kumayuさん
2025/08/11
【2025年夏 遠征記その2】弘前散歩(洋風建築めぐり)
その1 からの続きです。
弘前公園を辞し、ここからは弘前のまた違った魅力を見て歩きます。
弘前公園周辺には、旧城下町の面影を残す武家屋敷などもあるのですが、体力的と時間的な関係から、今回は「洋風建築巡り」にテーマを絞ります。
弘前市は、日本で最初に市制が施行(1889年)された街の一つ。
江戸時代は城下町として、そして明治時代は陸軍の第八師団が置かれ、更には旧制弘前高校(現在の弘前大学)などの様々な学校も設立され、軍事・文教面で県の中心となってきた弘前の街。
大きな災害や、第2次大戦時の都市空襲も無かったことで、この時に建てられた建築物が多く残り、現在に至っています。
近代洋風建築好きな私にとって非常に興味深い街であることは確か。
弘前公園を辞し、ここからは弘前のまた違った魅力を見て歩きます。
弘前公園周辺には、旧城下町の面影を残す武家屋敷などもあるのですが、体力的と時間的な関係から、今回は「洋風建築巡り」にテーマを絞ります。
弘前市は、日本で最初に市制が施行(1889年)された街の一つ。
江戸時代は城下町として、そして明治時代は陸軍の第八師団が置かれ、更には旧制弘前高校(現在の弘前大学)などの様々な学校も設立され、軍事・文教面で県の中心となってきた弘前の街。
大きな災害や、第2次大戦時の都市空襲も無かったことで、この時に建てられた建築物が多く残り、現在に至っています。
近代洋風建築好きな私にとって非常に興味深い街であることは確か。
今回の目的にこの地を選んだ理由はこれもあります。
ということで、まず最初に訪れたのは

第八師団長官舎。大正時代の建築。
現在はご覧の通り、スタバの店舗となっています。

旧弘前市図書館
対称的な2つの赤いドーム屋根が特徴の、3階建ての堂々たる建物です。
入場できますので中へ。

ということで、まず最初に訪れたのは

第八師団長官舎。大正時代の建築。
現在はご覧の通り、スタバの店舗となっています。

旧弘前市図書館
対称的な2つの赤いドーム屋根が特徴の、3階建ての堂々たる建物です。
入場できますので中へ。

婦人閲覧室
落ち着いて執務ができそうです。
統一された白熱色の照明、歩くとギシッと鳴る床の板張り、どことなくゆったりとした空気感が洋風建築の良いところです!
弘前には東北地方初めての私立学校「東奥義塾」も設立され、外国人の講師を招いて先進的な教育がおこなわれてきました。その講師宿舎で、内部は一部がカフェとして営業しており、そのほかの部屋は自由に見学可能です。
観光客も多く、思い思いに見て歩いています。
さらに隣接する「弘前観光館」に向かうのですが、ここで少し時系列を前後させて先に洋風建築のお話を続けます。
こちらも有料ですが内部見学可能です。
係員さんによる簡単な説明の後、自由に見学。
住居だった建物とは違い、少し張り詰めたような重厚感がたまりません。
もともとは革を使用していたものが日本では紙を使用して製作されており、錫の箔などを使って模様を付けているという、非常に手の込んだ過程で作られているもの。
今では日本でも数えるほどの建築物でしか見られない、とのことです。
こちらもゆっくりゆっくりと見て回りました。
こちらはお店になっていて、自由に内部を見ることはできませんが、繁華街に入る入り口でひときわ目を引く洋風建築です。
週3日の限られた時間のみ見学可能とのことです。
こうして、全部とは言えませんが、主だった洋風建築を堪能しました。
個人的には、小樽、門司港、神戸、函館にも引けを取らない充実ぶりで、私のように好きな者にはたまらない街です。
これだけの洋風建築が建てられたのは、先述の通り明治~昭和初期の街の近代化もですが、弘前出身の建築家・大工の堀江佐吉さんという方の存在も大きい、と言われます。市内に残る洋風建築のほとんどはこの方や、その後を継いだ大工・建築家が手掛けており、この方がいなかったらこれらの建築物は無かったことでしょう。
弘前市の洋風建築の成り立ちから、これだけ残った理由、そして堀江佐吉さんについて等、また旅から帰ってから復習したいことが色々とできた洋風建築巡りでした。
市街を歩いて駅方面へと戻ります。
その3 に続きます。
Posted at 2025/08/15 14:14:18
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