疾走するゼッケン11番240Z

日産チームのサービス風景。
日産は日本人メカニック8名を中心に車8台、現地人16名、その他サポート等で総勢60名体制。
出走108台、完走は約60台になり、北回りの第2ステージが始まります。

北回りのスタート直前の一コマ。240Zがトップグループを占めます!
北回りでは当初の予想を裏切り、新聞報道もポルシェ対フォードだったのをポルシェ対ダットサンに切り替えます。
依然としてポルシェがトップ、次にハーマンの240Z、3位にポルシェ、続いてメッタが優勝争いに入ってきますが、そこでトップ争いに変化が出てきます。
トップのワルデガルドのポルシェがリヤをヒットさせドライブシャフトを折り走行不能でリタイヤ!
そこで当然ながらトップはハーマンの240Zが繰り上がり、2位争いはメッタの240Zとザサダのポルシェに。
アルトーネンはと言うと、こちらもリヤをヒットさせてしまい修理に1時間半も掛かり優勝争いから脱落してしまいます。
そしてさらに、トップを走るハーマンも岩に衝突し足回りを破損と同時に右手を負傷、30分をロスします。
続くメッタは減点を抑え、2位のポルシェを振り切って順位が入れ替わり、ついに日産チームでトップ争いとなります。

右フロントをヒットさせながらもギャラリーを横目に激走する240Z!

撮影者は埃で大変だったと思いますがリヤビューです。
負傷したハーマンはナビ(コドライバー)であるシュラーにドライブを変わってもらい、途中でメッタと1位を入れ替わりながらもついにゴールのナイロビにトップで入り優勝!

ゴールに入り沢山の報道陣に囲まれるゼッケン11番240Z!
結果、優勝はハーマン/シュラー組の240Z、2位にメッタ/デューティー組の240Z、アルトーネンは7位となり、4台中3台が完走でしかも10位以内と言う快挙を遂げ、総合優勝、クラス優勝、チーム優勝を勝ち取り、2年連続のサファリ制覇となりました!出走(実走)108台、完走は32台、リタイヤ率70%の中、日産車は8台完走!
世界中にまたラリーの日産(ダットサン)の名前が知れ渡ることになりました!
ちなみに、この240Zは大きな改造は施さず、基本的には足回りを中心に、下回りは8mmのジュラルミンガードで全てを覆いますが、エンジンは逆に出力を抑えます。
その理由は現地のガソリンにあり、前年のラリーで現地のガソリンを持ち帰り分析し、オクタン価が低いと判断して、圧縮比は8.0程度に設定、キャブも標高差3200mある為、セッティングをナイロビの1800m付近に合わせたそうで、このセッティングも大当たりだったのも勝因だったようです。
エアクリーナーもこのZからフィルター交換が容易な通称「弁当箱」が装着されます。
ファイナルギヤは4.625でデフロック。一番の特徴であるライトポッドは、アルトーネンのオーダーでバンパーから5センチ出ると擦るから引っ込めてくれ!とのことで全車ボンネット上部に取り付けられます。
同様にアルトーネンのオーダーで72年のモンテでもバンパー内に収めるためにあの4連用バンパーが生まれました。本当にノーズをギリギリまで使って攻めるドライバーだったようですね!
タイヤはお約束のダンロップSP44で、スペアにはぬかるみ対策のチェーンを巻いて搭載してました。

このブログでもたまに話題が出るSP44とはこんなタイヤです!
ちなみに、71年サファリではFR70SR14を100本、195-70SR14を20本、他にFR70SR14のPW51を30本の計150本を用意します。
1958年から海外ラリーに参戦した日産チームですが、過去のデータを十分に生かして対策した結果、勝つべくして見事に優勝できました!そしてその後サファリのすぐ後に、優勝報道を聞いてニューヨークでは240Zの注文が殺到し、バックオーダーになった程だそうです。
最後に、ラリー終了後に日産チームがとある海外メディアの方に貸して撮影されたもので当時の雑誌にあったので掲載します。とても素晴らしい写真です!

雪のキリマンジャロをバックに草原での240Z優勝車。

ケニヤと言えばマサイ族ですよね。このギャップが面白いです。

シマウマを前にサファリの陽を浴びる240Zのリヤビュー。最高です!
と言うことで、細かい内容はまだまだ一杯ありますが、簡単にまとめてみました。
また機会があれば、もうちょっと補足したいと思います。何せ色々ありすぎて全部はアップしきれませんから・・・。
これでまたしばらく大ネタはアップする時間が取れないかもしれませんが、ボチボチ更新していきますね!
でわ、今日のところはこの辺で!また次回に・・・。