2020年02月21日
この指揮者
エフゲニー・スヴェトラーノフ
(1928年-2002年)
モスクワ生まれ
1951年モスクワ音楽院に入学
1954年音楽院第4学年の時からモスクワ放送交響楽団で指揮を開始する
1955年からボリショイ劇場の指揮者となり、1963~1965年には主任指揮者
1965年から2000年までソ連国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)音楽監督
ロシア国立交響楽団時代は録音における異様なまでの完璧主義と
団員誰もが震え上がる凄まじい雷を落とす感情の起伏の激しさで
長年指揮した手兵に対して有無を言わせずに君臨
カリスマ独裁型の指揮者であったとされている
1987年来日公演 アンコール
ハチャトゥリヤン:剣の舞
スヴェトラーノフは、グリンカ以降の全てのロシア・ソビエト連邦の交響楽を
録音するという念願をあと一歩で果たせなかったが
かなりの数のライブ録音やスタジオ録音に成功し貴重な遺産を残した
スヴェトラーノフはロシア人の指揮者として
(共産党幹部から禁止された作曲家を除き)
ロシア人による交響作品全曲をレパートリー化した最初の存在である
ロシア人の作曲家だけでアルバム数が100を超えた存在は
近年のロシアの財政難を考慮すると今後も出現することはないだろうとされる
「命がいくつあっても全てを演奏したり、聴いたりすることは不可能なほど
よい音楽は創造されている」
と語り、マーラーやブルックナーなどのドイツ音楽など
晩年までレパートリーの拡充に務めてきた指揮者であった
晩年は、運営を巡ってのロシア国立交響楽団との関係が悪化するにつれ
フリーの指揮者としてロシア外のオーケストラへの客演が増えた
オランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団(1992‐2000)首席指揮者
スウェーデン放送交響楽団(1997‐2000)首席指揮者
NHK交響楽団などに客演しているが
彼の印象は気難しさよりも音楽へのひたむきな愛情と
茶目っ気を含んだソフトな印象を残している
1997年9月NHK交響楽団とのLIVE チャイコフスキー交響曲第5番
この日はイギリスのダイアナ妃事故死から7日後で
第2楽章冒頭に「この演奏をダイアナ妃に捧げる」と彼がアナウンス(16:35)
演奏終了後、ホルンの素晴らしい演奏に
奏者を指揮台に上がらせるというハプニングも・・・
エピソード
1970年代頃から、ロシア国立交響楽団を指揮する場合は、
ライブでもスタジオでも、必ず譜面台に赤い扇風機をつけて指揮していた
しかも、旧ソ連製であるゆえかライブ録音のCDなど弱音時に
扇風機の音が聴こえるためCDの解説書に但し書きまでついていた
より静粛性が高くて風量も多いタイプを薦められたこともあったが
馴染みのある赤い扇風機に拘っていたスヴェトラーノフは全て断り
海外公演の際は変圧器まで用意して使っていた
NHK交響楽団を指揮後に
「皆さんにまた会うことが出来たら、
次回はブルックナーの8番をやりましょう!」
2000年9月その時のLIVE マーラー:交響曲第5番第5楽章
その演奏会を半年後に控えた
2002年5月3日、73歳没、早過ぎる・・・
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Posted at
2020/02/21 23:29:48
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